―表象の森― 浮遊する世界
・B.カスティリオーネの「廷臣論」1528
Dicendo ogni cosa al contrario –
すべてのことを「裏返しに」いえば、万事がずっと美しくなる-
この書は、マキァヴェルリの「君主論」の現実主義に対する「理想主義的」反論であり、ヨーロツパの宮廷生活様式のみならず、芸術・文学・音楽上のbella maniera-美しい手法-を牛耳ることになった。
・パルミジァニーノ「子イエスと天使たちのもとなる聖母」の優雅と繊細
繊細さは「綺想異風」芸術の不可欠の要素。それは精巧さの一構成因子であり、精神性豊かな美の一要素、秘匿されたものを可視的なものにする手段である。
血の色をした胸にかすかに触れたおそろしく長い手の聖母は、坐っているというより「浮遊」しているように見える、さなから中心の「真空」を創り出すために、重みのあるものを周辺に排除するように。
―G.R.ホッケ「迷宮としての世界-上-」岩波文庫より
―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-185
7月13日、雨、雨、雨、何もかもうんざりしてゐる、無論、私は茶もなく煙草もなく酒もなくてぼんやりしてゐるが。
正法眼蔵啓迪「心不可得」の巻拝読。
白雲去来、そして常運歩-其中庵は如何-。
とうとう我慢しきれなくなつて、おばさんからまた金20銭借る、それを何と有効に使つたことか―郵券2銭1枚、ハガキ2枚、撫子一包、そして焼酎一合!
私もどうやらかうやらアルコールから解放されさうだ、といつて、カルチモンやアダリンはまつぴらまつぴら。
午後、ぶらぶら歩いて、谷川の水を飲んだり、花を摘んだりした、これではあまりに安易すぎる、といつて動くこともできない、すこしいらいらする。
※表題句の外、1句を記す
Photo/下関市豊浦町宇賀の福徳稲荷神社-’11.04.30
-読まれたあとは、1click-