いつもながらにSims3というゲームをやっていたら重くて全く先へ進まなくなってしまったので
強制終了してお酒飲みながらフローティングポインつを聴いてスーパーで購入致した豆腐懐石山芋豆腐というのを喰らっています。
初めて購入してみましたが何だこの美味さはっと叫びたくなるほどの美味さです。
いくらで買ったか覚えてませんが、たぶん高かったのだろう、2割引きシールが貼られていて
アホな、こんなうまいのに、みんな高いから買わない。
おっとこげな時間に「わ~らび~もち、あいすくりぃ~む」と売りにきてはりますね。
Floating Pointsのこのジャズハウスみたいな洒落た粋な音楽にこの妙に俗な、低俗な、庶民的な日本の昭和初期から中期の音が入ってくると変な空間になりますね。
そして今共演しているのが、彼らです。ゲコゲコゲーコゲコ。
カエルの彼らたちです。5階までもよく聴こえてくるわ。
ああ、なんていい音楽なんだろう。ちなみに今聴いているのはこれです。
Floating Points - Truly
ユーブライドに献花売っても仕方ないから、献花売ったろか?
喧嘩売ってもしかたないから、もうここでちまちまと侘しく儚げに独り言のようにぼやいていこうと思っています。
とにかく長文でぼやける場所がまたできてそれだけでテンション上がってる自分は異常だと思うが
まあそんなことはいいんです。
大したことじゃあない。
しかし明かりをデスクライトだけにすると妙にムードが出て落ち着きますね。
この炎色の明かりが私は好きでね。
今日も躁みたいだから、どうも脈絡がない。
躁ってのは一定のストレスが超過して起こるようですね。
だから葬式の日などに躁になっている人が多いと中島らもの確か
「心が雨漏りする日には」ってエッセイに書いていました。
鬱もイライラとするが、躁もちょっとしたことでイライラとするので
葬式の日にそわそわとしてイラついてる人はいるわけですね。
美しい。本当に美しい。こんな美しい音楽を創る人はどんな感性を持っているんでしょうね。
感性というのは完成することもないし、ゴールがないし
ただ変化していくだけなんだと思うとこの感性というのもまた消えていくということなんでしょうか。
人間は死ぬと、どうやらその記憶のすべてがアカシックレコードというレコード会社に買い取られるようです。
というのは嘘で、アカシックレコードとはすべての生物の記憶を記録し、保存するところのようですね。
そしてそこから記憶を掻い摘んで、次に生まれ変わってくるのかどうか、よく知りませんが
そうなると、他人のカルマを自分が背負うということになるんじゃないかと思うのですが
まあそれはそれで素晴らしい。
例えば今生で殺人者を忌み嫌っている人間は来世では殺人者のカルマを背負って生まれてくるとかね。
いやはやどういう人生を歩むのでしょう。
でもそれでなければ学べないことがあるなら、きっとそうなるんでしょう。
そうそうこないだココイチのカレーを姉と一緒に食べに行く途中に
道路の前でぼんやりと、きょとんとしているすごく綺麗な銀髪の背の小さなおばあちゃんが
立ちすくんでいる姿が車の窓から見えたのですが、いったい何を考えていたのだろうと気になります。
あんなに可愛らしいおばあちゃんなら、年を取るのもええなと思いました。
まるで子供のように生きられるのなら、年を取ることはとても楽しみになります。
ああみんながいずれ死んでいくんだなぁというのはわかるのですが
ああみんなが違う姿で生まれ変わってくるんだなぁというのはなかなか想像しづらいですよね。
でも現に物理的なところで人間は灰になれば土に帰り、煙になれば空気となって生まれ変わって生き続けているんですよね。
空気がなければ生まれてこれない生物はたくさんいますから、新しく生まれてくる昆虫や植物や動物や人間、そのすべてが死者の生まれ変わりであると感じることもできますね。
だからふと肩に蜻蛉が止まってなかなか離れないなどあれば、ああ死んだお父さんだろうか、などと思うのでしょうね。
人間の感性は本当に美しい。
本当のことはなんにもわからないのに、命与えられているということを
凄いことだとわかって誰もが健気に生活しています。
目にも見えない小さな虫たちでさえ、食べて排泄して生きています。
なんという世界が存在しているんだろう。
この世界以上の世界はあり得ないです。
パーフェクトな世界です。
強制終了してお酒飲みながらフローティングポインつを聴いてスーパーで購入致した豆腐懐石山芋豆腐というのを喰らっています。
初めて購入してみましたが何だこの美味さはっと叫びたくなるほどの美味さです。
いくらで買ったか覚えてませんが、たぶん高かったのだろう、2割引きシールが貼られていて
アホな、こんなうまいのに、みんな高いから買わない。
おっとこげな時間に「わ~らび~もち、あいすくりぃ~む」と売りにきてはりますね。
Floating Pointsのこのジャズハウスみたいな洒落た粋な音楽にこの妙に俗な、低俗な、庶民的な日本の昭和初期から中期の音が入ってくると変な空間になりますね。
そして今共演しているのが、彼らです。ゲコゲコゲーコゲコ。
カエルの彼らたちです。5階までもよく聴こえてくるわ。
ああ、なんていい音楽なんだろう。ちなみに今聴いているのはこれです。
Floating Points - Truly
ユーブライドに献花売っても仕方ないから、献花売ったろか?
