核兵器なき日本は沈没する
“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」101/通算533 2022/10/18/火】2017年2月に精神病院を退院(3か月ルール)して家に戻ると小生の部屋は3Fのペントハウス(元・子供部屋)になっていた。要は2Fから追放され3Fに隔離されたのである。
以来5年間、風雨が激しかった時を除いて先月9月19日の敬老の日までそこそこ平和、安穏だったのだ。翌日の彼岸入りから強烈な台風が2つ連続で来襲、我が家は3F屋上の目に見えない隙間から水漏れし、2Fのあちこちでポタポタ雨漏り、築30数年の経年劣化を思い知らされることになった。永遠に平和が続くという平和ボケのツケが回ってきたのだよ、同志諸君!
以来、この1か月、小生は「水漏れ攻撃に屈しない強靭鉄壁な安全保障」を目指し、腰痛ベルトで腰を引き締め、死にもの狂いで奮闘努力し、我が家史に残るだろう「史上最大の作戦」を開始したのである。
今月中に終わればいいが・・・要は油断していたのだ、警戒心ゼロ、誠に油断大敵。大事になる前にちょこちょこ営繕、備え、強靭化に努めることが大事だということ。分かっちゃいるけど・・・
人は「勝利、平和」よりも「敗北、負け戦」から多くを学ぶのだろう。それを理解した頃はあの世行きで、次代にその体験が継承されることは少ないよう。過去、歴史、先人の蓄積された「知」が軽視されるために同じ失敗を重ねたりする。
「だって人間なんだもん」・・・笑って済ませられることならいいが、今年から「第3次世界大戦」という言葉がメディアでずいぶん使われるようになった気がする。産経でも10/17の4段1/2広告「クライテリオン11月号」に「第三次世界大戦と戦後新秩序 台湾・ウクライナ情勢の中長期展望」という表現があった。備えあれば患いなし、備えなければ大事になる、ということ。国家も個人も次元が違うが万一に備えるべし。
加瀬英明先生はギックリ腰で4か月ほど入院・療養していたが、今は元気になられて良い論稿を連発している。小生は単細胞で視野狭窄的だが、先生の論稿は複眼で小生の気付かなかったことを教えてくれる。以下の2本の論稿も刺激的だった。
★その1:10/14「大東亜戦争の夢 両親の面影をみる幼少期」から。
<【アジア解放に憧れて】 今年、月刊『文藝春秋』が創刊100周年を迎えた。今から30年ほど前だろうか『文藝春秋』誌が新聞に、社主・故菊池寛以下、創刊以来の執筆者を寄稿回数が多い順に並べた1ページ広告をのせたことがあった。私は自分でも驚いたが、70数番目という上位にあった。
『文藝春秋』にいまでも「おやじ」「おふくろ」という、それぞれ1ページのコラムがある。私は「おやじ」の平成13年2月号に寄稿しているが、「おふくろ」のほうは気が乗らなかったので書くことがなかった。
父親は仕事に没頭していたから私を叱ったことがなく、ペットもどきに扱ったので兄のようだったが、母親は私の一挙一動を意にそわせようとして躾け、教育に煩く、好意をいだけなかった。
父はエリート外交官だったが、外交官は身のまわりの出費が多いから、裕福な家の娘を娶る者が多かった。父もその一人だった。
母は典型的なお嬢様だった。有名銀行の頭取の娘で、“バター臭い”家庭で育ち、敬虔なキリスト信者だった。私は母のお嬢様のようなところが、友人たちに恥しかった。まさか随筆に母を嫌っていたとは書けなかった。といって母を嫌っていたわけではなく、そりが合わなかったのだ。外から見たら、ふつうの母と息子だったろう。
私はアメリカに留学した時に、アメリカに「マイ・マザー、ドランク・ノア・ソバー(泥酔していても、シラフでも、わたしの母(マザー))」という諺があるのを知って、その通りだと思った。
私が幼稚園に通っている時に、英米に対する戦争に突入していた。コロナによって2年中断されているが、毎年、クラス会を開いてきた珍しい幼稚園だ。戦時下の小学校へあがった。「贅沢は敵だ」というスローガンを信じていたので、母親の西洋気触(かぶれ)の派手な服装がうとましかった。
