山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

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2011-07-03 11:38:34 | 文化・芸術
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―四方のたより― Kからの返信

 一昨日の便りで「人間の歴史は有史以来どの時点でも末法だった」と言われましたが、正にその通りで、ぼくは以前から痛感していました。
7歳の時の神戸大空襲の体験が地獄そのものでした。逃げまどうぼくらの前に爆弾が落ち、地中の水道管に当たって不発になり、危うく一命は維持したものの、火が横に飛び、死体が転がる中を逃げ回り、なんとか助かりましたが、家は全焼してしまいました。歯はガタガタと鳴りつづけていました。それでも鉄道員の父は、家族を非番の友人に頼んで出勤していきました。その時ぼくは、このよの非情さを知ったのです。
その直後に父は過労死し、可愛がってくれた叔父は戦死、祖父は船の転覆で、大事にしてくれた従姉妹の姉さんまで肺病で逝きました。その後のぼくは文盲の祖母と二人の極貧の暮しをつづけたわけです。そのあいだに村の図書館を利用して知識だけは水準まで持っていけたはずです。
 こうした幼い時からの非情な体験から、末法のような境地を持つようになっていったようです。それで割と平気な顔をしながら、曲がった遅い足取りで世界を歩けました。そして阪神大震災のとき崩れた本に埋まりながらも、燃えさかる石油ストーブをなんとか消し止めることができました。その助かった命をネパールで具体的に生かせました。
だから西洋やキリスト教の言う天国なんてものは信じません。萩原朔太郎の詩に「天上縊死」というのがあり、天国に行き退屈のあまり首吊って死ぬという内容なのです。もちろんアイロニーですが、ここに人間の興味や悲しみが見える気がします。要するに人間は、どうしようもないオモロイ存在なのでしょう。

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 貴兄の「末法」から、ぼくの思いを少し書いてみました。
さて問題の彼女のことですが、現在こちらへの直行便もないし、来日も初めてのことなのでこの秋はあきらめ、条件が整えば、来年ぼくと一緒に来るようにしようかと考え直しています。彼女は母親と大学2年の妹を、月給1万円足らずで抱えていますので大変です。ある程度のまとまったものは遺して逝きたいと思っています。向こうは利息が高いので、始末すれば相当期間暮らせるはずです。これを得るのに弟との壁が難関です。
またいろいろお力添え頂けるようにお願い致します。
 二階に住む居候氏のことはS君から聞いて下さったと思いますが、会った時に話をしますので、よろしく‥。それから会報の件ですが、近く原稿や写真をそろえますので、版下印刷のほうをよろしくお願い致します。
暑さ厳しき折、いっそうのご自愛をお祈り申し上げます。
  ―7月2日、K.Y―

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-175

7月3日、晴、これで霖雨もあがつたらしい、めつきり暑くなつた。
朝は女魚売の競争だ、早くまはつてきた方が勝だから、もう6時頃には一人また一人、「けふはようございますか」「何かいらんかのう」。
農家のおぢいさんが楊桃を売りに来た、A伯父を想ひだした、酒好きで善良で、いつも伯母に叱られてばかりゐた伯父、あゝ。-略-
朝の散歩はよいものである。孤独の散歩者であるけれど、さみしいとは思はないほど、心ゆたかである。
振衣千仞岡、濯足万里流-といふ語句を読んでルンペンの自由をふりかへつた。
いつしよに伸べてゐた手をふと見て、自分の手が恥づかしかつた、何と無力な、やはらかな、あはれな手だろう。-略-
今日は日曜日のお天気で浴客が多かつた、大多数は近郷近在のお百姓連中である、夫婦連れ、親子連れ、握飯を持つて来て、魚を食べたり、湯にいつたり、話したり寝たり、そして夕方、うれしげに帰つてゆく、田園風景のほがらかな一面をこゝに見た。

※表題句の外、4句を記す

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Photo/妙青禅師門前の風景-’11.04.30


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