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中露に侵される日本領土(3)

2023-02-07 09:28:37 | 戦争
中露に侵される日本領土(3)
“シーチン”修一 2.0

【雀庵の「大戦序章」134/通算566 2023/2/7/火】梅が咲き始めた。桜の芽も緑っぽくなってきた。体調も少しずつ良くなってきた感じだ。2月を乗り越えれば春が来る。上手くいけば今年も生き延びるかもしれない。何のために? 日本を取り戻すために。このままではご先祖さまに申し訳ないから・・・

老生に何ができるのか、扇動くらいだ。大学院レベルの工作、洗脳、インテリジェンスは難しいが、拙くても正論モドキで同志を刺激し、勇武の精神、大和魂の回復に寄与したいものである。まあ、10年20年の長期戦にはなりそうだ。元気で長生きせにゃならんぜ、同志諸君!

と、いうことで今日もお付き合いを・・・踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿保なら踊りゃな損々。祭りを楽しむ人が9割、祭りを企画運営する人が1割とすれば、9割は散財し、1割は儲ける。先の五輪で私腹を肥やした人は「不正だ、汚職だ」と叩かれているが、嫉妬されている面もあるだろう。

嫉妬→shit→クソ。「くそっ! アタマにくるぜ」なんて思うことは結構あるが、口に出すと「品がない」と軽蔑されるから良き国民はあまり言わないね。「ゲス野郎、頭いかれてるんじゃね、そのうち天誅をくらうぜ」と心の中で罵倒するくらいだ。夏彦翁曰く「人皆飾ってモノを言う」。

小生は記者・編集者・プロダクションを仕事にしてきたから企画・扇動して儲ける側である。「儲ける」と言っても仲間や顧客と毎晩のように酒を飲めたくらいで、嫉妬を招くほどのレベルではなかった。適度な散財はストレス発散、ガス抜きのようなもので、それがあるからやっていられた、という感じ。

六本木当たりの映像制作会社のプロデューサーやディレクター、オペレーター、技術者は、徹夜が当たり前の結構ハードな仕事で、その代わり年収は30年近く前の1995年あたりでも30歳程ながら1300万円ほどだった。普通のサラリーマンの2~3倍。

小生とタッグを組んでいたテレビ朝日映像のディレクターの楽しみはオカルト映画とフェラーリで、オカルト映画は「妹が一人で見るのは怖いと言うから付き合っている」と言っていたが、そのうち本人も好きになったようだ。一種のマゾか? フェラーリについては、首都高や六本木通りを咆哮のような爆音を立ててぶっ飛ばすと、「どうだ、凄いだろう、俺と愛車は注目されているのだ!」と優越感を覚え、すっきりするらしい。

当時は「過労死」なんて言う言葉はなく、特に締め切り商売の出版界では徹夜が当たり前で、得意先のリクルートの女子社員がこう言っていたものである。「モーレツ社員は30歳を過ぎると白髪になる人が多いのよ。女性の場合は生理が止まっちゃう、子供の産めない体になっちゃうのよ」。凄い世界。

倒れるまで働いて、倒れると「自己管理ができない奴」と蔑まされる・・・今から見ると凄い時代だったなあと思わないでもないが、みんな“ビジネス戦士”だったから、それは珍しくはなかった。米国や欧州の先進国は、敗戦国の日本がまたたく間に経済大国にのしあがったことに恐れをなし、弱体化させるために残業は規制しろ、有給休暇を消化させろ、週休2日にせよ、輸入を増やせ、などと大和民族の弱体化を進めたに違いない。黄色人種・日本への嫉妬心?

