言の葉の記
<色則是空><空即是色>
<色>はいろ・かたちあるもの、現象する対象、物質的な存在のすべてをいう。
いっさいを五蘊(五つの集まり-色・受・想・行・識-)に分かつその第一で、たんに<もの>とみなしてもよい。
<もの>に関して、通常はそれがそのものとして実在しているという素朴な日常的な考えを、このフレーズは根本から否定し、そのものが現象し存在しているとするのには、それを成立させ得る主体的・客体的なあらゆる諸条件が充全に備わってはじめて可能であることを明らかにする。
すなわち、ものはそれ自体が実体として現象し存在するのではないことを<色即是空>といい、
また実体としてではなくて、諸条件に支えられているからこそ、そのものがそのものとして現象し存在することを<空即是色>と説く。
いっさいの存在や現象の<空>を謡い、
<空>のゆえにいっさいの存在や現象が基礎づけられる。
徹底して実体・実体的なみかたを排除することによって、
独断や偏見はもとより、迷い・煩悩・執着が払拭され、
無限の多様のうちに自由な境地が解放されて、
多彩な思惟・判断・認識また実践活動の場が開かれる。
「色は即ちこれ空なるが故に、これを真如実相といふ。
空は即ちこれ色なるが故に、これを相好・光明といふ」
-源信「往生要集」
参照:岩波仏教辞典