中国の明日、日台の明日(1)
“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」136/通算568 2023/2/12/日】2/10は終日雪だったが、2/11の建国記念日は快晴で暖かだった。多摩川では釣り人が増え、日射しの良い場所では白梅、紅梅、水仙などが咲き始めている。3月6日は啓蟄、もうすぐ春、良いことがありそうな気分になる。今日も頑張って習近平・中共を蹴飛ばそう!
中国、支那、漢族・・・大昔から世界を揺るがす存在だったが、「良い隣人」か「畏怖すべき隣人」か「危険な隣人」か、評価は定まっていない。日本にとっては「何をするか分からない危険で嫌な隣人」と、小生はそう思っている。
大国というのは毀誉褒貶が当たり前か。今でも米国は「戦時にあっては敵、平時にあっては友。永遠の敵も永遠の友もない」と思っているようだ。世界の国家をざっくりと親米、反米、様子見の3派に分類し、「世界の警察官ではない」と言いながらも外交や有事への備えに熱心だ。
日本の場合、世界で最も獰猛な中露北は完全な「反日」であり、いずれとも国境を接している。米国の庇護、日米安保条約がなければ速攻で日本は沈没するという地政学的に最悪な位置にある。
1945年の第2次大戦終結以降、先進国=自由民主人権法治の資本主義諸国同士の戦争はなくなった。「羹(あつもの)に懲りて鱠(なます)を吹く」感じだが、世界の安定にとってEUやNATO設立は大前進だ。日本の奮闘を機に植民地も皆独立した。旧植民地は未だに民族問題などで政治が不安定な国が多いが、旧宗主国など先進国の支援が続けば徐々にではあれ落ち着いていくのではないか。
一方、一党独裁・個人独裁の共産主義国である中露は相変わらず領土拡大への意欲が強く、周辺国に対する戦争、紛争、威嚇を続けている。ほとんどビョーキだ。
共産主義は「世界革命」で国境と資本主義をなくせば国家間の競争、戦争はなくなり、皆が平等に食えるという“宗教”だ。世界革命は容易ではないから、ソ連と子分の中共などソ連圏は「この世の天国」を目指して「国家独占計画経済」を進めた。
しかし、共産党エリートだけが「この世の天国」で私腹を肥やしたものの、人民は餓死者続出、死屍累々、食糧を始め何から何まで慢性的な物不足という「この世の地獄」で、本家のソ連は1991年に自滅してしまった。
子分だった中共も、小生が訪中した1980年頃でも物不足、食糧不足、仕事不足がひどかったが、トウ小平の英断「改革開放」政策=資本主義経済導入であっという間に「世界の工場」になり、やがて「世界の市場」にもなった。
毛が「建国の父」なら、トウ小平は「発展の父」である。この14億の人口と世界2位の経済力を持つ大国は今後どうなるのか・・・世界の関心事だろう。小生も興味津々だ。まずは簡単に中国の近・現代史を振り返ると――
1911~12年の辛亥革命で清朝(満洲族)が政権を親欧米の孫文らに禅譲したが、軍閥が割拠する中、新国家は不安定のまま孫文は1925年に没。
革命の象徴だった孫文亡き後、結党(1921年)間もない中国共産党は活動を活発化し、欧州で遊学中の周恩来(中国政府の金欠で奨学金が下りずに留学を断念)はベルリンで、ドイツ留学中だった朱徳(職業軍人)と知り合い、それを機に朱徳は急速に共産主義にかぶれていった。
以来、中国共産党は1949年の建国まで朱徳(軍事担当、郷土の支援を受けて出世したため恩返しの義務があった苦労人、1886年生まれ)、毛沢東(政治担当、スターリンの子分、裕福な家柄の教師、詩人、自己愛傾向、1893年生)、周恩来(生き延びるために毛の側近に徹した通称「不倒翁」、善人面ながら政敵殺しに長けている、1898年生)らが主導していく。
毛沢東は1948年に蒋介石・国民党との内戦に勝つことで最高指導者の地位を固めた。軍人の朱徳は軍事に優れ、かつ年長だったこともあり、革命戦争中は敬意を表されていたが、建国の時は既に63歳、「建軍の父」として中央人民政府副主席などの肩書を得たものの、56歳の毛沢東の風下に置かれたことは随分不本意だったようだ。鬱屈を紛らわすためか奥さんはとっかえひっかえ6人! ビョーキだろう、これは。
建国後、毛沢東による強権独裁政治は1億人の不自然死をもたらした。餓死、暴行死、自殺で死屍累々。1976年に毛沢東が死去して以来、中国共産党の公式見解は「毛沢東は7割貢献、3割失敗」。甘く見ても6割貢献、4割失敗の気がするが・・・
兎にも角にも清朝崩壊以降の内戦、外戦がとりあえず終わったから毛の貢献は評価されてしかるべきだとは思うが、「政権は銃口から生まれる」という彼の“戦狼”的国家運営哲学と世界革命願望は変わらなかった。
WIKIから引用すると、建国直後の1952年に朝鮮戦争に参戦、1959年にチベット蜂起を鎮圧、1962年にインドと武力衝突(中印国境紛争)、1969年に中ソ国境紛争。