この世は金持ちから貧乏人までいろいろだが、金持ちや高給取りは元気に散財とか消費することで経済を活性化させ、経済が良くなれば庶民も1500万円のフェラーリは無理としても、今なら500万円前後の車は買えるようになった、ローンだけれど。多摩丘陵の交通不便な山の上でもバンバン家が立て込んできたが、皆、車があるからさして不便を感じないのかも知れない。数年前から町内会が小型バスを運行するようにもなった。

政権、為政者は昔はアメとムチで秩序を維持したものだが、戦後の自由民主の選挙時代の今はムチがなくなり「アメ=福祉のバラマキ」で人気・票を得ようとする。国民は質実剛健、自律自助の根性をどんどん忘れていく。結局、国家への依存が大きくなり、努力もしないで「生活が苦しい、もっと支援を!」というパラサイトみたいな人がどんどん増えているような気がする。日米欧など先進国はそんな印象だ。

ケチなことは言いたくないが、国民健康保険、介護保険、市県民税、固定資産税で年間58万円、ナント年金の半分を小生は徴収されているが、これが反日の在日外国人を含めたバラマキ福祉にも使われていると思うと「ナンカナー」の気分だ。国家に「寄与」するのではなく、国家に「寄生」するような人が増えるばかりではやがては亡国になるのではないか。

岸田政権は国防に目覚めたのかどうか・・・宗主国の米国から「もっと危機感を強めろ、国防予算を倍増しろ」と促されてワーワーやっているだけかも知れない。首相の器ではない人が艦橋に立っているようで、政府への支持率が低いのは多くの国民が「なにやってんだか、右往左往、バタバタしているだけみたい」と思っているからだろう。総じて楽観的で学問が稀薄、軽佻浮薄で、哲学、国家観がない、という政党や政治家は短期で終わるようだ。親中の宏池会政権・・・「江(沢民)の傭兵」こと河野洋平の息子、河野太郎よりマシかも知れないが、“我らの内なる国難”の様相は高まるばかり。市井の国民が踏ん張らなければ日本沈没だ。

日本人の覚醒を促す山本皓一氏著/写真「中国・ロシアに侵される日本領土」から。

<作家の椎名誠氏とともにアルゼンチンとチリにまたがる地域、南米大陸最南部のパタゴニアを旅したのは40年前の1983年のことである。最南端のディエゴ・ラミレス諸島は南極の一歩手前、樹木も一切ない、いわば岩礁である。嵐が吹き荒れ、とうてい人が暮らせないような島に6名の兵士が常駐していると聞き、大いに驚かされた。

前年の1982年4月よりアルゼンチンとイギリスの間で「フォークランド紛争」が勃発していた。両軍合わせ904名の兵士が死亡、イギリスが勝利を収めている。

アルゼンチンと長い国境(5300Km)で接するチリはこの紛争でイギリスを支援する立場に回っていた。ディエゴ・ラミレス諸島はチリ最南端の島であり、「国境」である。アルゼンチンはフォークランド紛争で敗れたものの、領有権の主張を取り下げなかった。アルゼンチンを警戒するチリ軍が国境を監視していたのは当然だったと言えるだろう。

どんな絶海の孤島であろうとも「自国」の領土には何らかの施設を築いて自国民を配置し、実行支配を示す。そうした「ショー・ザ・フラッグ」が徹底されているのを目の当たりにした私は、平和に慣れ過ぎた日本との差異に愕然とした。その後、世界の様々な「国境」を取材するたびに、その思いは強くなるばかりだった。

「国境」は、その国の有り様を映し出す。地雷が埋められ、戦車や銃が常時向かい合う軍事境界線もあれば、隣接国の住民が悠然と自由往来する“緩い”国境も存在する。国家の領域を分ける線上には、主権に対する有形無形の思想がある。国境を見ることは、その国の本質を見ることなのだと、私はある時期からそう確信するようになった。

2020年、新型コロナウイルスが世界に拡散した際、加盟国の間で実質的に撤廃されていたEU諸国の「国境」が一時、続々と復活した。平時であれば見えない「国家」の姿が真っ先に可視化される場所、それが国境なのである。

1970年代より「週刊ポスト」のカメラマンとして海外取材が多かった私は、当時、世界各地で重大なテロ事件を起こしていた「連合赤軍」メンバーと疑われることが頻繁にあった。「怪しい東洋人」と見られがちだったからか、国境を通過する際に決まって厳重に所持品を検査され、身元確認のため足止めを食らうことも珍しくなかった。そのたびに国境の「厳しさ」を実感した。

