アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

DD51重連!最期の晴れ姿だった「北斗星」

2021-03-17 19:00:00 | 鉄道写真(DL)

改正で定期運用を失ったDD51だが、その歴史の中でも一番の晴れ姿は、20年以上もの間北の大地を重連運転で驀進した「北斗星」ではなかったか。JR化され、ブルートレイン塗装に身を纏ったDD51は、一時的ではあるが3往復にもなった「北斗星」や、付随する「エルム」、そして「トワイライトエクスプレス」や「カシオペア」「カートレイン」などなど、その時代の代表列車たちをけん引し、我々ファンを虜にしたのであった。

国鉄時代の急行「ニセコ」重連や、数々の夜行急行列車、また山陰線でのブルトレ「出雲」けん引等、数えれば一番輝いていたと思われるDD51が脳裏に浮かぶが、やはり民営化され、塗装まで変えて新しい時代を予感させた北海道のDD51たちが、アントンKにとっても、最も印象的な列車だったし、一番輝いていたシーンではなかったかと思い返している。

ここでは、JR化後初めて渡道しブルートレイン「北斗星」と向き合った時の画像を出しておく。天気予報は大きく外れ、内浦湾に漂う霧にやられて戦意喪失状態だったことを思い出す。北の大地における気象の厳しさが、身に染みたのもこの時だったように思う。

1989-06-03  3ㇾ    DD511138 北斗星3号  JR北海道/室蘭本線:大岸付近


ローカル線が華やいだシュプール号の記憶~DE10

2021-02-10 16:00:00 | 鉄道写真(DL)

年が明け桜が咲くまでのちょうど今の時期は、スキーシーズン真っ只中にあり、今思い返すと、臨時列車もたくさん運転されていた時代があった。アントンKがよく通った上越線は、国鉄時代の80年代前半で、あの時代は新幹線すらなかったから、EF58や165系電車がスキー臨に活躍していたが、その後上越新幹線も開業し、ガーラ湯沢駅とともに新たなスキー施設が出来ると、世はまさにスキーブーム到来を予感させたのだ。

それに合わせてか、JRもスキー客専用と銘打って「シュプール」号を登場させ、全国からのスキー客の輸送に力を入れた時代がやってくるのである。新潟、長野地区をはじめ、猪苗代や東北八幡平、山陰の米子にも「シュプール」号として運転されたと記憶している。普段は雪深い地方のローカル線だが、この時期週末だけは、スキー客を大勢乗せた見慣れない列車たちがこぞって次々とやってきた訳だ。鉄道ファンの視点からすれば、とても魅力的に感じてしまい、アントンKも当時は撮影のためにスキーヤーに混じってよく出掛けたものだった。しかし今思えば98年長野五輪あたりがピークに感じ、徐々にスキー熱が落ち着いていき、2000年を迎えると「シュプール」号は一時の賑わいを見せなくなってしまった。これは、スキー人口の減少というよりは、交通網が整備され、交通手段の分散化が主な原因と思われるが、いずれにせよ一時的とはいえ、雪深い地方において、列車たちの雄姿を何度も見られたことは、今もって良い思い出となっている。

今回は、関西方面から夜行で到着したシュプール「白馬・栂池」がキハ52のローカル列車と交換するシーン。この時は雨混じりのみぞれが降り続き、早朝のためか露出もなく難儀を極めたことを思い出す。

1994-03-13   9116ㇾ  DE101035 +20系/ キハ52116 JR西日本/大糸線:北小谷


色づいた山々を駆けるDD51重連

2020-10-20 19:00:00 | 鉄道写真(DL)

あれほど身近な存在で、特に気にも留めてなかった凸型ディーゼル機関車DD51。いつの間にか数を減らし、全国的に見ても風前の灯状態となっているらしい。先日関西線に行き、久しぶりにDD51の牽く貨物列車を撮影したが、あらためて考えてみるともうこの地区くらいしか思い当たらないのだ。

北海道ではもちろん、東北のローカル線の貨物列車や、関東でも八高線など、山陰や九州と、全国に散らばっていた万能機関車だけに感慨も深くなる。同じようなことが入替機であるDE10でも言えるのだが、基本的に凸型を好まないアントンKだから、普段はこうして無関心になっていた。列車自体の消滅は居たたまれないが、後継のDF200型には興味が沸くから、また新たなシーンを期待したいところだ。