内政では大躍進政策の失敗によって失脚(お飾りの名誉職)していた毛沢東は起死回生のために1966年からプロレタリア文化大革命(文革)を発動、同時期には内モンゴル人民革命党粛清などを含めて、1976年に毛が死去するまでに「文革時の死者40万人、被害者1億人」(中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議)という大人災をもたらした。
カリスマ毛沢東が老死すると実務派(経済重視)の“鼠を捕る賢い黒猫”トウ小平は改革開放政策で資本主義経済を採り入れて中国を蘇生、発展させたが、毛沢東崇拝の激しい習近平は共産党総書記に就任(2012/11/15)以降、改革開放から毛沢東時代の「党による、党のための国家独占計画経済」へ戻る動きを進めている。
同時に毛沢東と並ぶ栄誉を得たいのだろう、「箔(貫禄)」を付けるために台湾と日本への侵略を目指している。トウ小平も1979年2月、「生意気なベトナムへの懲罰」だと中越戦争を開始したが、「箔を付けるためだった」と小生は思っている。「この戦争は中国人民解放軍の撤退で終わったものの、1950年6月の朝鮮戦争以来の中国の大規模な軍事作戦であり、この戦争を主導したことは中国国内の権力闘争でトウ小平に有利に働いたとも評されている」(WIKI)
習近平は大嫌いな走資派(資本主義推進派)のトウ小平を乗り越えるためにも熱戦で台湾と日本を叩き、勝利し、毛と並ぶ「偉大な指導者」になりたいのだ。プーチンもレーニン&スターリンと並ぶ「偉大な指導者」になりたい、歴史に名を刻みたい。名誉欲に駆られ病膏肓、つける薬なしか?
両国の民も長い、長過ぎる戦乱と圧政の歴史の中で事大主義(強い権力者になびく)や「上に政策あれば下に対策あり」を処世術として身につけている。残念ながら内部から独裁者の習やプーチンとその一党を駆除する意欲も力もない。そもそも有史以来、民主主義の経験がほとんどないし報道の自由もないのだから“圧倒的多数”の国民は「自国が異常だ」とは思ってもいない。異常だと思う人は他国へ逃げだしている。
自由民主陣営が熱戦を回避するためにまずすべきは中露陣営を経済封鎖していくことだ。特に軍事転用されるハイテク技術の流出を防ぐ。並行して自国の戦力を高め、経済安保も確保する。NATOやアジア太平洋諸国との連携を強化する。
中共を最大の脅威として永らく対峙しているインドは、中共を抑止するためにロシアと友好関係にあるが、これを非難してはいけない。有事でロシアが「インドと中共のどちらかを選ばなければならない」という事態になれば、中露紛争の長い歴史から見てロシアはインドを選ぶ可能性があるからだ(中露は本音ではお互いに嫌っているのではないか)。特にアジア太平洋諸国にとって有事の際に14億の大国インドが中立を保つだけでもプラスである。中共にとっては対印軍事行動を制約されるからマイナスだ。
小生は現状をそんな風に見ているが、同じ日本人でも色々で、中露を愛し日本を嫌う人もいるし、圧倒的多数はそもそも関心がない。自らに火の粉が降りかかるようになると危機感を持ち、発奮したり疎開したりするが、それまでは概ね無関心である。夏彦翁曰く「健康とはそういうものだ、健康は嫌なものである」。
中露の国民に独裁政権を駆逐するパワー、自浄能力があるといいのだが、中国にはかつてはその気概の萌芽が短期ながらあった。調べてみると、辛亥革命も明治維新も人口のたった2%が動かしたらしい。維新当時の日本の人口は3500万人ほどだから2%は70万人。2%でも35万人対35万人の激突と見れば凄いものだ。
辛亥革命の頃、清朝の人口を3億人とすれば全土で600万人が清朝打倒で武装蜂起したことになる。清朝は満洲族の政権だが、「清朝時代の満洲民族の人口は200万人ほど」(WIKI)、600万人対200万人、これでは多勢に無勢、清朝がビビって政権を譲ったのもむべなるかな。
人口≒軍事力の面はある。中国の為政者が好戦的なのは、どこの国よりも人口が多い、というか溢れかえっているからでもあるのか。もっとも、日清戦争で従軍記者として戦場にいた岡本綺堂は、清の兵隊は負けると数日後に日本軍陣地に来て雑役係としてアルバイトをしていたという。
支那で徴兵されるのは主に次男三男で、特に村の厄介者、箸にも棒にもかからない連中が多かったとか。魯迅の言う「阿Q」のようなクズ、ゴロツキの類。町長や村長が指名し、とっ捕まえて軍に差し出すのだ。「良い鉄は釘にならない」、ろくでもない者が兵隊になる、と支那人は大昔から思っている。
1970年代後半からの「一人っ子政策」で若者はチヤホヤされて育った一人っ子ばかりになったが、兵士は人気職業で、「戦争のない安心安全な職場」だからだという。変な国!