【「和魂洋才」と和魂】 当時の世界は、白人至上主義のもとにあった。アメリカではトランプ政権からBLM(ブラック・ライブス・マター、*反トランプ)運動が全土を風靡したが、私が生まれ育った世界では、世界の大半を占める有色人種が白人の支配下にあって逆境を強いられていた。
私が物心がついたことから、支那事変(左が日中戦争と呼ぶ)が続いていた。アメリカが日本にけしかけていると教えられたが、いまから振り返っても、多分に正しい見方だった。
私も子供たちも、日本がアジアを白人から解放する使命を授かっていると信じていた。終戦の年に国民学校(小学)3年生だったが、いまでも「興亜の大業」という難しい言葉を覚えている。
母親の西洋気触れを嫌ったのは、浅薄なことだった。日本が近代化を遂げて先進国になれたのも、西洋の主要国と戦うことができたのも、国をあげて西洋を模倣したからだった。
「和魂洋才」といわれたが、洋才を駆使するためには、洋魂を取り入れねばならなかった。私が高校生のころも、欧米へ渡るのを「洋行」といって憧れたし、試験でよい成績をとると「上等舶来(じょうとうはくらい)」と叫んだ。
【連合国と国連】 日本陸海軍は観閲式で指揮刀を抜いて、唇の前に立てて鞘に収めることを行ったが、これは十字軍の礼式だ。刀身と鍔が交差しているのを十字架に見立てて、接吻したのだった。皇軍がキリスト教の礼法を用いたのは、滑稽だっただろうか。
アメリカのルーズベルト(FDR)政権は日本が屈服した後に、白人至上主義の世界支配を続けるためのシステムをつくろうと思い立った。「ユナイテッド・ネーションズ」(日本訳で、国際連合)を創設することだった。
ルーズベルト大統領は日本が真珠湾を攻撃した翌月の1942年1月1日に、日本と戦っていた諸国をワシントンに招集して、「これから私たちの同盟を『ユナイテッド・ネーションズ(連合国)』と呼ぼう」といって、「連合国」の名称が決まった。
日本軍が第2次大戦の最後の年となった1945年5月に、沖縄に来攻した米軍を迎えて勇戦していた時に、急死したルーズベルトに代ったトルーマン大統領が、サンフランシスコに国連を創設する会議を招集した。新しい国際組織の名称は「ユナイテッド・ネーションズ」とすることが決定された。日本と戦っていることが、加盟国の条件とされたために、慌てて日本に宣戦布告した国が多かった。
昭和20年の朝日新聞を読むと、十月まではサンフランシスコで誕生した『ユナイテッド・ネーションズ』を正しく「連合国」と呼んでいるが、11月から突然「国際連合」「国連」に変更している。
国連が「連合国」であっては、日本を敵とする機構であるのがみえみえだ。広島、長崎に爆弾を投下したのも「連合国(ユナイテッド・ネーションズ)」ではなかったか。
だが、今日の世界のどこを探しても“国際連合”という名称の国際機関は存在していない。中国では国連を「連合国」、韓国も「ヨンハプグク(連合国)」、同じ敗戦国のドイツ、イタリアも「連合国」とそのまま使っている。
【アジアの独立戦争勝利が世界戦争の終結】 私の事務所はいつも千客万来で賑わっている。議員、作家、芸能人、労働組合幹部、外国の学者など、あらゆる職種の人たちが集まってくるから楽しい。『カレント』の矢野弾先生も、その一人だった。今年急逝されたが、惜しい人を失った。
矢野先生の縁で事務所に立ち寄られたのか覚えていないが、Aさんという高齢美形の女性がおられる。みるからに良家の令嬢で、仏教伝来について学術書も出版されており、私がその本の内容を批判したことから、会話のよき伴侶となるようになった。
私はAさんにお目に掛かるたびに、生真面目、教養人で、西洋に憧れてキリスト信者でおいでのところも、母によく似ているのに驚いた。最後にお会いした時に、Aさんが「世界戦争が終わって、国連、国連機関のユネスコが生まれ、ユネスコ憲章は気高い」といわれたので、「ユネスコ憲章はクズみたいなものです。ユネスコは平和に有害です」と答えた。
私がその直後に入院したので申し上げる機会がないが、先の世界戦争は日本が降伏した時に終わっていない。その意味で、日本が第2次大戦に参入した時に「大東亜戦争」と名づけたのは正しかった。日本が降伏した後に、アジアを再び植民地とするために、連合国軍がインドネシア、ベトナム、マレーシアなどに攻め込んだ。
