あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

💩

2016-06-20 20:46:55 | 存念
今日も生きてくれてありがとう。と思える人がいてくれることは嬉しいことだなあ。
「私が好きな人は、別に私のことを好きじゃなくていい」
そういう人に私はなりたい。
いつかなれるだろう。なりたいなら。
全員を悲しませても生き抜きたい人生がある。
彼女は美しい。
どんなに彼女のTweet欄に頻繁にグロ画像やグロ動画や脱糞画像が埋め込まれようと
彼女のTweet欄に貼られた瞬間に美しくなる。
そこには深い人間愛がある。
人間を深く愛さなければ死体や人の死にざまや排泄物などにあれほど興味を持たないだろう。
倒錯した愛はなんと悲しいのだろう。
手に入らないものだとわかっているから人はそれを求める。
手に入れたいなら手に入るよ。
でも手に入れた瞬間もう欲しいものじゃなくなるからやっぱり手に入らない。
それは手に入れたんじゃなくって、消えたんだよ、欲しいものが。
僕は好きなものを消したくはないからこのままでいい。
どうして僕の手に触れた瞬間すべてが汚れていくように感じるのだろう。
例えば💩を触った手で何かを触ったらやっぱり触ったものも汚れるよな。
僕は💩を触ってしまったのか?
いつ、どこで、触れてしまったのだろう。
僕は、💩を探す旅に出た。
僕がいつの日か触れた💩が今もどこかに必ず、在る。
僕を呼んでいる、遠くから、呼んでいる声が聞こえる。
「おーい、此処だよ、さあ、おいで」
「見つけたぞ!」
「何を?」
「💩」
「夜の叢に当てた懐中電灯の光の中さァ」
こんなところにいたのか。
そうつぶやいて僕はそれを抱いて家に帰った。
それは確かに、汚い、汚れたものだ。
流したほうがいいよね、流せるのなら。
でも、流せない、流れないよ。
それはずっと僕を探していたんだ。
寂しく凍える声で僕を呼び続けていた。
やっと見つけることができたのだから、流すことなんて、できないよ。
ずっと一緒にいるよ。
だってこれは僕を必要としているんだから。
僕だって、必要だったんだ、必要なんだ。
かけがえのないものなんだ。
僕に向かって、それは微笑んだ。









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