あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

新月の夜

2016-06-05 21:16:00 | 音楽
Radioheadが出るサマソニの大阪一日目だけのチケットを買おうとしたら後払いができなかった。
買えないではないか。高いパソコンを買ってしまったばっかりに。
手遅れなのか、それとも来月までチケットは余ってるのか。
っつって来月は来月で金欠やし、銀行強盗でもするしかないのか。
スリか、スリをするしかないのか、どうしたらええんだ、レディオヘッドだけ観て、もう即帰ってくるつもりだが、体力が絶対持たないからね。というか、1㎞以上歩くと足が動かなくなりそうだが、なんなんだ一体、トムはうちに来てライヴやってくれはしないのか、なんだっていつもサマソニなのか、サマソニというと体力勝負な感じで体力のない人間にはつらいことこの上ない。
つうか、熱射病で倒れて死ぬやも知れまい。

「この2016年の夏、〈サマーソニック〉で
レディオヘッドを観ておかないと絶対に
後悔する10の理由 part1-総論編」とかを読んで
確かに今年にレディオヘッドを観ないとひっじょおに後悔するような気がする。
一番焦る理由はトムはもう47歳という若くはない年であるということだ。
次の作品がもしかするとまた5年後とかかもしれないわけだ。
というか最後かもしれないわけだ。自分だっていつ何が起こるかわからない。

こんなに愛しているのに。
トムの姿を間近で見たことがないなんて。
モニターに映し出されるトムを見て、または双眼鏡越しにしかトムの姿を捉えるのが難しかった2000年夏のKID Aのライヴ。
顔が、見えなかったんだ。遠すぎて。
一度でいいから、トムを間近で見たい。
前にいる人間全員のどたまを殴りつけてでも、一番前でトムを見たい。
でもそんなことしたらトムも自分も相手もつらいからやらない。
そんなことするなら家で静かにアルバムを聴いて屁ェこいてるほうがいい。

ああわかってるさ。見に行けないことの悲しみを噛み締めながら生きる。これも一つの大事な経験で試練だ。わたしは、トムがはっきりとした意識をもって生きてくれてさえいたらそれでいいんだ。満足なんだ十分なんだそれ以上を望まない。
やっぱ「Present Tense」っていい曲だな。

月がだんだんと欠けていって、新月には見えなくなる。
新しく生まれたその姿を見ることができない。
もし、真っ暗闇の水たまりが見えたなら、それは新しく生まれてこようとする月が反射しているのかもしれない。









Daydreaming

2016-06-05 16:46:22 | 音楽


こんにちは。朝には降っていた雨がすっかりやんで雨音がしなくなった部屋にいる雨音(あまね)です。

今朝は起きて喪失感が結構ありました。
何か小さなおもちゃのような家をおもちゃの道路を歩いて転々としながら行き当ったおもちゃの家の問題について考えているような夢を見た気がします。
昨日に観たRadioheadの新作の曲「Daydreaming」のPVをまだ引き摺っています。
新作「A Moon Shaped Pool 」を通しで6回聴いたと思いますが
やっぱりこれは聴くほど癖になるアルバムのようです。
いいと思える曲が少しずつ増えて来ています。
とっても、嬉しい。

そういう意味で奥深いアルバムであるのは間違いない。
思い返せば一回目聴いた時から全体的にこれは良い!と思ったのはOkコンピュータくらいじゃなかったのか
と思い出しています。
それ以外の作品はどれも聴くほどに良さのわかる作品だったのではないか。
そうするとOKコンピュータがまるで奥深くないアルバムみたいではないか、なわきゃァない。
ただその時の自分の心情にぴったしだったのだろうと思う。

しかしそれでほっとするのはまだ早く、このアルバムはそれでも軽いということが自分には信じ難いというより、受け入れ難い作品だからです。
いわゆるカタルシス、昇華と言われる突き抜けた感、超えた感はこの作品にあるのか、ないのか。
実は昨晩にはカタルシスすごくあるやんけ!と思ったが、今はまた「あるのか?」と思っています。
昨晩の自分の状態は、脳髄状態はどうだったのかと申しますとお酒をたしなんで
「深い悲しみ」という言葉をネット上に見かけただけでツイーンと目頭が痛くなり涙が出てくるような状態だった。
明らかに異常な状態だった。

今聴くと、やっぱり全体を通しては寂しい作品のように思う。
全体的にカタルシスのあるアルバムとはとても思えない。
「ヘイル・トゥ・ザ・シーフ」の最後の曲「A Wolf at the Door」のような深い悲しみや恐怖を突き抜けてやけっぱちで手に入れられた何かを感じるような終わり方もしていない。
ただふわふわと飛んでいく綿毛を見送るようなさびしい終わり方になっています。
だから余計に、気になって仕方がない。
このアルバムが気になって気になって夜も眠れない、と思ったら昨日すぐにぐっすり眠って今日も二度寝してました。
しかし約5時間半後には目が覚めたので浅い眠りを引き起こすようなアルバムかもしれない。

とにかく異様に軽いのに、異様に聴くのに身構えて慎重に聴いてしまう作品です。
軽いのに気軽な気持ちで聴けないというレディオヘッドの中で一番不思議なアルバムです。
もしかしたらそれはとんでもない重さを隠しているからなのだろうか。