日本が剣を捨てた時に、アジアの同胞が日本の大東亜戦争を戦い続けた。先の世界戦争は、インドネシア、ベトナムなどが独立戦争に勝った時にようやく終わった。アフリカ大陸も呼応して、次々と独立していった。
緒戦で日本が勝っていたころは、私もアジア太平洋につぎつぎと日の丸が書き込まれるのを見て狂喜した。開戦時に決定した「大東亜戦争」という戦争の呼称も使っていたが、サイパン島が失陥したあたりから、しだいにアジアの解放の夢が語られなくなり、「本土決戦」「一億総特攻」に変わってしまった。
今日の日本では先の戦争を白人優位主義史観に従って「太平洋戦争」と呼ぶのが良識で、「大東亜戦争」だと時代遅れの右翼だとみられる。
「大東亜戦争」のほうが正しい>(以上)
小生は加瀬先生の本は「日本と台湾」しか読んでいないが、もっと早くから読んでいれば、と悔やまれる。近年では産経新聞への寄稿もないようだが、統一教会を巡る問題でもあるのだろうか。
★その2:10/13の加瀬先生の論稿「世界最強国をあきらめない アメリカの業病」も勉強になった。以下転載。
<米国のバイデン政権が発足してから、11月で2年目の折り返し点を迎えるが、米国が世界のナンバー・ワンの地位を失いつつあると取沙汰されている。私はそう思わない。20年、30年たっても、米国が世界のナンバー・ワンであり続けよう。つねに世界の最強国でいたいのが、米国の業病である。
米国人であれば、誰もが1960年にニクソン副大統領と、ケネディ候補が大統領選挙を戦った時のテレビ討論を見たことがある。これが最初のテレビ討論となったが、ソ連がこの3年前に米国に先んじて人工衛星『スプートニク』を地球一周する軌道に乗せたために、米国民がソ連に追い越されると深い衝撃を受けた。
ケネディが「このままではソ連に追い抜かれる」と危機を煽り立てたのに対して、ニクソンがソ連の経済や、技術力からいってありえないと、理を尽して反論したが敗れた。
「米国が衰退しつつある」という警告は、新しいものではない。米国民をそのつど奮起させてきた。米国民が常用している、精力増強剤のサプリのようなものだ。
米国は1970年代に日本に追い越されるという恐怖心に駆られた。日本が今日の中国のようなものだった。
日本が米国経済の誇りあるニューヨークのロックフェラー・センターを買収するかたわら、エズラ・ボーゲル・ハーバード大学教授が『ジャパン・アズ・ナンバー・ワン』という著書を発表して、ベストセラーになった。もっともボーゲル教授に気の毒なことに、この本が出版された直後に日本のバブル経済が破裂して、日本が萎(しぼ)んでしまった。日本国民はこのころのことを忘れて健忘症を患っている。
1980年の大統領選挙で、レーガンが民主党のカーター大統領が弱腰外交を行ったと攻撃して、「強いアメリカ」をつくり国防費を大幅に増額することを訴えて勝った。米国は息を吹き返した。
これまで米国では衰退してゆくという閉塞的な気分から、自信を取り戻すシーソーゲームを繰り返してきた。
オバマ大統領は2011年の年頭教書演説のなかで、「これはわれわれの世代における“スプトニク(危機の)モーメント”だ」と訴えた。このままゆくと、中国に追い越されると、危機感を露わにした。
オバマ大統領のあとを継いだトランプ大統領のスローガンは、「アメリカ・ファースト」「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン!」(米国を再び偉大な国家としよう!)というものだ。泡沫候補でしかなかったのに、このスローガンによって大統領候補の金的を射止めた。
米国民は“ナンバー・ワン”の地位を保つために、衰退論を好んでいる。達磨人形のような起上り小法師だ。米国はベトナム戦争やアフガニスタン戦争の失敗によって鼻血をだして、一時、畏縮するが、傲慢無礼な態度を改めることがない。
なぜ、米国は“ナンバー・ワン”の力を失わないのか。米国は自由で、熾烈な競争社会だ。地縁、人縁を捨てて集まった国だから、自分の力と金(かね)の力しか頼るものがない。
