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―四方のたより―同行二人?
お気づきだろうか、7月に入ってから「山頭火の一句」の行乞記日付と、ブログ投稿の日付が一致しているのを。
偶々6月30日時点でちょうどピタリと重なったのだが、その折り、このところ何日も空けたり滞りがちだった投稿を以前のように連日書き起こし、同行二人よろしく行けるところまでいってみようと、些か大袈裟だが一念発起した次第。
とはいうものの、山頭火行乞記のほうは、念願の其中庵がめでたく小郡で結庵にいたる9月20日まで、一日も欠かさず続いているのだから、これは少しばかり難行。元来飽き性で不精者のこの身には、果たしてどこまで伴走できるものか、心許ないかぎりではあるが‥。
<日暦詩句>-35
「burst―花ひらく」 吉野弘
事務は 少しの誤りも停滞もなく 塵もたまらず
ひそやかに 進行しつづけた。
三十年。
永年勤続表彰式の席上。
雇主の長々しい讃辞を受けていた 従業員の中の一人が
蒼白な顔で 突然 叫んだ。
――諸君
魂のはなしをしましょう
魂のはなしを!
なんという長い間
ぼくらは 魂のはなしをしなかったんだろう
――
同輩たちの困惑の足下に どっとばかり彼は倒れた。
つめたい汗をふいて。
発狂
花ひらく。
――またしても 同じ夢。
―詩集「消息」-S32-より
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吉野弘―1926年、山形県酒田市に生れる。県立酒田高校卒業後、就職。徴兵検査を受けるが、入隊前に敗戦を迎える。
1949年労働組合運動に専念し、過労で倒れ、肺結核のため3年間療養。
1953年同人雑誌「櫂」に参加。1957年、詩集「消息」、1959年詩集「幻・方法」。1962年に勤務を辞めて詩人として自立。詩画集「10ワットの太陽」、詩集「吉野弘詩集」「叙景」、随筆集「遊動視点」「詩の楽しみ」など。他に合唱曲や中・高校歌の作詞がある。結婚披露宴などでよく引用される「祝婚歌」は著名。長く埼玉県狭山市に居住したが、現在は静岡県に在住。
―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-182
7月10日、ほんとうによくふると、けさはおもつた、頭痛がしてぼんやりしてゐた。
夢精! きまりわるいけれど事実だから仕方がない、もつともそれだけvital forceが残つてるのだらう!
※表題句の外、3句を記す
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Photo/小郡の其中庵、句碑「いつしか明けてゐる茶の花」-’11.04.30
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