アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

風光明媚な磐越西線へ~DD51

2021-08-25 20:00:00 | 鉄道写真(DL)

8月も下旬になると、随分と日の入りが早いと感じるようになってきた。そろそろ秋の気配と言いたいところだが、日中はまだとんでもなく暑く過酷な日常なのだ。特にマスク装着での外出は、ただでさえ閉口するが、こう暑いと耐えがたいのである。9月を迎え、秋色を感じに遠出したい気持ちに駆られるが、現在の感染状況を考えると、それも気が重い。確か夏には、感染が少し収まるのでは?と春先聞いた覚えがあるが、あれはいったい何だったのか!ワクチン接種が進むとは言え、これからの季節を考えるとさらに不安になってしまうのだ。

この秋には、大好きな磐西へ行きたかった。昔から何かと縁があり、よく通っていた時期もあったが、最近ではご無沙汰と成り、そんなこんなで何もかも心晴れずにいる、アントンKの悶々とした気持ちを吹き飛ばすような、自然美、原風景をじっくり楽しみたいのだ。蒸機中心を狙うのも良いが、飯豊連峰に積雪がある頃の、山深い紅葉の美しさと光の神々しさは、何処にも負けていない。頭に描くだけで、心落ち着きほっと出来る気持ちになれるのだ。

そんな気持ちから、昔撮影した磐越西線での1コマを掲載しておく。まだ世の中に活気がある時代、磐西にも毎週のように団体列車の運転があった頃、アントンKもよく出向いて撮影を楽しんでいた。当時の人気機関車DD51の745号機の牽く、12系新潟お座敷列車。ボンネットの上に1灯追加され、前照灯3灯は北海道出身の証。最後まで孤軍奮闘していた745号機は、磐西の地にベストマッチだったと思っている。

1993-11-07  9224ㇾ    DD51 745  12系座敷ニイ     JR東日本/磐越西線:上野尻-徳沢

 


Red Bearの活躍~DF200

2021-07-29 19:00:00 | 鉄道写真(DL)

DD51に代わる新しいディーゼル機関車DF200も、量産からすでに26年もの歳月が経っていることに驚かされている。今年春の改正で、DD51の定期列車が消滅し、いよいよDF200が本格的に活躍の場を広げてくると思っていた矢先、そのDF200でさえ四半世紀もの時を経ていることに、少々感傷的になってしまったのだ。「いつの間に・・」というのが正直な感想だが、今後は、こんな感覚が増えていくのかもしれない。こんな時世、1日1日を大切に過ごしたいものである。

初めてこの機関車を見た時、とても重厚でデカイ機関車というイメージを持ったが、今でもそれは変わらない。こんな機関車が長いコンテナを楽々と牽く姿は、当時から北の大地にはピッタリだと感じていた。中京地区にも進出し、新たなバージョンも増えて益々の活躍を願いたい。掲載写真は、現在休車状態らしい試作機901号機の牽くDF200の臨貨。再び元気な走行シーンを見たいものだ。

1999-05-01    9057ㇾ  DF200-901   JR北海道/室蘭本線:静狩-礼文


1号編成最後の御召の記憶~DD51 842

2021-06-09 20:00:00 | 鉄道写真(DL)

御召列車に使用する第1号編成は、あれからベールに包まれたまま、我々ファンの前には姿を現わしてはくれない。かれこれ20年近くの歳月が過ぎてしまい、このまま伝説として語り継がれてしまうのだろうか。

アントンKが長年鉄道撮影をやってきて、今までで最も心ときめいた被写体は御召列車だった。幼少の頃、運動会や林間学校の前日に興奮して眠れず、朝を迎えてしまった時のように、あるいは朝比奈隆のブルックナー演奏会の前の日、色々想いが張り巡らされ一睡もできず、そのまま上野へと向かった日のように、御召列車撮影の前は、同じような興奮を覚え緊張し気合いが入ったものだった。御召列車そのものが特別感満載だから、たとえ157系でも183系でも御召列車とならば、普段の撮影とは異なった想いでカメラを向けたものだが、数少ないアントンKの経験でも第1号編成の御召列車だけは、電車とは別格の存在感がほとばしり、見れることだけで幸福になれたもの。あの感動とも言える時間を可能ならばもう一度味わいたいものだ。