米国は活力が溢れているから混乱しているようにみえる。いま、ウクライナ戦争という突発事によって“グローバリゼーションの時代”が中断されているが、グローバリゼーションは世界の大きな流れだ。誰でも米国を訪れれば肌で感じることができるが、米国はグローバリゼーションにもっとも適している。
ところが米国衰退論は、困ったことにソ連や中国のような国を鼓舞する。ブレジネフ書記長はソ連圏が米国を凌駕しつつあると誇って、失敗した。中国もこの轍を踏むのではないか>(以上、*は修一)
小生思うに、南北戦争(Civil War、内戦、1861~1865年)のお陰でペリー率いる米国による日本侵略=植民地化の機会が1945年の日本敗戦まで遠のいたが、今、米国が万が一でも民主党派と共和党派に分裂して内戦(状態)になったりすると被保護国の日本はどうなるのだろうと不安になる。
小生の見立てでは、民主党派は「自由平等を表向きの看板にするも本質はモラルなき弱肉強食の銭ゲバ系アカモドキの大きな政府志向」、共和党派は「伝統・秩序・内政を重んじ外交は基本的に宥和的ながら反共で一国平和主義の小さな政府志向」である。
米国が内戦になれば「日本を守ろう」どころではない。日米安保体制が休眠状態になれば日本、台湾は真っ先に中露北の侵略を受け地獄、亡国になることは明白だ。
小生は米国民主党を“隠れアカ”FDRルーズベルト政権以降、蛇蝎の如く嫌悪しているが、とにもかくにも日本が核兵器なしのノーズロ状態の今は内戦は避けて欲しいと願っている。豪やNZもその思いは強いだろう。米国の外交・軍事パワーが緩むと今の世界、特にアジア太平洋は速攻で中露北に蹂躙される。
国家の安全を米国に委ねて銭ゲバ道一直線・・・今さら悔いても嘆いても何の解決にもならない。大急ぎで核兵器を含めた軍事力・抑止力・抵抗力の強化を進めるべし。
・・・・・・・・・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
https://note.com/gifted_hawk281/n/n9b3c7f4231f9
https://www.facebook.com/shuichi.ishii.14
まぐまぐID 0001690154「必殺クロスカウンター」
“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」101/通算533 2022/10/18/火】2017年2月に精神病院を退院(3か月ルール)して家に戻ると小生の部屋は3Fのペントハウス(元・子供部屋)になっていた。要は2Fから追放され3Fに隔離されたのである。
以来5年間、風雨が激しかった時を除いて先月9月19日の敬老の日までそこそこ平和、安穏だったのだ。翌日の彼岸入りから強烈な台風が2つ連続で来襲、我が家は3F屋上の目に見えない隙間から水漏れし、2Fのあちこちでポタポタ雨漏り、築30数年の経年劣化を思い知らされることになった。永遠に平和が続くという平和ボケのツケが回ってきたのだよ、同志諸君!
以来、この1か月、小生は「水漏れ攻撃に屈しない強靭鉄壁な安全保障」を目指し、腰痛ベルトで腰を引き締め、死にもの狂いで奮闘努力し、我が家史に残るだろう「史上最大の作戦」を開始したのである。
今月中に終わればいいが・・・要は油断していたのだ、警戒心ゼロ、誠に油断大敵。大事になる前にちょこちょこ営繕、備え、強靭化に努めることが大事だということ。分かっちゃいるけど・・・
人は「勝利、平和」よりも「敗北、負け戦」から多くを学ぶのだろう。それを理解した頃はあの世行きで、次代にその体験が継承されることは少ないよう。過去、歴史、先人の蓄積された「知」が軽視されるために同じ失敗を重ねたりする。
「だって人間なんだもん」・・・笑って済ませられることならいいが、今年から「第3次世界大戦」という言葉がメディアでずいぶん使われるようになった気がする。産経でも10/17の4段1/2広告「クライテリオン11月号」に「第三次世界大戦と戦後新秩序 台湾・ウクライナ情勢の中長期展望」という表現があった。備えあれば患いなし、備えなければ大事になる、ということ。国家も個人も次元が違うが万一に備えるべし。
