山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

枝をさしのべてゐる冬木

2004-12-26 03:46:29 | 文化・芸術
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<国語教諭>相田みつをの詩知らず、女子生徒けなす

このニュース、私も読んだけれど、第一感、マスコミの過剰反応の見出しが躍りすぎているのではないかということ、
この見出しではまたぞろ教師批判が必要以上に過熱するであろう事態が充分予測できること、また、すでにブログなどではその反応がかなりでており、
それら過剰反応の現象に対する警鐘として、大方の捉え方とは異なる視点から物申してみたい。

まず、報道による事実関係を列記すれば、
1. 慰謝料請求をした側は、当時中学三年生女生徒、被告側は横浜市だが、事件当該者は原告の国語担当教諭および担任女性教諭ら。
2. 事件の発端は、2001年1月、三学期の初め、国語の時間に冬休みの宿題の書初めの提出時、女生徒は相田みつを氏の書から採った「花はたださく、ただひたすらにさく」を提出。
3. その際、国語教諭は、女生徒に対し、頬に指を当て傷跡をなぞるような仕草をしながら「こういう人たちが書く言葉だね」と言った。
4. それを見ていたクラスメートたちは笑い、その後、女生徒は「やくざ」とからかわれるようになった。
5. その後、卒業文集で生徒たち互いの10年後を想像して似顔絵を描きあった際に、女生徒は頬に傷のある絵を描かれた。
6. 担任の女性教諭は、その絵を見ていながら修正することなく生徒たちに配布した。
7. その後、女生徒の母親が学校側へ抗議し、学校側は問題の文集を回収し、印刷し直した文集を配布した。
8. 女生徒側は、別件-女生徒が他の男性教諭から女生徒が腰を蹴られたこと-も含めて、学校の監督官庁である横浜市を相手どり、350万円の慰謝料請求の訴訟を起した。
9. 地裁判決は、国語教諭の発言を「嫌がらせを受けるのは当然予想され、不適切で軽率」と批判。文集についても「担任教諭が訂正の必要性を認識すべきだった」とし、別件に対する慰謝料5万円を含み、計25万円の支払を横浜市に命じた。
となっている。

このあらましを通覧する限り、成程、当該国語教諭の不適切な言動及び担任教諭の適性を欠いた文集への処理に対し、教諭らの過失責任を認め、監督官庁の横浜市に慰謝料支払を命じたものの、その額は、請求の350万円を大きく減額し、別件5万円もふくめての25万円であることを見る限り、マスコミがこれほどの騒ぎを起すほどの事件とも思えぬし、また教諭らの過失責任が重過失というほどのものではない、といえそうだということをまず述べておきたい。

そのうえで、以下は、私の常識的範囲内での推論による発言であるが、
見出しに踊る文言、「国語教諭相田みつをの詩知らず」や、「相田みつをの詩やくざ」などが、果たして事件の実態に即しているものか、ということ。
過剰な騒ぎ過ぎの見出しとなっていないかということ、について。

件の53歳の国語教諭が相田みつをの世界をまったく知らなかったとは、まず考えられない。ただ、このフレーズ「花はたださく、ただひたすらに」が相田みつをに結びつかなかったのではないか、「相田みつを」の世界は知っているが、「このフレーズ」が相田みつをのものだったとは、その時、気がつかなかっただけだろう、というのが真相だろうということ。
事実だけで云えばそのあたりがもっとも妥当なところだと思う。
冷静に考えてみていただきたい。相田みつを本といえば、少し大型の書店ともなれば、何冊もの類本が、入口付近の目立つところに平積みにされて並べられているのが実態ではないか。そんな状態がもう十数年近く続いているではないか。相田みつをの世界がどんなものであるかくらい、53歳にもなるベテランの国語教諭が知らない筈はない、と思うのがまず常識的なものだろう。
さらに云えば、相田みつをは詩人であり書家であるとされているが、彼を彼たらしめているのは、人生訓めいたごく簡潔な言葉を書で表したスタイル、あくまで書画のような世界として特徴だてられており、言葉の世界そのものに彼の独創があるのではないことを思えば、相田みつをの世界を知っていても、一女生徒が書初めの宿題として出してきた、この単純な詩句ともいえないようなありきたりのフレーズを相田みつをと気がつかないのも、国語教諭としてなんの恥にもならないだろう。


それをマスコミは、相田みつをの詩を知らず、と書き立てているのはあまりに軽率にも教師叩きのお先棒担ぎで、付和雷同の騒ぎの元凶ではないか。

この国語教諭が、現に裁かれている点も、「花はたださく、ただひたすらに」と認めた書初めを出した女生徒に対し、頬に指を当て傷跡をなぞるような仕草をしながら「こういう人たちが書く言葉だね」と云った、教師としてまことに不適切な行為だけだ。
もちろん、これだけでも到底見過ごしにはできない許されざる行為なのだが。
この点については、現場の実態、国語教諭の人柄や気質、女生徒の日常的な行動及びそれに対する教諭たちの評価など、卒業を控えた三年生なのだから、中学生活全般にわたる既存の関係模様の在り様によって、咎めだてるべき温度差も違ってこようというもので、報道されている表面だけを捉えては一概に判断し難いというのが、私の考えだ。