支那4000年の兵士の伝統では、いやいやながら前線に送られるので「まったくやる気なし」である。前線から逃げる兵士を後方から射殺する「督戦隊」があるのは世界でも支那だけだろう。1950~53年の朝鮮戦争でも督戦隊が兵士を煽るというか駆除するつもりか、殺しまくっていたという。突撃兵士は共産軍に投降した旧国民党の兵士で、武器も持たせず敵陣へ特攻させたのだ。敵の弾薬を消耗させ、同時に厄介払いする(林建良・台湾独立建国連盟日本本部委員長)・・・凄い国!
内戦で中共に負けた蒋介石軍は1949年前後から台湾に逃げ込んだが、鍋釜をもって上陸した兵士の服装はまるで乞食、中には逃亡できないようにおでこに入れ墨をされた者がいたという。異次元の民族!
日本の敗戦後、日本人は日本に帰る、放置された台湾人は「我々の国はどこか、中国なのか」と不安と期待があったが、この乞食&入れ墨兵士を見て絶望した。悲劇、虐殺、地獄の始まりだった。以下次号。
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【雀庵の「大戦序章」136/通算568 2023/2/12/日】2/10は終日雪だったが、2/11の建国記念日は快晴で暖かだった。多摩川では釣り人が増え、日射しの良い場所では白梅、紅梅、水仙などが咲き始めている。3月6日は啓蟄、もうすぐ春、良いことがありそうな気分になる。今日も頑張って習近平・中共を蹴飛ばそう!
中国、支那、漢族・・・大昔から世界を揺るがす存在だったが、「良い隣人」か「畏怖すべき隣人」か「危険な隣人」か、評価は定まっていない。日本にとっては「何をするか分からない危険で嫌な隣人」と、小生はそう思っている。
大国というのは毀誉褒貶が当たり前か。今でも米国は「戦時にあっては敵、平時にあっては友。永遠の敵も永遠の友もない」と思っているようだ。世界の国家をざっくりと親米、反米、様子見の3派に分類し、「世界の警察官ではない」と言いながらも外交や有事への備えに熱心だ。
日本の場合、世界で最も獰猛な中露北は完全な「反日」であり、いずれとも国境を接している。米国の庇護、日米安保条約がなければ速攻で日本は沈没するという地政学的に最悪な位置にある。
1945年の第2次大戦終結以降、先進国=自由民主人権法治の資本主義諸国同士の戦争はなくなった。「羹(あつもの)に懲りて鱠(なます)を吹く」感じだが、世界の安定にとってEUやNATO設立は大前進だ。日本の奮闘を機に植民地も皆独立した。旧植民地は未だに民族問題などで政治が不安定な国が多いが、旧宗主国など先進国の支援が続けば徐々にではあれ落ち着いていくのではないか。
一方、一党独裁・個人独裁の共産主義国である中露は相変わらず領土拡大への意欲が強く、周辺国に対する戦争、紛争、威嚇を続けている。ほとんどビョーキだ。
共産主義は「世界革命」で国境と資本主義をなくせば国家間の競争、戦争はなくなり、皆が平等に食えるという“宗教”だ。世界革命は容易ではないから、ソ連と子分の中共などソ連圏は「この世の天国」を目指して「国家独占計画経済」を進めた。
しかし、共産党エリートだけが「この世の天国」で私腹を肥やしたものの、人民は餓死者続出、死屍累々、食糧を始め何から何まで慢性的な物不足という「この世の地獄」で、本家のソ連は1991年に自滅してしまった。
子分だった中共も、小生が訪中した1980年頃でも物不足、食糧不足、仕事不足がひどかったが、トウ小平の英断「改革開放」政策=資本主義経済導入であっという間に「世界の工場」になり、やがて「世界の市場」にもなった。
毛が「建国の父」なら、トウ小平は「発展の父」である。この14億の人口と世界2位の経済力を持つ大国は今後どうなるのか・・・世界の関心事だろう。小生も興味津々だ。まずは簡単に中国の近・現代史を振り返ると――