加瀬英明先生はギックリ腰で4か月ほど入院・療養していたが、今は元気になられて良い論稿を連発している。小生は単細胞で視野狭窄的だが、先生の論稿は複眼で小生の気付かなかったことを教えてくれる。以下の2本の論稿も刺激的だった。
★その1:10/14「大東亜戦争の夢 両親の面影をみる幼少期」から。
<【アジア解放に憧れて】 今年、月刊『文藝春秋』が創刊100周年を迎えた。今から30年ほど前だろうか『文藝春秋』誌が新聞に、社主・故菊池寛以下、創刊以来の執筆者を寄稿回数が多い順に並べた1ページ広告をのせたことがあった。私は自分でも驚いたが、70数番目という上位にあった。
『文藝春秋』にいまでも「おやじ」「おふくろ」という、それぞれ1ページのコラムがある。私は「おやじ」の平成13年2月号に寄稿しているが、「おふくろ」のほうは気が乗らなかったので書くことがなかった。
父親は仕事に没頭していたから私を叱ったことがなく、ペットもどきに扱ったので兄のようだったが、母親は私の一挙一動を意にそわせようとして躾け、教育に煩く、好意をいだけなかった。
父はエリート外交官だったが、外交官は身のまわりの出費が多いから、裕福な家の娘を娶る者が多かった。父もその一人だった。
母は典型的なお嬢様だった。有名銀行の頭取の娘で、“バター臭い”家庭で育ち、敬虔なキリスト信者だった。私は母のお嬢様のようなところが、友人たちに恥しかった。まさか随筆に母を嫌っていたとは書けなかった。といって母を嫌っていたわけではなく、そりが合わなかったのだ。外から見たら、ふつうの母と息子だったろう。
私はアメリカに留学した時に、アメリカに「マイ・マザー、ドランク・ノア・ソバー(泥酔していても、シラフでも、わたしの母(マザー))」という諺があるのを知って、その通りだと思った。
私が幼稚園に通っている時に、英米に対する戦争に突入していた。コロナによって2年中断されているが、毎年、クラス会を開いてきた珍しい幼稚園だ。戦時下の小学校へあがった。「贅沢は敵だ」というスローガンを信じていたので、母親の西洋気触(かぶれ)の派手な服装がうとましかった。
【「和魂洋才」と和魂】 当時の世界は、白人至上主義のもとにあった。アメリカではトランプ政権からBLM(ブラック・ライブス・マター、*反トランプ)運動が全土を風靡したが、私が生まれ育った世界では、世界の大半を占める有色人種が白人の支配下にあって逆境を強いられていた。
私が物心がついたことから、支那事変(左が日中戦争と呼ぶ)が続いていた。アメリカが日本にけしかけていると教えられたが、いまから振り返っても、多分に正しい見方だった。
私も子供たちも、日本がアジアを白人から解放する使命を授かっていると信じていた。終戦の年に国民学校(小学)3年生だったが、いまでも「興亜の大業」という難しい言葉を覚えている。
母親の西洋気触れを嫌ったのは、浅薄なことだった。日本が近代化を遂げて先進国になれたのも、西洋の主要国と戦うことができたのも、国をあげて西洋を模倣したからだった。
「和魂洋才」といわれたが、洋才を駆使するためには、洋魂を取り入れねばならなかった。私が高校生のころも、欧米へ渡るのを「洋行」といって憧れたし、試験でよい成績をとると「上等舶来(じょうとうはくらい)」と叫んだ。
【連合国と国連】 日本陸海軍は観閲式で指揮刀を抜いて、唇の前に立てて鞘に収めることを行ったが、これは十字軍の礼式だ。刀身と鍔が交差しているのを十字架に見立てて、接吻したのだった。皇軍がキリスト教の礼法を用いたのは、滑稽だっただろうか。
アメリカのルーズベルト(FDR)政権は日本が屈服した後に、白人至上主義の世界支配を続けるためのシステムをつくろうと思い立った。「ユナイテッド・ネーションズ」(日本訳で、国際連合)を創設することだった。
ルーズベルト大統領は日本が真珠湾を攻撃した翌月の1942年1月1日に、日本と戦っていた諸国をワシントンに招集して、「これから私たちの同盟を『ユナイテッド・ネーションズ(連合国)』と呼ぼう」といって、「連合国」の名称が決まった。
