子供の頃の思い出(その3)「どんど焼き」
子供の頃、生まれ育った故郷で・成人式の朝方に燃やした
「どんど焼き」を思い出しながら描いてみました
小学6年生までの男子は、お正月の松飾やシメナワ等を燃やす為、民家からの運びだしから全ての作業を「どんど焼き」に組み立てました>
組み立てまでの全ての作業は、子供達にとって大変厳しいものがありました
それでも、当時は伝統(風習)を引き継がなければなりませんでした。
しかし、大掛かりの組み立てまでの作業に参加する子供達が年々・少なくなりました。
そして、子供達のみによる大掛かりな組み立てまでの「どんど焼き」は、私が小学6年生(1959年・昭和34年)の時を最後にとりやめになりました>
それ以降は、小規模な「どんど焼き」になりました。
今は、どうなっているのかな?
私達が作った最後の大掛かりな「どんど焼き」の「組み立てまでの手順」と「燃やした」模様を、イラストに描いてみました
A.「どんど焼き」(1月15日・火祭り行事)の組み立て(作成)手順・イラスト
←上図①~⑥(下記1.~6.)の手順で組み立てました
1.浜磯の小石を手で掘る(伊豆東海岸の故郷)⇒直径(約4m)・円形
2.民家の軒先に出された「門松」「お飾り・しめなわ」等を1.まで運ぶ
3.竹やぶから「もうそう竹」を1本切り出し1.まで運ぶ
4.男竹を約100~200本切り出し1.まで運ぶ
5.パチパチの木(正式名=トベラ?)の枝を切り出し1.まで運ぶ
6.組立作業「どんど焼き」完成(天晴れさんでした)
B.「どんど焼き」を燃やした時のイメージ(イラスト)
←1959年・昭和34年1月15日朝方の様子
・地元の消防団も「放水用意」で待機(火の用心)。
・村人(参加者)は、長い竹竿の先に細い針金をつける。
その針金に切り餅を巻き・吊るし焼きする。自宅に持ち帰り無病息災を願いました。
以上。