喧嘩売ってもしかたないから、もうここでちまちまと侘しく儚げに独り言のようにぼやいていこうと思っています。
とにかく長文でぼやける場所がまたできてそれだけでテンション上がってる自分は異常だと思うが
まあそんなことはいいんです。
大したことじゃあない。
しかし明かりをデスクライトだけにすると妙にムードが出て落ち着きますね。
この炎色の明かりが私は好きでね。
今日も躁みたいだから、どうも脈絡がない。
躁ってのは一定のストレスが超過して起こるようですね。
だから葬式の日などに躁になっている人が多いと中島らもの確か
「心が雨漏りする日には」ってエッセイに書いていました。
鬱もイライラとするが、躁もちょっとしたことでイライラとするので
葬式の日にそわそわとしてイラついてる人はいるわけですね。
美しい。本当に美しい。こんな美しい音楽を創る人はどんな感性を持っているんでしょうね。
感性というのは完成することもないし、ゴールがないし
ただ変化していくだけなんだと思うとこの感性というのもまた消えていくということなんでしょうか。
人間は死ぬと、どうやらその記憶のすべてがアカシックレコードというレコード会社に買い取られるようです。
というのは嘘で、アカシックレコードとはすべての生物の記憶を記録し、保存するところのようですね。
そしてそこから記憶を掻い摘んで、次に生まれ変わってくるのかどうか、よく知りませんが
そうなると、他人のカルマを自分が背負うということになるんじゃないかと思うのですが
まあそれはそれで素晴らしい。
例えば今生で殺人者を忌み嫌っている人間は来世では殺人者のカルマを背負って生まれてくるとかね。
いやはやどういう人生を歩むのでしょう。
でもそれでなければ学べないことがあるなら、きっとそうなるんでしょう。
そうそうこないだココイチのカレーを姉と一緒に食べに行く途中に
道路の前でぼんやりと、きょとんとしているすごく綺麗な銀髪の背の小さなおばあちゃんが
立ちすくんでいる姿が車の窓から見えたのですが、いったい何を考えていたのだろうと気になります。
あんなに可愛らしいおばあちゃんなら、年を取るのもええなと思いました。
まるで子供のように生きられるのなら、年を取ることはとても楽しみになります。
ああみんながいずれ死んでいくんだなぁというのはわかるのですが
ああみんなが違う姿で生まれ変わってくるんだなぁというのはなかなか想像しづらいですよね。
でも現に物理的なところで人間は灰になれば土に帰り、煙になれば空気となって生まれ変わって生き続けているんですよね。
空気がなければ生まれてこれない生物はたくさんいますから、新しく生まれてくる昆虫や植物や動物や人間、そのすべてが死者の生まれ変わりであると感じることもできますね。
だからふと肩に蜻蛉が止まってなかなか離れないなどあれば、ああ死んだお父さんだろうか、などと思うのでしょうね。
人間の感性は本当に美しい。
本当のことはなんにもわからないのに、命与えられているということを
凄いことだとわかって誰もが健気に生活しています。
目にも見えない小さな虫たちでさえ、食べて排泄して生きています。
なんという世界が存在しているんだろう。
この世界以上の世界はあり得ないです。
パーフェクトな世界です。