あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

父と横山やすしの想い出

2016-06-28 21:40:00 | 想いで
深刻な話題が続いてかなりストレスが限界値まで来ているようで、
目が覚めた瞬間心拍数が酷く心臓がヤバそうなので、ここでひとつ、ほがらかな話題を挟みたいと思います。

昭和16年生まれのうちの父親は62歳でこの世を去るまで
一度も酔っ払う姿を目にしたことのない人で、
私の覚えている父は毎日仕事から一目散に家に帰ってきて
晩酌にはビール小瓶1瓶と決めてそれ以上は決して飲まなかった人なのですが、
若い時分に一度だけお酒を飲んでヘマをやらかしかけたことがありました。

多分1975年前後くらいの頃のことだと思います。
父は34歳前後くらいの頃です。
その頃、父は大手会社の慣れない営業の仕事をしていて、
同僚に誘われたのでしょうかお酒を飲みに行くことなど好きではない父が
同僚たちと一緒に大阪の居酒屋を転々としたのちまたひとつの居酒屋へ寄りました。

居酒屋へ入った途端、父はよく知るある男の姿を目に留め、こう呼びかけたそうです。
「お〜やっさんやないかぁ〜」
題名で既にネタバレですが、そうです、そこにいたのはあの横山やすしだったのです。
全盛期の頃だと思うので父より三つ年下のやっさんは31歳前後くらいだったのでしょうか。
やっさんは父のその明らかに俺はお前の知人だというふうな馴れなれしい呼び声に、
お、とやっさんも酔った頭でかなり思い出そうとしながら、父の方へ近づいてきて、
やっさんは普段すごく腰の低い人やったそうで、あの照れ笑いをしながらへこへこした様子で
「いや~すんまへん、どこで…お会いしましたやろかいな…」と困った顔で
父を怒らせないように十分に気遣って話しかけてきました。
(父の見た目が頬のこけて一見ちょっと上品なヤクザ系のいかつい顔だったのもあるかもしれません笑)

するとお父さんは珍しく酔っ払ってたので、こう返したそうです。
「なにゆうてんねや、いつも見てんでェ、"テレビで"」
これにやっさんは当然、ブチ切れました笑
お父さんもやっさんにへこへこされたのだから、
「あっ、こらすんまへん、テレビでいつも見とるやっさんがおったもんやから
吃驚してつい嬉しくて話しかけてもおたんですわ」
などと返していればやっさんも切れなかっただろうに(たぶん)、
偉そうに謝りもしなかったのでやっさんは瞬時、憤怒の形相になり
、163センチのやっさんは173センチくらいの父を見上げるようにしてその胸ぐらを掴むと
「ワレええかげんにさらさんかいィ、あほんだらァ」という感じで
父もまたなんでそんなことで怒るんやという悲しい怒りで切れてしまい、
互いに殴り合いの喧嘩になりかけたところ、慌てて駆け寄った周りの人間たちに引き剥がされて、
宥められ、2人とも息を荒げながらも各々の席に無理矢理着かされたようです。

そして別々の席で飲んでいると、だいぶしてお父さんは何者かに後ろから肩をぽんと叩かれました。
振り返ると横山のやっさんが立っており、お父さんに向かってあのいつものにこやかな顔でこういったそうです。
「おぅっ機嫌よう呑んで帰ってや」
お父さんはその頃はもう酔いも冷めかけていて、ものすごく感激したそうですが、
礼や謝罪を言う間もなく、やっさんはそう言った後すぐに店を出てってしまったそうです。

それからは父はもともとやっさんのことは好きだったのがそれ以来さらに大ファンになり、
やっさんがかけていたのとそっくりな黒縁眼鏡を買って気に入っていつもかけていました。
黒縁眼鏡をかけた父の姿はやっさんによく似ていました笑
感情的になってすぐ怒る(短気)、だけども憎めない、子供のような純粋な部分を持っていて、
素直で不器用な人、人情深い。という性格もよく似ていたと思います。

