アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

タン・ドゥンによる未知の演奏会

2018-03-17 22:00:00 | 音楽/芸術

新日本フィルの定演「ジェイド」の出向いて来た。

今回は、おそらく定期演奏会では貴重な楽曲であろう、現代作曲家のタン・ドゥンによるオーガニック3部作の構成。3つの協奏曲が演奏された。普段ならこの手の楽曲には手を出さず、当然聴いた経験のないアントンKだが、以前どこかで読んだ、新日本フィルのコンサートマスターである崔文珠氏のインタビューからヒントをもらって、今回はチケットを手にした。当日は、先約の時間が押してしまい、途中入場となってしまったが、それでも日本初演とされる「大地の協奏曲」には間に合った。

演奏された3つの協奏曲は、音楽を奏でる楽器という分野を逸脱し、水や紙、何と瀬戸物を鳴らして音楽にするというもの。果たして自分自身どう感じるのか、いつもとは違う気持ちでホールへ向かった。

今回聴いてみて思ったことは、やはり音楽を保存することは難しいということ。目の前に広がる見慣れない舞台から奏でられる聴いたことのない音の連続。数々の打楽器による臨場感、そして息遣い。この日の演奏も後日FM放送されると聞いたが、果たしてどこまでマイクを通して伝わるのだろう。そこには、いつもこのメンバーで聴いている音楽とは別の世界、より現実に近い世界があるように感じてしまった。耳から伝わることより、目から伝わることが多かったアントンKだから、まだまだ浅いのだろうが、逆にこの体験も推奨して頂ける方がいたからこその体験であり、今回足を運んで本当に良かったと思える。それにしても、自作自演の指揮者タン・ドゥンにきっちりついていた新日本フィルハーモニー交響楽団。古典から今回のような現代曲まで、実に幅広く聴衆を圧倒する。新しい作品にチャレンジするプロとしての精神性の高さを十二分に味わった気がしている。

写真は、リハーサル中の光景。天井から大きな紙が垂れ下がって、Vn群の配置が指揮者を囲むようにされている。こんな舞台は、クラシック音楽を考えれば非常に珍しいシーンだろう。

新日本フィルハーモニー交響楽団 第585回 定期演奏会「ジェイド」

タン・ドゥン  オーガニック3部作

水の協奏曲

紙の協奏曲

大地の協奏曲

指揮   タン・ドゥン

Pc    ジャン・モウ

     ベイベイ・ワン

     藤井はるか

     柴原 誠

コンマス 崔 文洙

2018-03-17      東京サントリーホール

 


現代のブラームス、ここにあり!

2018-03-10 22:00:00 | 音楽/芸術

昨年に引き続き、すみだ平和祈念コンサートが開催され、おなじみのトリフォニーまで行ってきた。

ちょうどこの時期だと、我々には3月11日の東日本大震災を想い浮かべてしまうが、実際には1945年3月10日の東京大空襲を指している。ここ墨田の地も何万人とも言われる犠牲者、そして焼け野原と化したという。どちらの現実も風化させず、後世に語り継がれていかなければならない出来事だろう。今回のようなコンサートは、日頃忘れがちの平和を祈るための良い機会になると思うし、可能な限り継続していければ素晴らしい事だ。

さてその演奏会。今回のメインプロは、ブラームスの第1交響曲が置かれていた。4つある交響曲の中では、最もメジャーで人気もあり、比較的演奏会で取り上げられる機会が多い楽曲。アントンKも、過去の実演体験もそこそこ多い。最近では都響=フルシャや東京響=ノットなど聴いている。自分にとっても、やはり一番入りやすく、いつもブラームスの暗く湿った雰囲気の楽曲の中では聴きやすいし、最後に向かって勝利する曲想は大好きなのだ。良い意味で、平和祈念コンサートのメインプロには相応しいし明日への活力と希望へつながる楽曲だろう。

結論から言って、今回のブラームス、指揮者上岡敏之の現在の集大成といってもいいくらいの内容だった。アントンKの聴き方は、これだけメジャーで名曲であるブラ1を我々にどう聴かせるかということにポイントを置いているが、過去のブラ1の録音や実演のどれとも違う、誰とも似ていない全く新しいブラ1だったと断言する。

