雀庵の「常在戦場/125 アジア・太平洋を死守すべし」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/405(2021/12/13/月】極左指定暴力団「毛沢東系習近平一家」は組員が14億人と世界最強の反社会勢力である。彼らが一日永らえば世界の一日の不幸・災い、速攻で逮捕収監すべし・・・そんな収容力のある施設なんてありゃしない。だから支那まるごとを「鉄のカーテン」というバリケードで包囲し、自然解凍、解党させるのがいい。
同じく極左指定暴力団プーチン・ロシアも習近平一家とは兄弟仁義で結ばれた仲だが、最近は習近平との間に隙間風が吹き始めたという噂も聞かれるようになった。インテリヤクザの露にとって、恐喝とカネでシマの拡大を図るだけの粗野な習近平一家とは距離を置いた方がいいと思い始めたのかどうか・・・
中露との2正面対立を避けたいバイデンはプーチンに擦り寄り、プーチンは習近平への疑念を強めているらしいから、米露の緊張緩和は渡りに船、いずれもキツネとタヌキの外交だからよく分からないが、家業が天然ガス屋のプーチンとしてはドルやユーロを稼ぐために「とりあえず米とは手をつないでおいた方がいい」という判断だろう。
ただ、プーチンがインドや米国と握手するのは、習近平一家にとっては結構な不安材料で、普通なら「あまり押し出すとまずいか・・・暫くは軍事緊張を煽るのは控えた方がいいかもしれない」と自重するのだが、習近平・中共は普通じゃないから「自滅への道」を歩き続けそう。油断は禁物、「常在戦場」で備えるべし。
岩間弘著「大東亜解放戦争」掲載の「読者の声 渡辺秀穂」から。( )は小生の補足。
<私、「大東亜解放戦争」愛読者です。上下巻とも何度も繰り返し読ませていただきました。あの戦争に参戦したものとして非常な感銘を受けました。
私、今年80歳。昭和15年海軍に入り、無線電信員として巡洋艦、敷設艦、航空母艦などに勤務し、最後は台湾澎湖島で終戦になりました。戦闘地域は米、英、蘭が植民地支配する南太平洋から西太平洋にかけて、先生の言われる通り、まさに植民地解放のための米英蘭軍との血みどろの戦いでした。随分多くの戦友を失いました。
スラバヤで初めての休養上陸を許された艦長が乗務員を集めて、「我々の任務は南方方面を植民地支配する米英蘭軍との戦いである。ただいまから上陸を許可するが、決してインドネシアの皆さんにご迷惑をおかけすることのないように」と訓示されたのを思い出します。私たちもそれを肝に銘じて戦闘に従事してきました。現地の皆さんも非常に協力してくださいました。
それなのに何故、内外から侵略者呼ばわりされるのか、生き残った我々はまだいいとして、ひたすら祖国の正義と勝利を信じて南海に散っていった多くの戦友たちが可哀想でなりません。この度「大東亜解放戦争」を読ませていただき、心が晴れ晴れとしました。本当にありがとうございます。
私は日支事変(1937年7月7日の盧溝橋事件~)の頃小さかったのでよく分からなかったのですが、通州事件(1937年7月29日)については小学校で先生が「通州というところで支那の兵隊に日本人がたくさん殺されて、池に投げ込まれ、池が真っ赤になっているそうだ」と話してくれたのを覚えています。
(通州事件:冀東防共自治政府麾下の保安隊(中国人部隊)が、日本軍の通州守備隊・通州特務機関及び日本人居留民を襲撃・殺害した事件。通州守備隊は包囲下に置かれ、通州特務機関は壊滅し、200人以上におよぶ猟奇的な殺害、処刑が中国人部隊により行われた/WIKI)
「大東亜解放戦争」により当時の状況や、大人たちの支那に対する気持ちが良く理解できます。あのような状況の中で暴支膺懲(ぼうしようちょう)の気運が国民の間に燃え上がって当然と思います。識者の中に「中国での日本のやり方は間違いであった」などという方がおられますが、当時のアジア情勢や国民感情を経験しない者が、そのようなことを軽々しく口にすべきではないと思います。その時代を生きて来られた先輩方に対して失礼に当たると思います。
