アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

10系フリーク達へ贈る豪華編成の「銀河」~EF58

2021-02-17 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

長年鉄道撮影を通じて、車輛たちに関心を寄せてきたが、その歴史が長くなればなるほど、昔の古い車両たちへの想いが募っていることに気が付いている。その当時は、特に思い入れなど無かった車両でも、こうして自分の中で長い間想いに熟成が進むと、その印象も懐かしさも手伝って変わってくる。確かに、今ではもう走ってないとか、見ること乗ることすら出来ないとなると、一層その気持ちが加速するのだろう。これは、当時をリアルに知る者でないと同一線上には語れない話。いくら資料から知識を得て、写真を見て動画を感じても、当時の景色は決して還ってこないのだ。このことは、どこか音楽鑑賞にも酷似しているように思えてならない。レコードなどの録音でいくら熟読しても、その場で奏でられる音楽の印象とは、大分違ってしまう印象を受けてしまうのである。「一日一生」という言葉があるが、今の世相からか、なお更一日一日の時間の大切さを感じる今日この頃だ。

アントンKの鉄歴の中で、好みの車両の上位を占める10系寝台客車列車。ここでも何度も書いてきた。本気で撮影を始めると時同じくして消滅していった客車だった。かろうじて乗車も数回でき、撮影も満足ではないものの残すことが出来た。しかしまだまだ悔いは消せないくらい残ってしまっている。これは生涯消えない想いなのだろう。掲載の急行「銀河」もその想いの筆頭なのだ。20系客車に代わる前の10系寝台車で編成された列車だった。東京方の2両はスハ44形で、座席車ながらかつての特急「つばめ」に使用されていた特急用客車だった。

1975-07-19 104ㇾ  EF5841   急行「銀河」 東海道本線:根府川

 


スキー列車の最高峰「北斗星トマムスキー」

2021-02-16 19:00:00 | 鉄道写真(EL)

「シュプール号」に代表されたスキー列車が盛んに運転されていた時代、最も豪華で贅沢に思われた列車は、「北斗星トマムスキー」号ではなかったか。定期のブルートレインである「北斗星」が3往復走っていた時代、これに付随する形で生まれた列車だった。

何せ運転区間が、東海道本線横浜・大船から石勝線のトマムまで直通運転という凄まじさ。夜汽車の醍醐味を存分に味わい、豪華なグランシャリオでフランス料理に舌鼓、翌日には良質な雪質で名高いトマムのゲレンデに到着という、前代未聞の列車だってように思う。世の中、好景気真っ只中に生まれた列車だから、まさに象徴的だったようにも思える。当時のアントンKと言えば、そんな列車の乗客とは無縁の状況であり、せめてこんな豪華列車を写しとめておこうと、カメラ小僧だったことを思い出す。定期の「北斗星」とは運転区間が異なるから、それが判るように撮影ポイントを選んだが、どこも日が悪く撮影には難儀した思いが蘇る。

掲載写真は、山手貨物線を往く「北斗星トマムスキー」号。これは長旅の乗客を横浜で降ろし、区へと帰る回送列車となる。隅に辛うじて205系山手線が見えているから、それと解るが厳しい状況には変わりない。石勝線内での撮影が叶わなかったことが、今さらながら悔やまれるのだ。

1990-01-11  回9541ㇾ  EF651014  北斗星トマムスキー 山手貨物線内:目黒付近


またひとつ、日常が消えていく~185系電車

2021-02-15 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

春のダイヤ改正で、定期列車から185系電車が引退との発表があった。新車登場時、当時にしては斬新とも言える白地に緑の斜めストライプの姿で現れ、鉄道ファンの度肝を抜いた。もうすでに遠く彼方にまで過ぎ去った感覚の国鉄時代において、あの塗装は革新的ではなかったか。あれから40年、多々思い出のシーンを残して、また車両史が動こうとしている。

アントンKの鉄道趣味史にも、この185系電車が綺麗にリンクしていることに気が付かされると、どこか穴の開いたような、空虚な思いが過ってしまう。何が寂しいって、やはりアントンKの場合、MT54の主電動機のモーター音が身近に聞かれなくなることだろう。それこそ昔を振り返ると、この電車音を聞きながら旅立った記憶が蘇ってくるのである。当時は当たり前に感じていたことだが、今さらながら個性豊かな良き時代を生きてきたと思えるのだ。

春以降この185系電車は、臨時列車での活躍が最後に残されているようだが、通過する走行音にアントンKは、想いを馳せることだろう。その瞬間を楽しみに待ちたいと思っている。

ここでは、まだ185系電車が登場間もない1982年の画像を掲載しておく。東海道線用の車輛とは違い、上信越線用は200番台車となり、ご覧のように緑のサイドラインに変更を受けている。これは当時の「新幹線リレー」号に使用するための影響もあるのかもしれないが、長大編成で驀進する185系は、当時から花形列車だったように思えてならない。

1982-11-20   2007M   「谷川・白根」185系200番台編成  高崎線:籠原付近


晩夏の秋田にて~ED75

2021-02-13 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

国鉄時代の名優が顔を揃えた秋田駅。

中線に「天の川」の20系が停泊し、キハ40や客レたちが発車を待っている。

当時はどんな思いでシャッターを切ったのか・・・

それぞれ個性的で良い顔をしている。

アントンKもまだ夢を観ている時代だった。

1980年(昭和55年)8月26日  奥羽本線:秋田駅


我等がゴッパーサン「シュプール号」での活躍~583系

2021-02-12 20:00:00 | 鉄道写真(EC)

今の季節に過去を振り返ると、どうしてもスキー臨絡みの画像が多くなっていく。こういった季節列車は、国鉄時代から考えても数多く設定されていたものだ。普段では見られない地域に、これまた普通見ない車両たちが堂々と走り去っていく。こんな光景に写欲をそそられたものなのだ。しかしこの手の列車を追うには切りがなく、まとまりが付かないことも多い。列車の記録としてはそれで良いのだが、いつも同じことの繰り返しに成りかねない。アントンKも、この辺のさじ加減をいつも迷うのであった。

昔から大好きだった581・583系電車。晩年、お若いファンにも人気があって随分と追いまわった方も多いのではないか。彼等に混じって撮影していたアントンKではあるが、あの重厚な車体を説くと表現できた写真は撮れなかった。前面の愛称マークが控えめで、どうしても前がちに撮影しないと、何を撮影しているのか判らない。せめて183系0番代くらいのデザインなら、まだアレンジが効いたのに・・といつも考えて撮影していたことを思い出している。特に定期列車が終焉して、臨時仕業のみの晩年の撮影ではそう考えていた。もっとも、アントンKの場合、定期列車でも似たようなものしか残されていないのが現実なのだが・・・

今回は、583系使用の「シュプール上越」号。首都圏のスキー客を上越小出まで輸送したスキー列車。ある年は、東海道線大船が始発となり運転された記憶が残っている。

1994-02-14   回9732M     583系    JR東日本/高崎線:新町-神保原