そしてこの遺伝子をどうやら私も受け継いでいて、
さらにやっさんの「臆病で気が弱いのに威勢を張る」
笑いの質は違えども「人を笑わせるのが大好き」「勉強嫌いの負けず嫌い」
なところなんかもよく似てるようで、ネット仲間たちから○○○は横山やすしと似てるよね笑と言われました。

怒るでィしかしィっ笑

横山のやっさんはそんなこんなで特別な芸人なのです。

やっさんが亡くなってから今年で20周年だそうで、
お父さんより三つ下なのに8年も先に旅立ったんだなと思うと、
あの日の父と父の肩を優しく叩いたやっさんとの縁というものを想像してすごく切なくなります。





他では絶対見られない③ 爆笑王 横山やすし・西川きよし 幻の名コンビここに復活



これ初めて観た。久しぶりにすごく笑った(笑)ほとんどアドリブな感じに見えてしまう。







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私の犠牲になった者

2016-06-28 07:13:01 | 食と社会問題
自分がこれまでに食べてきた肉の量が、何頭分、何羽分になるかを計算しました。

自分は30歳の時に食肉産業のあまりの残酷さを映像で見てから一切畜肉(牛、豚、鶏などの肉)
を食べていないので、1歳から離乳食で肉を食べ始めたとして29年間の食べた肉の量を計算しました。


農林水産省発表の「国民1人・1年当たり供給純食料」を見ると、
平成24年では牛肉6.0kg、豚肉11.9kg、鶏肉11.4kgとなっています。



1歳~5歳は三分の一の量の計算で、5歳~10歳は半分の量の計算、10歳~30歳までは成人の平均の量で計算しました。


1歳~5歳 

牛 8kg
豚 15,8kg
鶏 15,2kg


5歳~10歳

牛 15kg
豚 29,8kg
鶏 28,5kg


10歳~30歳

牛 120kg
豚 238kg
鶏 228kg


29年間の合計で、

牛 143kg
豚 283kg
鶏 272kg


牛や豚の体重って?一頭からどれ位の肉がとれるの?

牛は、と体(と殺された家畜の体全体のこと)の60%弱が枝肉になります。
そしてとれる肉はそのうちの約45%です。
他の55%は骨、腎臓、脂肪です。
計算してみると、体重が800キログラムの牛からとれるお肉の量は、200キログラムちょっとでしょうか。

 豚では、と体の約70%が枝肉になり、枝肉の約70%が肉になる部分です。
体重90キログラムの豚からは、44キログラムくらいの肉がとれることになります。


鶏肉は1羽あたり約1kgくらいだそうです。

それで計算しまして、29年間私が食べた(自分が食べるために食肉にされた)のは

牛 1頭
豚 7頭(6,4頭分で7頭の犠牲となります)
鶏 272羽

これだけの命が私のために犠牲となったという計算が出ました。
しかし肝やホルモン(内臓類)などはめったに食べてこなかったし(とれる肉の量に内臓も入っているなら)、部位によって自分がどの部位をよく食べたかで計算できるならもっと多い犠牲となるはずです。

昔からガリガリの体質で少量ですぐに満腹するので平均より肉は食べてこなかったと思いますが、それでも牛肉一切れ食べただけで当然ですが牛一頭を犠牲にするのと同じことなのだと改めて感じました。
牛一頭を殺さないと牛肉一切れを人間は食べることができないんですね。

豚は七頭分、あんなに無邪気で懸命に生きようとするぶたさんを私は最低でも7頭自分の手で殺してしまいました。



こんな可愛いぶたさんを食肉のために育て上げ7頭も殺してしまったんですね。

鶏は272羽も……自分は一滴も血で手を汚さずして272羽もの鶏を苦しめ続けて最後は喉を掻き切って殺してしまいました。
肉は食べないほうが人間は健康に生きていけるというのに。

