「細胞は相互補完的に役割を決める」の項にはこれがある・・・以下。
「どんなに科学が進歩しても、人間は森羅万象のすべてを理解することはできない。
常に『わからないこと』を抱えて生きていかなければならない存在である。
その時私たちは『真か偽か』という科学的な議論から離れ、
『善か悪か』という哲学的な判断を迫られることになる。
しかし、この場合にも私たちは部分しか見ることができない。
そして部分の効率や幸福を求めると、
逆にみんなの効率や幸福にはつながらないことも少なくないのである。
ではいったい、私たち人間は何を判断基準にして生きていけばいいのだろうか。
・・中略・・ただ個人的な感想として言えば、
『真偽』、『善悪』の次のフェーズ(段階?)として、
『美しいか、美しくないか』という『美醜』のレベルがあるように感じている。」
これは全く同感する。
人間界の意識現象の中で、嫉妬、憎悪、イライラ、腹立ち、劣等感、優越感、
蔑視、冷笑、軽蔑、非難、やっかみ、冷淡、こきおろし、意地悪、
小さな心のざわつき・・・
・・こんな意識は私たち全員が「美しい」と感じないのじゃないか。
そういう美しくない意識でいる自分に気づいた時でしか出来ないことだけど、
この「美醜」を物差しにして、自分なりに意識を観察、検討して来た。
こういう作業は誰にとっても大きな贈り物になると思う。
「どんなに科学が進歩しても、人間は森羅万象のすべてを理解することはできない。
常に『わからないこと』を抱えて生きていかなければならない存在である。
その時私たちは『真か偽か』という科学的な議論から離れ、
『善か悪か』という哲学的な判断を迫られることになる。
しかし、この場合にも私たちは部分しか見ることができない。
そして部分の効率や幸福を求めると、
逆にみんなの効率や幸福にはつながらないことも少なくないのである。
ではいったい、私たち人間は何を判断基準にして生きていけばいいのだろうか。
・・中略・・ただ個人的な感想として言えば、
『真偽』、『善悪』の次のフェーズ(段階?)として、
『美しいか、美しくないか』という『美醜』のレベルがあるように感じている。」
これは全く同感する。
人間界の意識現象の中で、嫉妬、憎悪、イライラ、腹立ち、劣等感、優越感、
蔑視、冷笑、軽蔑、非難、やっかみ、冷淡、こきおろし、意地悪、
小さな心のざわつき・・・
・・こんな意識は私たち全員が「美しい」と感じないのじゃないか。
そういう美しくない意識でいる自分に気づいた時でしか出来ないことだけど、
この「美醜」を物差しにして、自分なりに意識を観察、検討して来た。
こういう作業は誰にとっても大きな贈り物になると思う。