1911~12年の辛亥革命で清朝(満洲族)が政権を親欧米の孫文らに禅譲したが、軍閥が割拠する中、新国家は不安定のまま孫文は1925年に没。
革命の象徴だった孫文亡き後、結党(1921年)間もない中国共産党は活動を活発化し、欧州で遊学中の周恩来(中国政府の金欠で奨学金が下りずに留学を断念)はベルリンで、ドイツ留学中だった朱徳(職業軍人)と知り合い、それを機に朱徳は急速に共産主義にかぶれていった。
以来、中国共産党は1949年の建国まで朱徳(軍事担当、郷土の支援を受けて出世したため恩返しの義務があった苦労人、1886年生まれ)、毛沢東(政治担当、スターリンの子分、裕福な家柄の教師、詩人、自己愛傾向、1893年生)、周恩来(生き延びるために毛の側近に徹した通称「不倒翁」、善人面ながら政敵殺しに長けている、1898年生)らが主導していく。
毛沢東は1948年に蒋介石・国民党との内戦に勝つことで最高指導者の地位を固めた。軍人の朱徳は軍事に優れ、かつ年長だったこともあり、革命戦争中は敬意を表されていたが、建国の時は既に63歳、「建軍の父」として中央人民政府副主席などの肩書を得たものの、56歳の毛沢東の風下に置かれたことは随分不本意だったようだ。鬱屈を紛らわすためか奥さんはとっかえひっかえ6人! ビョーキだろう、これは。
建国後、毛沢東による強権独裁政治は1億人の不自然死をもたらした。餓死、暴行死、自殺で死屍累々。1976年に毛沢東が死去して以来、中国共産党の公式見解は「毛沢東は7割貢献、3割失敗」。甘く見ても6割貢献、4割失敗の気がするが・・・
兎にも角にも清朝崩壊以降の内戦、外戦がとりあえず終わったから毛の貢献は評価されてしかるべきだとは思うが、「政権は銃口から生まれる」という彼の“戦狼”的国家運営哲学と世界革命願望は変わらなかった。
WIKIから引用すると、建国直後の1952年に朝鮮戦争に参戦、1959年にチベット蜂起を鎮圧、1962年にインドと武力衝突(中印国境紛争)、1969年に中ソ国境紛争。
内政では大躍進政策の失敗によって失脚(お飾りの名誉職)していた毛沢東は起死回生のために1966年からプロレタリア文化大革命(文革)を発動、同時期には内モンゴル人民革命党粛清などを含めて、1976年に毛が死去するまでに「文革時の死者40万人、被害者1億人」(中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議)という大人災をもたらした。
カリスマ毛沢東が老死すると実務派(経済重視)の“鼠を捕る賢い黒猫”トウ小平は改革開放政策で資本主義経済を採り入れて中国を蘇生、発展させたが、毛沢東崇拝の激しい習近平は共産党総書記に就任(2012/11/15)以降、改革開放から毛沢東時代の「党による、党のための国家独占計画経済」へ戻る動きを進めている。
同時に毛沢東と並ぶ栄誉を得たいのだろう、「箔(貫禄)」を付けるために台湾と日本への侵略を目指している。トウ小平も1979年2月、「生意気なベトナムへの懲罰」だと中越戦争を開始したが、「箔を付けるためだった」と小生は思っている。「この戦争は中国人民解放軍の撤退で終わったものの、1950年6月の朝鮮戦争以来の中国の大規模な軍事作戦であり、この戦争を主導したことは中国国内の権力闘争でトウ小平に有利に働いたとも評されている」(WIKI)
習近平は大嫌いな走資派(資本主義推進派)のトウ小平を乗り越えるためにも熱戦で台湾と日本を叩き、勝利し、毛と並ぶ「偉大な指導者」になりたいのだ。プーチンもレーニン&スターリンと並ぶ「偉大な指導者」になりたい、歴史に名を刻みたい。名誉欲に駆られ病膏肓、つける薬なしか?