この第1号編成には、やはり御召機として生まれたEF58 61が一番良く似合うと思っているが、最後の1号編成御召は、ディーゼル機関車であるDD51 842がその大任を果たしている(2002年)。アントンKには、難敵に思えたDD51の撮影。ましてや御召列車ともなれば、どんな風に撮影しようか悩みに悩んだもの。この時は、前年にもDD51の御召列車が走り、気仙沼線で撮影していたこともあり、マンネリな画像にならぬよう苦慮した記憶が残っている。特に凸型機関車は、撮影によって印象が随分変わってしまうから厄介なのだ。結局、それまでの御召列車では出来なかった角度での撮影に挑み、DD51のボンネットを圧縮して日の丸を強調して撮影することに。ちょうど今の時期と同じ6月の蒸し暑い日だったように思う。

2002-06-03          9001ㇾ 御召 DD51 842      JR東日本/陸羽西線:狩川付近


タブレット閉塞廃止の頃~八高線 DD51

2021-05-05 17:00:00 | 鉄道写真(DL)

鉄道ならではの光景の一つに、駅でのタブレット交換があった。国鉄時代はもちろん、民営化後であっても、全国的に見ることが出来た光景だったと思う。アントンKにとっては、そのタブレット交換で進む一番身近だった路線は八高線だった。駅間に複数列車が走ることのないように行われる駅でのタブレット交換。貨物列車など、駅を通過する際には、ホーム進入時に機関士がタブレット受けに投げ入れ、そしてホームを離れるまでにセット済の次のタブレットを受け取る。今にして思えば非効率そのものに思えるが、そんなシーンの鉄道マンの真剣な眼差しを今でも忘れることは出来ない。そしてルールに裏打ちされた鉄道の底力を感じたものだ。現代の鉄道風景では、忘れられてしまったことだろうが、いつまでも伝えたいシーンの一つなのだ。

ここでは、そんなタブレット閉塞の廃止に伴い、名残りを惜しむように運転された鉄道ファンによる団体列車の画像を掲載したい。今でこそ電車も走る八高線だが、当時北部はローカル線そのものの風情が残っていて、好んで撮影に出向いていた。

1992-04-17  回9236ㇾ  DD51 842   JR東日本/八高線:寄居付近


全国各地を彩ったお座敷列車~DD51

2021-03-19 19:00:00 | 鉄道写真(DL)

何かと気忙しい年度末となり、落ち着かない日々が続く。今後のことを多々思い巡らすとさらに不安が重なってやり切れない。まあ、いつものことだが・・・

気候が緩み、春を感じる今日この頃、どこかへ行きたくなるが、相変わらずのコロナ感染症がその気持ちをむしばんでくる。行きたいところはいくらでもあるのに、もう少し穏やかに過ごしたいものだ。

JR化間もない時代のDD51を掲載。アントンKが好きな路線の一つに磐越西線がある。別に蒸機が復活したから好きになったのではなく、初めてカメラを持って訪れた1980年、沿線の魅力的なロケーション、四季折々の季節感や色どりに心奪われてしまった。専用機だったED77も好みだったし、客車列車あり重連貨物ありも被写体も素晴らしく思っていた。時代が進み、線路が強化されED75が入線可能になった頃、レジャー人口も急増していったように思う。1984年に御召列車が走ってから、国道も良くなり、高速道(磐越道)も開通していく。こうなると、アクセスはかなり便利には感じたが、磐西らしさは半減してしまったように思える。そして1990年の「磐梯会津路」号の蒸機復活を契機に、現在のような観光路線へと様変わりしていったのだ。もちろん今だって磐西は十分魅力的な路線だから、現状に合わせた楽しみ方で、再訪を考えたい路線なのである。

磐越西線で最も有名な撮影地であろう、通称山都の鉄橋をいく新潟局の12系お座敷列車。中間に「サロン佐渡」を挟んだフル編成でこの日はやってきた。このカヌ座も、当初は12系と同じような配色の外観だったが、ある時からご覧のような派手な井出達となった。機関車は、当時のスター3つ目のDD51 745が牽いている。

1989-08-26 9224ㇾ  DD51 745 12系カヌ座 JR東日本:磐越西線:山都付近