第1楽章の序奏部から、エネルギー全開!ティンパニの刻む重く意味のあるリズムにリードされ、オケ全体が鳴り響くが、このリズム(8分音符の刻み)が、弦楽器に受け継がれるのだが、それがピッチカートにも、そしてベースの刻みにも意識され、強調されていたのにまずは驚嘆。特に25小節からのベースの刻みの強調は恐ろしいほどだった。上岡氏の全身全霊での指揮振りにこの時点で圧倒されたのだ。主部に入りテンポがアレグロに変わると、快速になるのだが、主題の横の繋がりが鮮明で、また各声部に散りばめられたテーマのモチーフの強調も散見され、随所に聴いたことのない新しい発見があった。第2楽章については、アントンKが今回楽しみにしていた楽曲の一つ。コンマスの崔氏のソロが聴けるからだ。ブラームスの楽曲では、特に木管楽器の充実振りで決まってしまうと思っているが、この日も各パートは絶好調のようで、出のファゴットやObの心のこもった音色には感動する。最後に現れるVnのソロも、期待にたがわず温かく美しい。崔氏のHrnとの掛け合いも、お互いが聴き合い、その優しい音色にアントンKも降参して涙してしまうが、今までこんなポイントで生まれてこなかった感情が沸き上がり新たな気持ちになった。第3楽章についても木管の充実など同じことが言えるが、それも次の第4楽章で決定的になる。序奏部での弦楽器のピッチカートのスリリングさ。上岡氏の指示なのだが、ここでは一寸の狂いもなく時に恐怖まで感じてしまうのだ。そして30小節目から始まるHrnは、絶妙な弦楽器群のさざ波に乗り、目の前に雪をかぶったアルプス連峰が現れるがごとく、雄弁で格調が高かったのだ。そしてそのあとのTrbのコラールは、遠くから鳴り響き、まるで教会のオルガンのよう。どこか平和で安堵な雰囲気にさせられる。このあたりの上岡氏の解釈、響かせ方はかつてこの楽曲では聴いたことがなく新鮮で美しかった。そして続く主部に入ると、これまた絶妙な内容にびっくり!メロディに合わせて音楽に力点を付け、「出す引く」という音楽の流れを形成し、これもアントンKには度肝を抜かれたポイントだった。上げれば切りが無くなってくるが、やはりコーダへの下りは書き留めなくてはいけない。ちょうど390小節以降のC-durになるところからの解釈がベストで、大見得を切らずストレートな表現の中に、エネルギーの集中と熱さがあり、例のコラール主題に突入する部分。それまでのテンポが一転、たっぷりとしたものに代わり、弦楽器を中心としたふくよかなトーンで演奏。このffで奏される管と弦による響きの世界は、かつてアントンKは聴いたことがなく、これぞブラームスの真実か、と思わせるものだった。このコラールの部分、ほんの10小節にあたるが、最後のファーレーの響きも、最初が強く、次が弱くという手法で、実に綺麗に響きを収めていた印象。続く終結部までの下りは、インテンポに戻り、逆にオケを煽りだした指揮者上岡は、まるで阿修羅のごとく燃えたぎっていた。

今まで聴いてきた上岡氏の演奏は、どれもオケを極端に絶叫させず、常にバランスを考慮し、今まで聴き取れなかった小さなメロディやあるいはモチーフまで浮かび上がらせ、聴衆を虜にしてきた。楽曲によっては、それがマイナスに感じることもあるだろう。しかし長年この分野を聴いてきたファンとしては、上岡氏の演奏は、新しい発見に満ち、新鮮な風が吹いていると言っていい。

今回のブラ1は、長年名盤とされていたミュンシュ盤をはじめ、アントンKも実演も含めてレコード・CDは聴いてきた。名曲中の名曲だから、古くはフルトヴェングラーやトスカニーニから始まるが、経験上そのどの演奏とも、今回は類似せず、あれほど聴いてきた楽曲が驚くことに新鮮に感じてしまった。過去の巨匠たちをも否定しかねない演奏解釈をオケのメンバーに要求し、こんなに素晴らしい演奏が実現した訳で、その上岡氏の音楽に対する姿勢にアントンKは感服する。

実は本番前日に、アントンKはリハーサルに立ち会うことができた。そこでのやり取りから、上岡氏の欲する音楽が手に取るようにわかり、目の前には、どんな要求にでも食いついて音楽にするオーケストラがいた。細かく要点を積み上げていき、より理想とする音楽に双方が近づこうとする様が理解できた。それは、きれいごとだけでは済まない世界だろうが、こうして生まれた音楽に、我々聴衆が生きる勇気を享受することも事実なのだ。そして音楽に完成形はない、ということも改めて思い直した。