両国の民も長い、長過ぎる戦乱と圧政の歴史の中で事大主義(強い権力者になびく)や「上に政策あれば下に対策あり」を処世術として身につけている。残念ながら内部から独裁者の習やプーチンとその一党を駆除する意欲も力もない。そもそも有史以来、民主主義の経験がほとんどないし報道の自由もないのだから“圧倒的多数”の国民は「自国が異常だ」とは思ってもいない。異常だと思う人は他国へ逃げだしている。
自由民主陣営が熱戦を回避するためにまずすべきは中露陣営を経済封鎖していくことだ。特に軍事転用されるハイテク技術の流出を防ぐ。並行して自国の戦力を高め、経済安保も確保する。NATOやアジア太平洋諸国との連携を強化する。
中共を最大の脅威として永らく対峙しているインドは、中共を抑止するためにロシアと友好関係にあるが、これを非難してはいけない。有事でロシアが「インドと中共のどちらかを選ばなければならない」という事態になれば、中露紛争の長い歴史から見てロシアはインドを選ぶ可能性があるからだ(中露は本音ではお互いに嫌っているのではないか)。特にアジア太平洋諸国にとって有事の際に14億の大国インドが中立を保つだけでもプラスである。中共にとっては対印軍事行動を制約されるからマイナスだ。
小生は現状をそんな風に見ているが、同じ日本人でも色々で、中露を愛し日本を嫌う人もいるし、圧倒的多数はそもそも関心がない。自らに火の粉が降りかかるようになると危機感を持ち、発奮したり疎開したりするが、それまでは概ね無関心である。夏彦翁曰く「健康とはそういうものだ、健康は嫌なものである」。
中露の国民に独裁政権を駆逐するパワー、自浄能力があるといいのだが、中国にはかつてはその気概の萌芽が短期ながらあった。調べてみると、辛亥革命も明治維新も人口のたった2%が動かしたらしい。維新当時の日本の人口は3500万人ほどだから2%は70万人。2%でも35万人対35万人の激突と見れば凄いものだ。
辛亥革命の頃、清朝の人口を3億人とすれば全土で600万人が清朝打倒で武装蜂起したことになる。清朝は満洲族の政権だが、「清朝時代の満洲民族の人口は200万人ほど」(WIKI)、600万人対200万人、これでは多勢に無勢、清朝がビビって政権を譲ったのもむべなるかな。
人口≒軍事力の面はある。中国の為政者が好戦的なのは、どこの国よりも人口が多い、というか溢れかえっているからでもあるのか。もっとも、日清戦争で従軍記者として戦場にいた岡本綺堂は、清の兵隊は負けると数日後に日本軍陣地に来て雑役係としてアルバイトをしていたという。
支那で徴兵されるのは主に次男三男で、特に村の厄介者、箸にも棒にもかからない連中が多かったとか。魯迅の言う「阿Q」のようなクズ、ゴロツキの類。町長や村長が指名し、とっ捕まえて軍に差し出すのだ。「良い鉄は釘にならない」、ろくでもない者が兵隊になる、と支那人は大昔から思っている。
1970年代後半からの「一人っ子政策」で若者はチヤホヤされて育った一人っ子ばかりになったが、兵士は人気職業で、「戦争のない安心安全な職場」だからだという。変な国!
支那4000年の兵士の伝統では、いやいやながら前線に送られるので「まったくやる気なし」である。前線から逃げる兵士を後方から射殺する「督戦隊」があるのは世界でも支那だけだろう。1950~53年の朝鮮戦争でも督戦隊が兵士を煽るというか駆除するつもりか、殺しまくっていたという。突撃兵士は共産軍に投降した旧国民党の兵士で、武器も持たせず敵陣へ特攻させたのだ。敵の弾薬を消耗させ、同時に厄介払いする(林建良・台湾独立建国連盟日本本部委員長)・・・凄い国!
内戦で中共に負けた蒋介石軍は1949年前後から台湾に逃げ込んだが、鍋釜をもって上陸した兵士の服装はまるで乞食、中には逃亡できないようにおでこに入れ墨をされた者がいたという。異次元の民族!
日本の敗戦後、日本人は日本に帰る、放置された台湾人は「我々の国はどこか、中国なのか」と不安と期待があったが、この乞食&入れ墨兵士を見て絶望した。悲劇、虐殺、地獄の始まりだった。以下次号。
・・・・・・・・・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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