日本軍が第2次大戦の最後の年となった1945年5月に、沖縄に来攻した米軍を迎えて勇戦していた時に、急死したルーズベルトに代ったトルーマン大統領が、サンフランシスコに国連を創設する会議を招集した。新しい国際組織の名称は「ユナイテッド・ネーションズ」とすることが決定された。日本と戦っていることが、加盟国の条件とされたために、慌てて日本に宣戦布告した国が多かった。
昭和20年の朝日新聞を読むと、十月まではサンフランシスコで誕生した『ユナイテッド・ネーションズ』を正しく「連合国」と呼んでいるが、11月から突然「国際連合」「国連」に変更している。
国連が「連合国」であっては、日本を敵とする機構であるのがみえみえだ。広島、長崎に爆弾を投下したのも「連合国(ユナイテッド・ネーションズ)」ではなかったか。
だが、今日の世界のどこを探しても“国際連合”という名称の国際機関は存在していない。中国では国連を「連合国」、韓国も「ヨンハプグク(連合国)」、同じ敗戦国のドイツ、イタリアも「連合国」とそのまま使っている。
【アジアの独立戦争勝利が世界戦争の終結】 私の事務所はいつも千客万来で賑わっている。議員、作家、芸能人、労働組合幹部、外国の学者など、あらゆる職種の人たちが集まってくるから楽しい。『カレント』の矢野弾先生も、その一人だった。今年急逝されたが、惜しい人を失った。
矢野先生の縁で事務所に立ち寄られたのか覚えていないが、Aさんという高齢美形の女性がおられる。みるからに良家の令嬢で、仏教伝来について学術書も出版されており、私がその本の内容を批判したことから、会話のよき伴侶となるようになった。
私はAさんにお目に掛かるたびに、生真面目、教養人で、西洋に憧れてキリスト信者でおいでのところも、母によく似ているのに驚いた。最後にお会いした時に、Aさんが「世界戦争が終わって、国連、国連機関のユネスコが生まれ、ユネスコ憲章は気高い」といわれたので、「ユネスコ憲章はクズみたいなものです。ユネスコは平和に有害です」と答えた。
私がその直後に入院したので申し上げる機会がないが、先の世界戦争は日本が降伏した時に終わっていない。その意味で、日本が第2次大戦に参入した時に「大東亜戦争」と名づけたのは正しかった。日本が降伏した後に、アジアを再び植民地とするために、連合国軍がインドネシア、ベトナム、マレーシアなどに攻め込んだ。
日本が剣を捨てた時に、アジアの同胞が日本の大東亜戦争を戦い続けた。先の世界戦争は、インドネシア、ベトナムなどが独立戦争に勝った時にようやく終わった。アフリカ大陸も呼応して、次々と独立していった。
緒戦で日本が勝っていたころは、私もアジア太平洋につぎつぎと日の丸が書き込まれるのを見て狂喜した。開戦時に決定した「大東亜戦争」という戦争の呼称も使っていたが、サイパン島が失陥したあたりから、しだいにアジアの解放の夢が語られなくなり、「本土決戦」「一億総特攻」に変わってしまった。
今日の日本では先の戦争を白人優位主義史観に従って「太平洋戦争」と呼ぶのが良識で、「大東亜戦争」だと時代遅れの右翼だとみられる。
「大東亜戦争」のほうが正しい>(以上)
小生は加瀬先生の本は「日本と台湾」しか読んでいないが、もっと早くから読んでいれば、と悔やまれる。近年では産経新聞への寄稿もないようだが、統一教会を巡る問題でもあるのだろうか。
★その2:10/13の加瀬先生の論稿「世界最強国をあきらめない アメリカの業病」も勉強になった。以下転載。
<米国のバイデン政権が発足してから、11月で2年目の折り返し点を迎えるが、米国が世界のナンバー・ワンの地位を失いつつあると取沙汰されている。私はそう思わない。20年、30年たっても、米国が世界のナンバー・ワンであり続けよう。つねに世界の最強国でいたいのが、米国の業病である。
米国人であれば、誰もが1960年にニクソン副大統領と、ケネディ候補が大統領選挙を戦った時のテレビ討論を見たことがある。これが最初のテレビ討論となったが、ソ連がこの3年前に米国に先んじて人工衛星『スプートニク』を地球一周する軌道に乗せたために、米国民がソ連に追い越されると深い衝撃を受けた。
ケネディが「このままではソ連に追い抜かれる」と危機を煽り立てたのに対して、ニクソンがソ連の経済や、技術力からいってありえないと、理を尽して反論したが敗れた。
