杏子の映画生活

新作映画からTV放送まで、記憶の引き出しへようこそ☆ネタバレ注意。趣旨に合ったTB可、コメント不可。

博士と彼女のセオリー

2015年03月20日 | 映画(劇場鑑賞・新作、試写会)
2015年3月13日公開 アメリカ 124分

物理学の天才として将来を期待されていたスティーヴン・ホーキング(エディ・レッドメイン)は、ケンブリッジ大学院在籍中に、詩を学ぶジェーン(フェリシティ・ジョーンズ)と出会い、恋に落ちる。しかし直後にスティーヴンは難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し余命2年の宣告を受ける。それでもジェーンはスティーブと共に生きることを決め、二人は結婚、力を合わせて難病に立ち向い三人の子をもうける。時には壁に突き当たって限界を感じ、自身の無力さに打ちひしがれながらも、持ち前のユーモアで乗り越え、“車椅子の科学者”として最先端の研究を精力的に行い、講演活動や執筆活動へ意欲的に取り組んでいく


ジェーンの自伝を原作にした伝記作品です。
「車椅子の天才物理学者」として知られるスティーヴン・ホーキング博士は、ALSという難病を抱えながらも宇宙の起源の解明に挑み、現代宇宙論に多大な影響を与えた人物です。映画はその栄光の奇跡を彼を支えた妻との愛を中心に描いています。

筆記用具が転がる、カップを落とすなど、大学院時代からALSの兆候が現れていたことを示唆する描写が挿入されます。発症シーンでは顔面から転倒する痛々しい、けれど決定的なシーンもありました。こうした細かい演技が積み重なり、発症してからの肉体の変化のみならず、心の中の葛藤も観客に伝わってくるのに圧倒されます。そして何よりユーモアとウィットに富んだ表情が雄弁に気持ちを伝えていました。ホーキング博士を演じたエディ・レッドメインが第87回アカデミー賞主演男優賞を受賞したのも納得です。なお、映画の中で使用されているホーキング博士の電子音声は本人が提供したものだとか。

一方、妻のジェーンの心の葛藤も、いくつかのエピソードに盛り込まれています。
ただでさえ三人の子供の育児は大変なのに、夫の世話と自分の勉強も加わり、よく倒れなかったものだと彼女を支えていたのは(夫への愛情はもちろんですが)信仰心なのかな?無神論者であるスティーブンが、後に妻への謝辞に神を絡めたのは彼女への深い感謝があったからでしょう

娘を心配した母の勧めで教会の聖歌隊に入ったジェーンは、ジョナサン(チャーリー・コックス )と知り合い深く慰められます。彼は友人としてスティーブンや子供たちの世話を焼きホーキング家に関わっていきますが、やがてジェーンとの仲を疑われて身を引くことになります。その後にスティーブンの介護をするようになったエレイン(マキシン・ピーク )とジェーン以上の絆を感じるようになったスティーブンは、彼女に別れを切り出します。互いの気持ちが以前のそれとは違う形になっていることに気付いた二人が友好的に別れた設定で、どちらの尊厳も保った脚本だなぁと思いました(何しろ二人とも存命ですから)

さて、博士の偉大な業績については作中でもわかりやすく語られてはいるのですが、何しろ物理と聞いただけで耳が拒否する凡人にとってはそれでもわかったようなわからないような???う~~ん・・・。

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ウィズネイルと僕

2015年03月20日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2014年5月3日公開 イギリス 107分