掲載写真は、思えばDD51の貨物列車では、おそらく一番撮影回数が多いだろう八高線の重連貨物。仕事帰りの駄賃として、あるいはヨコカルへの道中の合間を使ってよく沿線に出向いたもの。それなりのものしか残せていないが、今見返すと懐かしさがこみ上げてくる。

1994-11-25  5264ㇾ  DD51811+809  JR東日本/八高線:竹沢付近


異形式重連夕日に向かって~DD51+DF200

2020-10-06 20:00:00 | 鉄道写真(DL)

週末にかけて中京地区を廻ってきた。音楽鑑賞がメインの目的ではあるが、せっかくだからという貧乏根性丸出しで、心残りのないよう計画を立ててから出発。今年は久々の遠征となってしまったが、GoToキャンペーンとやらも開始され、不安ながらも出かける気持ちになったのは事実。もっとも鉄道撮影に関しては、音楽鑑賞の駄賃だから不純な動機だろうが・・

一度は撮影しておきたかった、ディーゼル機関車の異形式重連貨物列車。未だに中京地区では、DD51が数台動いている情報を頂いて、関西線に出向いてみた。数年前に四日市地区で貨物列車を狙ったことがあったが、その時にはまだDF200はいなかったはず。北海道ではポピュラーなDF200も200番代を名乗り、今では当地で着実に勢力を伸ばしていた。かなり日が傾き、赤くなりつつある頃、その重連は姿を現した。ちゃんと手を組んで現れるのか不安ではあったものの、大勢の地元の鉄チャンと思われる方々の群衆をみて、その不安も消え去った。中には、ドローンを使って上空から動画撮影をするという若者がいて驚嘆したのだが、何十年と撮影してくると、撮影方法も多種多様になるものだと、改めて思い返してしまった。掲載写真は、去りゆくDDとDFの重連オイル列車。乾いた風が心地よく、ゆっくりと進む列車を最後まで見送った。

2020-10-02  8075ㇾ DD51 857+DF200-220    JR東海/関西本線:永和付近


DD51重連「北斗星」の衝撃!

2020-06-24 20:00:00 | 鉄道写真(DL)

国鉄が分割民営化されてから生まれた列車は、多々存在しているが、アントンKにとって当時とてもショッキングな思い出の列車は、DD51が重連で走る「北斗星」だった。関東人であるアントンKは、凸型ディーゼル機関車といえば、入れ替えに従事している地味な機関車をイメージしてしまい、当時の八高の重連貨物列車でさえ驚愕には値しなかった。が、ヘッドマークを掲げ、全開で北海道の大地を揺るがすかのごとく突っ走る姿を初めて見た時、「これは凄い!」と心が熱くなったことを今でも思い出せる。それまで見たことが無かったブルーのDD51も、ひと際締って見えて重厚でカッコ良いのだ。

初めて撮影が叶ったのは1989年のことだから、すでに30年以上の時間が流れてしまったが、ファーストインプレッションの衝撃ははっきりと脳裏に刻まれている。この時の渡道は、メインがC62ニセコ号として渡道したのだが、あまりにもブルトレ「北斗星」が魅力的に思えてしまい、予定変更、毎月渡道して陸の王者C62とブルトレ「北斗星」を全力で追ってしまった。

確かにアントンKの経験上だが、鉄道写真の被写体の中で、「御召列車」と並んで「C62ニセコ号」は、最高の被写体だったといまだに思える。こんな列車とDD51重連のブルトレ「北斗星」とを両方狙えるなんて、とんでもなく贅沢な時間だったと今更ながら考えているのだ。

掲載写真は、初めて衝撃を受けた時のDD51重連の「北斗星」。もちろんデジタルカメラではなくカラーポジフィルムで撮影している。この時、今のようなデジカメがあれば、C62もデジタル撮影出来た訳で、そう思うと機材の進歩とともに、趣味の世界も広がりを見せるものだということが理解できる。噴火湾からの朝霧が濃く、とても暗い中、重低音を響かせながら突進してくる重連のDD51は、独特の雰囲気があり魅力的だった。

1989-06-03   5ㇾ  DD511054  北斗星5号  JR北海道/室蘭本線:豊浦付近