続いて、まだ牛や鶏を犠牲にしてきた食品があります。それは乳製品と卵です。

平成23年度の1人当たりの年間消費量(概算値)では、牛乳・乳製品が88.6キログラム
(うち飲用31.6キログラム、乳製品56.8キログラム)


牛乳・乳製品は日本で最も需要の多い食品です

米より牛乳生産のほうがはるかに多いなんて日本はいったい何をやっているんでしょう。

がんなどの病気は「間違った食生活が原因になって起きる食源病」であり、「食生活を改める」ことによって「病気を予防する」ことが重要であると主張しました。
この「間違った食生活」とは、肉や乳製品、卵を中心とする高カロリー・高脂肪の食事のことです。
また、「たんぱく質の摂取量が増えると、乳がん、子宮内膜がん、前立腺がん、結腸・直腸がん、すい臓がん、胃がんなどの発生率が高まる」ことも、補足レポートにおいて指摘されています。

そして、ここで理想的な食事として評価されたのが「元禄時代の日本人の食事」でした。玄米を主食とし、旬の野菜や海草、小魚を食べるという食生活こそが人類の理想だということです。



日本人を病気にさせるために給食で毎日無理して牛乳を飲まされていたのでしょうか。
なんで油を使ったおかずにさらに高脂肪の牛乳を毎日200mlも飲まされ続けなくてはならなかったのでしょう。

牛乳の生産には牛を犠牲にしなくてはなりません。
酪農産業のために生まれた子牛は雄なら食肉になり、雌はお乳が出なくなればすぐに食肉に回されます。
乳製品を摂ること=牛の命を犠牲にすること となります。
子供たちはなんで「まずい、飲みたくない」と思いながら無理やり飲むことを義務付けられそのために牛を犠牲にして、さらに自分の体に病気の源を作り出さなければならないのでしょう。

◆日本における畜産動物たちの置かれている状況・実態まとめ◆

●と殺されるまでの期間と自然の寿命 ※自然の寿命は()内の数字

ブロイラー(肉用鶏): 生後50日 (15~20年)

採卵用鶏(レイヤー): 生後数ヶ月~3年以内 (15~20年)

豚 肉用: 生後6~7ヶ月程度 (10~15年)

繁殖用メス豚: 生後4~5年程度  (10~15年)

肉牛: 生後2年程度 (20年~30年)

乳牛: 生後5~6年程度、乳の出が悪くなる頃 (20年~30年)



のびのびと暮らさせて、自然と死んでしまった子たちは食肉に回すというのなら、特に問題はないはずです。
乳牛も採卵用の鶏も自然に近い状態で育て余った分だけのお乳と無精卵だけもらうなら、人間も摂りすぎることでの病気になどならないはずです。




こんな小さなヒヨコが嘴を切られています。狭い場所でたくさんのヒヨコを育てるのでストレスでみんながつつき合いをしてしまうため、それを防ぐのに麻酔なしで口ばしを機械で切られます。
鳥のくちばしは、骨のまわりを角質が覆う構造になっています。まるで骨のように硬いためになかなか想像しにくいのですが、くちばしの角質の中には血管も神経も通っています。つまり触覚もあるのです。

血管も神経も通ってて触覚もある場所を切断されたら相当痛いのではないか。

【閲覧注意】若者の表情が一瞬にして凍る「食肉生産の現場」

このサイト自体には残酷な画像などはないので見ても大丈夫だと思います。
閲覧注意とされているのはそこに張り付けられている動画ですね。

Can You Face the Reality of Factory Farming?


かなり心拍数が上がる映像です。
しかし肉食をやめたいけどもやめられない人はこれだけを見ても一発でやめられるかもしれませんので私は見ることを薦めます。

まだこの記事で書きたいことがいくつもありましたが、心拍数が落ち着くまで休んで、次の記事にまた書こうと思います。





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