常に恒常性を保とうとしている。細胞も意識も。
意識も瞬間瞬間(恒常性=バランス)を保とうとする。
例えば、ひとに何かの言動をした時に、相手がなにやら不愉快な顔つきになると・・・
その表情とバランスをとろうとして何らかの言動をしたりする。
黙って何が起きたのか探ろうとする場合もあるだろうし、
どうしたの?と聴く場合もあるだろうし、
こうかなあーかなと思って、いろいろ話しかけることもあるだろうし、
自分の言動に何か不愉快にさせるものがあったのかと振り返ることもあるかもしれない。
そのバランスのとり方は人や場合によっていろいろだろうけれども、
バランスをとろうとするのは相手に寄り添いたい・調和したい・
というような感情が生まれるから、じゃないか。
こういうのと違って、
何だ!いきなりそんな不愉快な顔をして!!と怒る場合もある。
こういう怒りは理性から来るもの。怒りの基は理性。
こんなとき不愉快そうな顔をすべきじゃない、とか、
この事でそんなふうになるのは程度が低いからだ、とか、
ここでそんなふうな顔をされる筋合いはない。とか、
そんなふうな“考え”から起こるんじゃないだろうか。
感情は“考え”じゃない。何の知識も情報もなくても、
なんて美しいんだろうと花を見て思う。
可愛い赤ちゃんを見て微笑みたくなる。
愛する人が死んで悲しむ。
悲惨な事件で心が傷む。
楽しくって笑う。 ひとの幸福を喜ぶ。
・・こういうものは、考えが基ではない、んじゃないか。
ただただ、そのものやひとを思う、そこから来るもの。
福岡先生いわく(恒常性=バランス)。
ひとの意識界でそれを保とうとするのはいつでも感情で・・・じゃないか。
そこに理性はあまり関与してないんじゃないだろうか。
「共感」というのも字のごとく、感の世界。
気持ちと気持ちがバランスを保ち合っている。そう思う。
愛が保ち合っている、と言ってもいいかもしれない。
そう思った。
意識も瞬間瞬間(恒常性=バランス)を保とうとする。
例えば、ひとに何かの言動をした時に、相手がなにやら不愉快な顔つきになると・・・
その表情とバランスをとろうとして何らかの言動をしたりする。
黙って何が起きたのか探ろうとする場合もあるだろうし、
どうしたの?と聴く場合もあるだろうし、
こうかなあーかなと思って、いろいろ話しかけることもあるだろうし、
自分の言動に何か不愉快にさせるものがあったのかと振り返ることもあるかもしれない。
そのバランスのとり方は人や場合によっていろいろだろうけれども、
バランスをとろうとするのは相手に寄り添いたい・調和したい・
というような感情が生まれるから、じゃないか。
こういうのと違って、
何だ!いきなりそんな不愉快な顔をして!!と怒る場合もある。
こういう怒りは理性から来るもの。怒りの基は理性。
こんなとき不愉快そうな顔をすべきじゃない、とか、
この事でそんなふうになるのは程度が低いからだ、とか、
ここでそんなふうな顔をされる筋合いはない。とか、
そんなふうな“考え”から起こるんじゃないだろうか。
感情は“考え”じゃない。何の知識も情報もなくても、
なんて美しいんだろうと花を見て思う。
可愛い赤ちゃんを見て微笑みたくなる。
愛する人が死んで悲しむ。
悲惨な事件で心が傷む。
楽しくって笑う。 ひとの幸福を喜ぶ。
・・こういうものは、考えが基ではない、んじゃないか。
ただただ、そのものやひとを思う、そこから来るもの。
福岡先生いわく(恒常性=バランス)。
ひとの意識界でそれを保とうとするのはいつでも感情で・・・じゃないか。
そこに理性はあまり関与してないんじゃないだろうか。
「共感」というのも字のごとく、感の世界。
気持ちと気持ちがバランスを保ち合っている。そう思う。
愛が保ち合っている、と言ってもいいかもしれない。
そう思った。