山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

ことしもこんやぎりのみぞれとなつた

2004-12-21 05:01:50 | 文化・芸術
Hitomaro-036-1

<言の葉の記>

<ポストコロニアリズムからの視点>

いわゆる南北問題。
第二次大戦後、多くの植民地が政治的な独立を果たしたにもかかわらず、
なお多くのアジア、アフリカ、南アメリカ、太平洋の国々が、
それまでと変らない、あるいはそれまで以上の低開発と搾取にさらされてきたのが、
いわゆる南北問題なのだが、
大企業主導の金融グローバリーゼーションともいわれる多国籍企業の独占支配体制に見られるように、
いまや先進資本主義諸国の支配は、国際的な資本や情報と文化の操作によって、
より広範な支配体制を確立し、経済的な貧富の差を拡大させている。
それは、地球の北と南との差であると同時に、同じ国のなかでも富裕な少数と貧困な多数との格差を顕在化させ、
富める者と貧しい者との差をますます広げているといえるだろう。
南北問題は、世界中のいたる処へと肥大化したのだ。


ヨーロッパ近代を植民地主義に基づく他者の創出と周縁化による自己成型のプロセスと捉えること、
言い換えれば、植民地主義(コロニアリズム)が<自己>を理想的なものとして確立するために、<他者>を生産し周縁化しようとしてきたとすれば、
周縁化された他者の側からする歴史の再構築という視点に立つポストコロニアリズムは、
そうやって排除されてきた外部が逆に中心を侵す過程に注目していくことになろう。


共同体の境界領域は、その共同体を底辺で支える行為や習慣を、境界線の外にあるとされた人々に押し付けることで形作られる。
近代においてはそれが植民地支配や先住民差別となって現出したのだが、
ポストコロニアリズムはその境界領域の形成プロセスを逆行させ、境界侵犯と自我の解体に照準を合わせ、
国境を越えた大企業主導の世界資本主義によるグローバリゼーションの現況下に対して、
激しく異議申し立てをしていくことになる。
植民地主義とそれに対する闘争は、むしろ情報や資本の世界大の発達によって激化しており、さまざまな局面で再生産され拡張され、<新植民地的(ネオコロニアル)状況>と化すなか、
この闘争は、自己対他者という二項対立を解体し、
他者が自己のアイデンティティの構成要素として自己の内部に入り込むプロセスを、
主体構成の交雑と相互干渉の過程を、ダイナミックに生きるものとなる。


ポストコロニアルの<ポスト>とは、永遠の現在進行形として、このような闘争の絶えざる過程を意味することになるだろう。

  -参照:「本当はこわいシェークスピア」本橋哲也著