1969年の秋。ロンドンのカムデンタウンで、25歳の僕(ポール・マッギャン)と30歳のウィズネイル(リチャード・E・グラント)は、共に売れない役者として、言葉では言い表せないほどひどい酒浸りの日々を送っていた。居間には物が散乱し、至る所に朝食が残されたまま。台所は山積みになった洗い物が悪臭を放っていた。主食は友人の“ヘッドハンター”ダニー(ラルフ・ブラウン)が提供してくれる酒とドラッグ。ウィズネイルとダニーは、ほとんど挫折しかけた俳優のようだった。少なくともオーディションがある僕に対して、何もないウィズネイルは現状に腹を立てていた。僕とウィズネイルは気分転換のため、チェルシーに住むウィズネイルの叔父モンティ(リチャード・グリフィス)を訪ね、田舎の別荘を借りることにした。巨体に加え、他人に不快感を与える風貌を持つモンティだったが、僕のことは気に入ってくれた。ある夜、使い古したジャガーで危険なドライブの後、僕たちは真っ暗なペンリスのクロウ・クラッグに到着。そこは湿っぽく、明りも暖房も水もなかった。朝になり、食料と薪を探しに出かけたところ、田舎の人は都会の人間よりもよそ者に対して冷たいことを知る。凍えるような寒さとやまない雨の中、好色な牛と精神異常の“密猟者”ジェイクに遭遇。これは僕たちが期待した田舎の生活ではなかった。そこへモンティが加わり、状況はさらに予期せぬ方向へ。やがて、エージェントからテレビの仕事があると連絡を受けた僕は、ウィズネイルとともにロンドンへ戻る。久しぶりに帰った部屋のベッドではダニーが身を潜め、大家からは立ち退き命令が出ていた。一番驚いたのは、僕が主役を演じるようになった事だ。ウィズネイルと僕を結びつけていたものはもう存在しない。悲しいことに、ウィズネイルと僕はそれぞれ異なる道を進む。“2人にとって素晴らしい10年”はこうして終わりを迎える。(Movie Walkerより)


ジョニー・デップが最高だと褒めちぎっている映画ですが・・・・確かに「ラム・ダイアリー」や「ラスベガスをやっつけろ」が好きな向きには大絶賛かもと納得

ブルース・ロビンソン監督は「ラム・ダイアリー」の監督でもあり、本作は彼の1988年に初監督した、自身の経験をもとにした半自伝的作品なのだそう。日本では1991年に吉祥寺バウスシアターで限定公開されましたが、同館の閉館に伴いリバイバル上映されてDVDの発売となったようです。この映画の作品紹介映像とナレーションが面白かったので、てっきり明るいコメディだと思い込んでレンタルしたんだけど・・・

アル中やヤク中と縁のない「健全な」生活を送っている者には理解し難い行動の連続な二人ですが、フィクションとして他人事として見れば愉快じゃないこともない。
雨の多い寒々しいイギリスの天候と、鬱々と日々を送る役者志望の若者の日常が逆にぴったりはまっています。

貧乏暮らしではあるけれど、ウィズネイルの家はどうやらお金持ちのよう。親戚にも別荘を持つ叔父さんがいます。環境を変えたら気分も変わるかもと、ウィズネイルを焚きつけてモンティ叔父さんの別荘を借りたは良いけれど、これがとんでもないボロ屋
近所の家に薪や食料を貰いにいけば、冷たくあしらわれ、酒場に行けば喧嘩を吹っ掛けられて散々ですが、それでも何とか寒さと飢えを凌いでいたところに、モンティ叔父さん登場。

実はウィズネイルは別荘を借りるにあたって、嘘話を叔父さんに吹き込んでいました。ゲイの叔父さんはすっかり「僕」が同好者と信じて「僕」に迫ってきます。この様子も傍から見たら滑稽ですが、「僕」にしてみればとんだ迷惑です

いきあたりばったりなウィズネイルに振り回されながら、「僕」の方もけっこうメチャクチャな暮らしが板についています。けれど「僕」に念願の主役の仕事が舞い込んできて、二人の生活は終わりを告げるのです。

1960年代終わりの雰囲気が色濃く出ている作品で、物語は「僕」の視点で進みますが、ウィズネイルの気持ちはどうだったんだろう?自意識の高そうな彼にとって、正当な評価を与えられない世間に対する怒りや反抗心が酒やドラッグへの逃避になっていたのかな?親友の「僕」にも先を越され置いてきぼりになった彼の切なさが滲み出るようなラストでした。

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