山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

ほつくりぬけた歯を投げる夕闇

2011-07-06 14:59:32 | 文化・芸術
Dc091226106

―表象の森― G.ベイトソン「天使のおそれ」

「天使おそれて立ち入らざるところ」とはいかなる場所か‥

図書館で借りたG.ベイトソンの遺著というべきか、「天使のおそれ」を一応読了。
読むには読んだが、茫としてまとまった評の紡ぎようもない、というのが正直なところ。
やはり「精神の生態学」や「精神と自然」から読むべきなのだろう。

070604
mind in nature ―自然の中の精神-こころ-
―精神過程の世界― 本文P40より
1. 精神-こころ-とは相互に作用しあう複数の部分ないし構成要素の集合体である。
2. 精神-こころ-の各部分のあいだで起こる相互作用の引き金を引くものは差違である。
3. 精神過程は傍系エネルギーを必要とする。
4. 精神過程は、循環的-またはそれ以上に複雑な-決定の連鎖を必要とする。
5. 精神過程においては、差違のもたらす結果をそれに先行する出来事の変換形-コード化されたもの-と見なすことができる。
6. これら変換プロセスの記述と分類によって、その現象に内在する論理階型の階層構造-ハイラーキー-が明らかになる。

<日暦詩句>-33

070603
Photo/二十歳の頃の山之口貘

「鼻のある結論」     山之口貘
ある日
悶々としてゐる鼻の姿を見た
鼻はその両翼をおしひろげてはおしたゝんだりして 往復してゐる呼吸を苦しんでゐた。
呼吸は熱をおび
はなかべを傷めて往復した
鼻はつひにいきり立ち
身振り口振りもはげしくなつて くんくんと風邪を打ち鳴らした
僕は詩を休み
なんどもなんども洟をかみ
鼻の様子をうかゞひ暮らしてゐるうちに 夜が明けた
あゝ
呼吸するための鼻であるとは言へ
風邪ひくたんびにぐるりの文明を掻き乱し
そこに神の気配を蹴立てゝ
鼻は血みどろに
顔のまんなかにがんばつてゐた

またある日
僕は文明をかなしんだ
詩人がどんなに詩人でも 未だに食はねば生きられないほどの
それは非文化的な文明だつた
だから僕なんかでも 詩人であるばかりではなくて汲取屋をも兼ねてゐた
僕は来る日も糞を浴び
去く日も糞を浴びてゐた
詩は糞の日々をながめ 立ちのぼる陽炎のやうに汗ばんだ
あゝ
かゝる不潔な生活にも 僕と称する人間がばたついて生きてゐるやうに
ソヴィエット・ロシヤにも
ナチス・ドイツにも
また戦車や神風号やアンドレ・ジイドに至るまで
文明のどこにも人間はばたついてゐて
くさいと言ふには既に遅かつた

鼻はもつともらしい物腰をして
生理の伝統をかむり
再び顔のまんなかに立ち上つてゐた
  -「山之口貘詩文集」講談社学芸文庫より

070602

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-178

7月6日、雨、今日も行乞不能、ちよんびり小遣いが欲しいな!
終日歯痛、歯がいたいと全身心がいたい、一本の歯が全身全心を支配するのである。
夕方、いたむ歯をいぢつてゐたら、ほろりとぬけた、そしていたみがぴたりととまつた、―光風霽月だ。
これで今年は三本の歯がなくなつた訳である、惜しいとは思はないが、何となくはかない気持だ。
くちなしの花を活ける、町の貴公子といつた感じがある。

※表題句の外、1句を記す

070601
Photo/昭和7年1月、市街を行乞する山頭火-春陽度文庫「山頭火アルバム」より


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