わかるのは、トム・ヨークの孤独と悲しみが今までで一番深く重いものであることです。
「Daydreaming」の最後の歌詞は呪文のような言葉で、それの意味を解読した人がいらしたので
ちょっとその記事をシェアしようと思います。

“Daydreaming” [Radiohead]に込められた思いと歌詞和訳

最後のところ「Efil ym fo flaH」は逆から読むと”Half of my life”(私の人生の半分)という意味が隠されていたようです。
去年にトムは23年間付き添った妻と離婚してしまって、二人の子供ともはなればなれになってしまいました。
トムが46歳の時ですから、本当にちょうど半分の時間を共に過ごしてきた家族との別れだったわけですね。

私が最愛の父を喪ったのが私が22歳の時だったので、私と父が共に過ごした時間よりも一年多いのだなと思いました。
自分は子供を持ったことがないから子供と離れることがどれほどつらいのかわかりませんが、自分の分身であるまだ幼いとも言える子供たちと離れて暮らすことは想像してみただけでも相当つらいものがある。

5thアルバム『Hail To The Thief』の3曲目『Sail to the Moon(セイル・トゥ・ザ・ムーン)』はトムが息子のノア君のために書いた曲だった

子供のために曲を作るなど、相当子供を愛していたんだと思うと、それ思いながらDaydreamingなんて曲を聴かされたらどうもこっちまで腑抜け状態のようになってしまいますね。
その上あんなPVまで観てしまうと、悲しくてしょうがない。
今作のタイトルに「Moon(月)」が入ってるのもトムの子供たちや家族と月に深い関係があることがわかります。
月の作用で子供は生まれてきますし、月がなければすべての子供は生まれてこないのかもしれません。



Daydreaming(白昼夢)という題名の曲で、もう一度PVを載せようと思います。

Radiohead - Daydreaming


まるで生霊か亡霊のように託児所、病院、コインランドリー、スーパー、他人の家、海、駐車場などをトムが歩いて、
いくつものドアを開け、誰もいない白い部屋に行ったりして、最後は雪山の洞窟の冷たい雪の上に焚き火があって、その前に寝そべって(私の人生の半分)という言葉を何度も逆から呟きながら眠りにつこうとするところで終わっています。
さっきシェアした方のブログに書いているのを読んで気づきましたが、トムが歩いていた場所は家族との思い出があるような場所ばかりです。
でも最後にやっと居場所を見つけて安心して眠るというよりは、私はあの焚き火がもとから焚かれているのを見て、たぶんあの洞窟の中の寝床というのはトムがもともと暮らしている寝床で、トムはずっとあの冷たく暗い雪の上でひとりで生活しているんだと思ったのです。
そしてその場所から白昼夢のようにぼんやりと過去の思い出のある場所をひとり彷徨い、そこに家族はもういないことを毎回確認してはまた寒く凍えそうな洞窟へと戻り、そこで独りで眠るトムの姿を思うと、涙がちょちょぎれそうになりますけれども、今はちょっと「Ful Stop」が流れていて心が乗ってる感じなのでぐっと耐えて涙は出てこないようです。

昨夜、Radiohead - Daydreaming (Reverse video)というのをyoutubeで観て、ものすごくドキドキしました。
これは音楽とフィルムを同時に逆戻しで撮っているビデオで、トムがビデオの巻き戻しのように後戻りしていくわけですけれども
時間をさかのぼっても、トムは独りなんですよね。言いようのない悲しみを感じました。


自分は最近、婚活サイトで知り合った46歳の人に向かって、呪詛を吐き続けて相手を退会させてしまいましたが
あの人も離婚して子供と会えないことを嘆いているとてつもなく孤独な人でした。
でもって変人だったから惹かれたんだろなと思うのですが、自分はそんな人をさらに苦しめる言葉を吐きました。
たぶん彼は致命傷を負ったろうなと思います。

可哀想に、私という狂人に出会ったばっかりに。
呪詛は吐きましたが私は人を三日以上呪うということは滅多にないので三日後にはすっきりさっぱりと忘れています。
彼は致命傷を負ったままでしょう。
恐ろしいものだ、ほんとうに。

私はひどく悲しんでいるんですが、ひどく嬉しいんですよね。
流れる涙は、悲しみの涙であり、喜びの涙です。
トムが腑抜けになるほどの悲しみと孤独を経験している。
それに一緒に悲しむことができるということが私はとても嬉しい。
多くの人間が一緒に泣いているだろう。本当に多くの人間たちが。
だから最高傑作だとも言われているのだろう。
このアルバムには今までで一番深い悲しみと孤独が詰まっている。
それを高く評価する人たちが多くいる、この事実に自分は感動してしまった。

今までで一番地に足を着けないようなこの生霊的なアルバムを一番高く評価する人々もまた
深い悲しみと孤独の中生きている人が多いのかもしれまい。
自分も聴くほどにこのアルバムが自分にとって特別なアルバムのように感じてきています。
ふわふわふわふわふわふわ、ゆらゆらゆらゆらゆらゆらと飛んでいるレディオヘッドを
ただ目で追っている、耳で追っている。
あんまり遠くへ飛んで行っちゃやだよと心配しながら、ただ一緒にふわふわ飛びながら追っています。