杏子の映画生活

新作映画からTV放送まで、記憶の引き出しへようこそ☆ネタバレ注意。趣旨に合ったTB可、コメント不可。

三度目の殺人

2017年09月11日 | 映画(劇場鑑賞・新作、試写会)

2017年9月9日公開 124分

真実なんていらない。弁護士は、そう信じていた。それは、ありふれた裁判のはずだった。殺人の前科がある三隅(役所広司)が解雇された工場の社長を殺し、火をつけた容疑で起訴された。犯行も自供し、死刑はほぼ確実だった。その弁護を担当することになった、重盛(福山雅治)。裁判をビジネスと割り切る彼は、どうにか無期懲役に持ちこむために調査を始める。何かがおかしい。調査を進めるにつれ、重盛の中で違和感が生まれていく。三隅の供述は会うたびに変わる。動機さえも。なぜ殺したのか?本当に彼が殺したのか?得体のしれない三隅に呑みこまれているのか?弁護に真実は必要ない。そう信じていた弁護士が、初めて心の底から真実を知りたいと願う。やがて、三隅と被害者の娘・咲江(広瀬すず)の接点が明らかになり、新たな事実が浮かび上がる。(チラシより)

 

是枝監督のオリジナル脚本で描いた法廷心理ドラマです。

「真実」は二の次で判決の勝敗にこだわる弁護士の重盛は、事件の真相より依頼人の利益の追求が大事です。真実は誰にもわからないと割り切っているのです。だから前科があり、今回が“二度目の殺人”で死刑が確実とされている三隅の弁護を引き受けた彼の目標は無期懲役にして減刑を勝ち取ることでした。

ところが面会に行く度、三隅の供述は変わります。初めは金銭目的と言っていたのに週刊誌に社長の妻・美津江(斉藤由貴)に保険金目的で依頼されたと独占告白。証拠のメールや50万が振り込まれた通帳を提示します。確認のために三隅のアパートを訪ねた重盛は大家から足の悪い女の子が頻繁に訪れていたことを聞きます。それは被害者の娘・咲江でした。さらに捕まることを想定していたかのような三隅の様子になぜという疑問が重盛の中に湧きあがります。

実は、30年前の三隅の裁判で裁判長を務めたのは重盛の父で、三隅を「獣みたいな人間」と評しています。当時彼を逮捕した刑事も「感情のない空の器」と述懐していました。

やがて、咲江が父親から性的暴力を受けていたと衝撃の告白があり、三隅は彼女を守るために殺人を犯した、もしくは咲江の罪を被った、二人で犯行を行い三隅が罪を引き受けたという可能性を重盛は考えます。三隅が保険金殺人だと週刊誌に告白したのは、夫の行為を知りながら見ぬふりを続けていた母親を裁く意図があったのですね。振り込まれた50万も食品偽造していることを漏らさないようにというお金だったという。あの夫にしてこの妻というか、身勝手さはどっちもどっちだな。プライベートで騒がれている斉藤由貴がこの母親役というのがまたなんとも・・これで減刑の道筋が見えたと思った矢先、三隅は犯行自体を否認に転じるのです。彼の真意は咲江が法廷で辛い事実を告白し傷つくことを恐れ、証言させまいとしたのだということは十分理解できます。もちろん重盛だって承知していたでしょう。それでも彼は三隅の意思を尊重し、結果判決は・・・。

ここで、映画の題名の意味が浮かんできます。劇中、裁判官・検察官・弁護人の三者の阿吽の呼吸で裁判のスケジュールが決まる場面がありますが、彼らはただ滞りなく裁判を消化するために真実を追求せずに蓋をすることを了解しているかのようでした。これを指摘した新人弁護士の川島( 満島真之介)に最初に「やっていない」と訴えた三隅に取り合わず認めれば死刑を免れることができると誘導した摂津(吉田鋼太郎)がしたり顔で法曹界の事情を説明するというのも皮肉が利いています。三隅は二度殺人を犯したかもしれない。でも三度目の殺人の被害者はもしかしたら三隅自身なのかもしれません。そして不条理と理不尽に満ちたシャバで生きることは三隅には苦痛だったのでしょう。自分の娘と同じ足の悪い咲江に同情し父親のような気持ちで守ってやりたいと思ったという重盛の推理はしかし、三隅にはぐらかされて終わります。真実は観客の側にその判断を委ねているのです。

三隅の実の娘は父親を拒絶しているように描かれますが劇中ではその存在を示しただけで本人の登場はありません。二度目の殺人で逮捕されたことで、娘は住んでいた土地を離れざるを得なくなりますし、死刑になったら父親のことで一生負い目を背負うことになるのに、劇中では娘についてそれ以上は触れられていないのが気になります。それは三隅が「空っぽの器」だから?いやいや、三隅が咲江を守ったのだと思いたいし、彼には人間らしい感情が多分人並み以上に隠れているのだと思いたいです。


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