「米国が衰退しつつある」という警告は、新しいものではない。米国民をそのつど奮起させてきた。米国民が常用している、精力増強剤のサプリのようなものだ。
米国は1970年代に日本に追い越されるという恐怖心に駆られた。日本が今日の中国のようなものだった。
日本が米国経済の誇りあるニューヨークのロックフェラー・センターを買収するかたわら、エズラ・ボーゲル・ハーバード大学教授が『ジャパン・アズ・ナンバー・ワン』という著書を発表して、ベストセラーになった。もっともボーゲル教授に気の毒なことに、この本が出版された直後に日本のバブル経済が破裂して、日本が萎(しぼ)んでしまった。日本国民はこのころのことを忘れて健忘症を患っている。
1980年の大統領選挙で、レーガンが民主党のカーター大統領が弱腰外交を行ったと攻撃して、「強いアメリカ」をつくり国防費を大幅に増額することを訴えて勝った。米国は息を吹き返した。
これまで米国では衰退してゆくという閉塞的な気分から、自信を取り戻すシーソーゲームを繰り返してきた。
オバマ大統領は2011年の年頭教書演説のなかで、「これはわれわれの世代における“スプトニク(危機の)モーメント”だ」と訴えた。このままゆくと、中国に追い越されると、危機感を露わにした。
オバマ大統領のあとを継いだトランプ大統領のスローガンは、「アメリカ・ファースト」「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン!」(米国を再び偉大な国家としよう!)というものだ。泡沫候補でしかなかったのに、このスローガンによって大統領候補の金的を射止めた。
米国民は“ナンバー・ワン”の地位を保つために、衰退論を好んでいる。達磨人形のような起上り小法師だ。米国はベトナム戦争やアフガニスタン戦争の失敗によって鼻血をだして、一時、畏縮するが、傲慢無礼な態度を改めることがない。
なぜ、米国は“ナンバー・ワン”の力を失わないのか。米国は自由で、熾烈な競争社会だ。地縁、人縁を捨てて集まった国だから、自分の力と金(かね)の力しか頼るものがない。
米国は活力が溢れているから混乱しているようにみえる。いま、ウクライナ戦争という突発事によって“グローバリゼーションの時代”が中断されているが、グローバリゼーションは世界の大きな流れだ。誰でも米国を訪れれば肌で感じることができるが、米国はグローバリゼーションにもっとも適している。
ところが米国衰退論は、困ったことにソ連や中国のような国を鼓舞する。ブレジネフ書記長はソ連圏が米国を凌駕しつつあると誇って、失敗した。中国もこの轍を踏むのではないか>(以上、*は修一)
小生思うに、南北戦争(Civil War、内戦、1861~1865年)のお陰でペリー率いる米国による日本侵略=植民地化の機会が1945年の日本敗戦まで遠のいたが、今、米国が万が一でも民主党派と共和党派に分裂して内戦(状態)になったりすると被保護国の日本はどうなるのだろうと不安になる。
小生の見立てでは、民主党派は「自由平等を表向きの看板にするも本質はモラルなき弱肉強食の銭ゲバ系アカモドキの大きな政府志向」、共和党派は「伝統・秩序・内政を重んじ外交は基本的に宥和的ながら反共で一国平和主義の小さな政府志向」である。
米国が内戦になれば「日本を守ろう」どころではない。日米安保体制が休眠状態になれば日本、台湾は真っ先に中露北の侵略を受け地獄、亡国になることは明白だ。
小生は米国民主党を“隠れアカ”FDRルーズベルト政権以降、蛇蝎の如く嫌悪しているが、とにもかくにも日本が核兵器なしのノーズロ状態の今は内戦は避けて欲しいと願っている。豪やNZもその思いは強いだろう。米国の外交・軍事パワーが緩むと今の世界、特にアジア太平洋は速攻で中露北に蹂躙される。
国家の安全を米国に委ねて銭ゲバ道一直線・・・今さら悔いても嘆いても何の解決にもならない。大急ぎで核兵器を含めた軍事力・抑止力・抵抗力の強化を進めるべし。
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