私は昭和19年9月、艦隊勤務から陸上勤務になり、台湾澎湖島の漁翁島(漁師の島の意)という小さな島に電波探知所の設置を命ぜられ、部下約20名を引き連れ渡りました。来襲する敵機を探知して無線で馬公とか高雄の本隊へ連絡する仕事をしておりましたが、とうとう終戦になりました。台中、台南には行ったことはありませんが、「台湾」と聞いただけでとても懐かしいです。
台湾は今大変ですが、漁翁島の皆さんどうしておられるか、お世話になった郭昌さんご家族のことが心配です。
終戦後しばらく愛媛県で百姓をしておりましたが、昭和23年3月、大阪府警に奉職しました。その時の大阪府警察学校長、日向警視が憲法講義の時に言われた言葉、「こんな骨抜き憲法押し付けられて、人のいい日本人はずいきの涙を流して喜んでいるが、半世紀も経てば日本は大変なことになるぞ」と・・・まさにその通りになりました。
マッカーサーが占領軍司令官としてパイプをくわえ厚木飛行場に降りたら、「日本人の骨を抜いてやる」と言ったとか。アメリカの謀略にはめられ、ガタガタにされ、半世紀たってもまだ気が付かない人のいい日本人は、反日勢力には好都合でしょうが、日向警視の先見の明にはまさに脱帽です。
私も職務を通じて戦後の日本の姿を見て参りました。占領軍から押し付けられた日本憲法と東京裁判史観を「錦の御旗」に執拗な活動を続ける反日勢力、今や政界の中枢にまで入り込んでいるのですから、日向警視の言われた通り「大変なこと」になりました。
近隣諸国には馬鹿にされ、アメリカにはいい加減にあしらわれ、国のことなどどこ吹く風と太平楽を決め込んでいる日本人、いつからこんな情けない民族になったのか。昔の日本人が懐かしい気持ちです。
願わくば、これからの沢山の若い方たちに先生の著作を読んでいただき、日本人の心を取り戻していただきたいと思っております>
渡辺さん、大丈夫だ、多くの人が「日本人の心を取り戻し」つつある。日本は間もなく「アジア・太平洋のスタビライザー」として再起三起する。世界は日の出を待っている。撃ちてし止まん!
・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
まぐまぐID 0001690154「必殺クロスカウンター」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/405(2021/12/13/月】極左指定暴力団「毛沢東系習近平一家」は組員が14億人と世界最強の反社会勢力である。彼らが一日永らえば世界の一日の不幸・災い、速攻で逮捕収監すべし・・・そんな収容力のある施設なんてありゃしない。だから支那まるごとを「鉄のカーテン」というバリケードで包囲し、自然解凍、解党させるのがいい。
同じく極左指定暴力団プーチン・ロシアも習近平一家とは兄弟仁義で結ばれた仲だが、最近は習近平との間に隙間風が吹き始めたという噂も聞かれるようになった。インテリヤクザの露にとって、恐喝とカネでシマの拡大を図るだけの粗野な習近平一家とは距離を置いた方がいいと思い始めたのかどうか・・・
中露との2正面対立を避けたいバイデンはプーチンに擦り寄り、プーチンは習近平への疑念を強めているらしいから、米露の緊張緩和は渡りに船、いずれもキツネとタヌキの外交だからよく分からないが、家業が天然ガス屋のプーチンとしてはドルやユーロを稼ぐために「とりあえず米とは手をつないでおいた方がいい」という判断だろう。
ただ、プーチンがインドや米国と握手するのは、習近平一家にとっては結構な不安材料で、普通なら「あまり押し出すとまずいか・・・暫くは軍事緊張を煽るのは控えた方がいいかもしれない」と自重するのだが、習近平・中共は普通じゃないから「自滅への道」を歩き続けそう。油断は禁物、「常在戦場」で備えるべし。
岩間弘著「大東亜解放戦争」掲載の「読者の声 渡辺秀穂」から。( )は小生の補足。
<私、「大東亜解放戦争」愛読者です。上下巻とも何度も繰り返し読ませていただきました。あの戦争に参戦したものとして非常な感銘を受けました。
私、今年80歳。昭和15年海軍に入り、無線電信員として巡洋艦、敷設艦、航空母艦などに勤務し、最後は台湾澎湖島で終戦になりました。戦闘地域は米、英、蘭が植民地支配する南太平洋から西太平洋にかけて、先生の言われる通り、まさに植民地解放のための米英蘭軍との血みどろの戦いでした。随分多くの戦友を失いました。