「世界の国境には、命懸けの人々がやって来る」――そんな現実もたびたび目の当たりにした。島国の日本とは違い、陸続きの大陸国家では、国境に関する情報を正確に把握することが、クーデターや軍事衝突が起きた際に、自国だけでなく個人レベルでも自らの命を守るための必須条件となっているのだ。

もとは個人的な辺境ロマンから始まった私の国境への興味は、いつしか母国である日本に向けられるようになった。そしていざ、そこに目を向けてみた時、「戦後の日本」が封印し、棚上げし、先送りしてきた問題が手つかずで残されていたことに気付かされた。

大戦で敗北した日本において「交戦」は重大なタブーとなり、隣国との軍事的な緊張を回避することが最優先に置かれたため、積極的な領有権主張や実効支配強化の施策はことごとく敬遠された。

国境政策には古今東西の膨大な知識を必要とする上に、難度の高い外交交渉も必要だが、そうした苦労の割に票につながる仕事ではない。だから本気で領土問題に取り組む政治家が少なかったのだろう。

1990年代まで、私が「北方領土、尖閣、竹島を撮ってくる」と話すと、しばしばこんなことを言われた。「写真の上手な右翼みたいですね・・・」。相手は冗談半分だったのかも知れないが、私は無力感に襲われた。

それでもかつて日本人が暮らした痕跡を追い求め、国境の島に渡航することにこだわり続けた。このテーマに対する関心に、右も左も関係ない。民主主義国家だろうが社会主義国家だろうが、あるいは独裁専制国家だろうが、「国境を守る」ことは国のトップ・プライオリティーの政策であり、国民にもその意識は浸透している。

まずは日本人に「国境の姿」を見てもらいたいとの思いだったが、30年以上に及ぶ取材を継続してきたことで、その目的は多少なりとも達成できたのではないかと自負している。たとえ人の住まない小さな島であったとしても、そこには軍事的、経済的、歴史的、学術的に極めて重要な意味合いがあり、「死守すべき価値」がある。近年ようやく日本人の間にもそうした理解が広まってきた。大きな前進である。

報道写真家としての立場から、最後にどうしても述べておきたいことがある。日本が自国の国境を隠すようなことがあってはならないということだ。国境の島をめぐる現実――すなわち日本人の上陸禁止や渡航自粛要請、撮影、発表の制限といった制約だらけの状況を変えなければ、日本人が本当に日本の「最果て」に興味を持ち、そこから物事を考えていくという建設的な循環は生まれようもない。

尖閣諸島に関しては現状、約15年以上、民間人による上陸取材が途絶えている状況だが、対中国という政治的な視点から実効支配のあり方を考えるだけでなく、「国内の問題」として早期に情報公開を目指すべきである。石垣市の尖閣諸島での「標柱設置」がその第一歩となることを期待している。

日中国交正常化を成し遂げた田中角栄は、密着取材していた私にこんなことを話していた。「戦争を知っている人間がいるうちはいいが、そのうちいなくなる。そのとき、日本は怖いことになる」

かつて国境の島で暮らした日本人たちも高齢化が進み、やがて証言者がいなくなってしまう時代が来る。領土問題という日本の大きな「宿題」を解決するための知恵が、後世に正しい形で残されることを切に祈り、本書の結びとしたい>(以上)

氏の「中国・ロシアに侵される日本領土」は図書館から借りていたが、返却前にアマゾン経由で入手した。「読書百遍意自ずから通ず」、小生は良書は5回くらい読まないとオイシサが分からないと思っているから、座右の書にしたいのは購入するようにしている。

書庫が満杯のため厳選しているが、良書は脳の劣化を抑えてくれる効能もあり、薬やサプリメントに比べてとても安価だ。それなのに5回も楽しめるからコストパフォーマンスが非常に高い。出版文化は後退気味で、特に良書は売行きが芳しくないから出版人が意地と良心で出している面がある。良書を購入することは良き出版文化を支えることでもある。

ベストセラーの寿命は精々2年3年だが、良書は「20年後、30年後、50年後でも生きている書籍」である。質素倹約、シンプルライフ嗜好の小生にはぴったりだ。出版人よ、同志よ、共に頑張ろうぜ。
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