すみだ平和祈念コンサート2018

ドヴォルザーク  ヴァイオリン協奏曲 イ短調 OP53

ブラームス    交響曲第1番 ハ短調 OP68

アンコール

ベートーヴェン 交響曲第9番 ニ短調 より第3楽章

新日本フィルハーモニー交響楽団

指揮    上岡敏之

Vn          大江 馨

コンマス  崔 文洙

2018年3月10日 すみだトリフォニー大ホール

 

 


直流電機の競演

2018-03-08 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

新鶴見信号所出発線に並ぶ、国鉄型直流電機の代表形式だったEF64とEF65。

写真の2002年からすでに15年以上の歳月が経過、どちらの機関車も現存しない。厳密に言えば、かろうじて現役と言えなくはないが、アントンKにとっては過去の機関車となった。別に先行きが短いから、撮影していた訳でもなく、増してそんな先の情報など持ち合わせるはずもなく、ただEF64の0番台が好きで、それも重連で都心まで入る運用になって、時間さえあればカメラを持って通っていた時代。自分には思い出深い画像だ。ロクヨンは好きだったから、番号にもこだわって撮影したものだが、今ではそんな気持ちも沸いてこない。歳をとったからなのか、自分自身が感じなくなったのか・・・少なくとも、この頃とは、撮影に対する心持が今は変わったと感じている。それは記録撮影からの脱皮と大きく関わっているはず。写真を記録のみとしない、撮影スタンスの新たな発見の追求とでも言おうか。長年培ってきた鉄道に対する自己流撮影の信条を少しづつ壊していくことは、とても怖いしまた楽しいことなのだ。新たなる領域で満足できるには、まだまだほど遠いが、試行錯誤しながらゆっくり撮影を今後も楽しみたい。

2002-09-11  5465ㇾ  EF6414+21 & EF651073 新鶴見にて


CP+ 2018

2018-03-07 22:00:00 | カメラ

「カメラと写真映像のワールドプレミアショー」CP+へ今年も行ってきた。

少なくとも遠からず、自分の仕事に影響を与えかねないカメラ業界の動向には興味があり、将来に向けてどうなっていくのか関心が沸いてしまう。そういった意味においても、各メーカーが何をどうアピールしているのかが直接的に伝わってくる場でもある、このCP+にはいつも出向いている。

近年、憎きスマートフォンに圧されてデジカメ需要が下方に向かってしまっていたが、昨年のデータでは、その動きも落ち着きを取り戻してきたようで、このカメラ業界にも新たなムーブメントを期待したいところである。昨年と比較すると、明らかにミラーレス一眼という分野が大きく躍進している印象をもった。キャノンやソニーは大々的にPRしていたし、ニコンでもこの分野を開発中と聞こえてきた。さて今年は、どんなカメラが流行しヒットするのだろうか、今から楽しみだ。

そんな業界の動向とは別に、アントンKはいつものブースへ直行。いつも楽しみにしている阿部氏の講演を聞く。毎回テンションアゲアゲの阿部氏のトークは、軽妙で伝えたいことが判りやすく楽しいのだ。今年は、現在一押しのカメラと、レンズの開発者との話。大変楽しめた。

2018-03    パシフィコ横浜にて

 

 


山を下りたEF62の活躍

2018-03-06 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

国鉄時代の末期、JR化される前の数年間、それまで東海道・山陽スジを駆け巡っていたEF58による荷物列車は、EF62に置き換えられた。最終的に下関に集められたEF58を、一気に何の縁もないEF62に置き換えた訳で、当時はどこか納得できずにカメラを構えていたことを思い出す。何せC-Cという車軸配置の勾配用電気機関車だ。ゴハチとは成り立ちがまるで違う。このくらいは当時のアントンKにも理解できていたが、その全力で走行する姿を見ると、今までにない悲痛な想いが感じられたことも懐かしい。実際、故障が多発してよく遅延していた時期があったと聞いたが、そんな東海道の荷物列車も、JRの夜明けとともに静かに消えていった。

掲載写真は、朝のブルトレとともに上京してくるEF62けん引の荷物列車。見てもおわかりのように、全盛時代の荷物列車とは違い、編成も短縮され客車も窓のない貨車のような「ワキ」の編成が増えてしまい、魅力に乏しく思ったものだ。

1985-11-16  荷32ㇾ  EF6222   東海道本線/函南付近