スラバヤで初めての休養上陸を許された艦長が乗務員を集めて、「我々の任務は南方方面を植民地支配する米英蘭軍との戦いである。ただいまから上陸を許可するが、決してインドネシアの皆さんにご迷惑をおかけすることのないように」と訓示されたのを思い出します。私たちもそれを肝に銘じて戦闘に従事してきました。現地の皆さんも非常に協力してくださいました。
それなのに何故、内外から侵略者呼ばわりされるのか、生き残った我々はまだいいとして、ひたすら祖国の正義と勝利を信じて南海に散っていった多くの戦友たちが可哀想でなりません。この度「大東亜解放戦争」を読ませていただき、心が晴れ晴れとしました。本当にありがとうございます。
私は日支事変(1937年7月7日の盧溝橋事件~)の頃小さかったのでよく分からなかったのですが、通州事件(1937年7月29日)については小学校で先生が「通州というところで支那の兵隊に日本人がたくさん殺されて、池に投げ込まれ、池が真っ赤になっているそうだ」と話してくれたのを覚えています。
(通州事件:冀東防共自治政府麾下の保安隊(中国人部隊)が、日本軍の通州守備隊・通州特務機関及び日本人居留民を襲撃・殺害した事件。通州守備隊は包囲下に置かれ、通州特務機関は壊滅し、200人以上におよぶ猟奇的な殺害、処刑が中国人部隊により行われた/WIKI)
「大東亜解放戦争」により当時の状況や、大人たちの支那に対する気持ちが良く理解できます。あのような状況の中で暴支膺懲(ぼうしようちょう)の気運が国民の間に燃え上がって当然と思います。識者の中に「中国での日本のやり方は間違いであった」などという方がおられますが、当時のアジア情勢や国民感情を経験しない者が、そのようなことを軽々しく口にすべきではないと思います。その時代を生きて来られた先輩方に対して失礼に当たると思います。
私は昭和19年9月、艦隊勤務から陸上勤務になり、台湾澎湖島の漁翁島(漁師の島の意)という小さな島に電波探知所の設置を命ぜられ、部下約20名を引き連れ渡りました。来襲する敵機を探知して無線で馬公とか高雄の本隊へ連絡する仕事をしておりましたが、とうとう終戦になりました。台中、台南には行ったことはありませんが、「台湾」と聞いただけでとても懐かしいです。
台湾は今大変ですが、漁翁島の皆さんどうしておられるか、お世話になった郭昌さんご家族のことが心配です。
終戦後しばらく愛媛県で百姓をしておりましたが、昭和23年3月、大阪府警に奉職しました。その時の大阪府警察学校長、日向警視が憲法講義の時に言われた言葉、「こんな骨抜き憲法押し付けられて、人のいい日本人はずいきの涙を流して喜んでいるが、半世紀も経てば日本は大変なことになるぞ」と・・・まさにその通りになりました。
マッカーサーが占領軍司令官としてパイプをくわえ厚木飛行場に降りたら、「日本人の骨を抜いてやる」と言ったとか。アメリカの謀略にはめられ、ガタガタにされ、半世紀たってもまだ気が付かない人のいい日本人は、反日勢力には好都合でしょうが、日向警視の先見の明にはまさに脱帽です。
私も職務を通じて戦後の日本の姿を見て参りました。占領軍から押し付けられた日本憲法と東京裁判史観を「錦の御旗」に執拗な活動を続ける反日勢力、今や政界の中枢にまで入り込んでいるのですから、日向警視の言われた通り「大変なこと」になりました。
近隣諸国には馬鹿にされ、アメリカにはいい加減にあしらわれ、国のことなどどこ吹く風と太平楽を決め込んでいる日本人、いつからこんな情けない民族になったのか。昔の日本人が懐かしい気持ちです。
願わくば、これからの沢山の若い方たちに先生の著作を読んでいただき、日本人の心を取り戻していただきたいと思っております>
渡辺さん、大丈夫だ、多くの人が「日本人の心を取り戻し」つつある。日本は間もなく「アジア・太平洋のスタビライザー」として再起三起する。世界は日の出を待っている。撃ちてし止まん!
・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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