昨日量子力学云々と書いたことに湯川博士のことなど持ち込んだので、
ちょっと湯川博士に登場してもらおうと思います。
以下は湯川秀樹博士の「目に見えないもの」の第一部、
『物質と精神』の中の『物質から精神へ』からの抜粋です。
「・・・我々は始終自分の心の働きを自分で観察しているのである。
そして他人に対する外面的観察を、自分の心の働きに対する反省で裏付けることに寄って
他人の心の中を忖度しているのである。
そればかりではない。
人間以外の動物の行動の観察からして人と似た心の働きを想像しさえもするのである。
我々が生物を「生きている」と認める事自身、
一つの生命のほかの生命に対する共感を意味しているのかもしれない。
いずれにしても物質の問題が錯雑した迷路に入り込んで途方にくれようとする行き詰まりから、
自ら精神の世界が開けて来るのである。
それはもはや狭い意味における物理学の世界ではない。
主として心理学によって研究されるべき領域である。
そこには“精神現象自身の正確な表現、
それを支配する法則の発見が問題となるであろう”。
しかし、心理学的世界は決してそれ自身完結したものでなく、
物理的な現象が始終、外的なもの、偶然的なものとして影響を及ぼしている事は明らかである。
・・・」以上。
“精神現象自身の正確な表現、それを支配する法則の発見が問題となるであろう”
・・と云ったということは、
そのような法則が在るということを湯川博士はわかっていた。
在るからこそ発見出来るのであって、元々無いものだったら発見などしようがない。
そして心理学が心理学だけで成り立つわけでなく、
物理的現象が影響を与えている、とも。
精神現象を支配する法則とは、
対象・在るもの(目に見えない意識も含めて)をどう捉えているか、
どういう見方で観ているかといった、ものの見方・人間観・世界観・などのことではないかと確信しているんだけど。
瞬間瞬間の見方によって波動関数は収縮する。
目に見える現象が表わしているのは波動関数の収縮の連続的姿かと思う。
波動関数とは対象の状態を記述するもの。
観測することによって対象に影響を与えてしまうという量子理論は、
ものの見方、人間観、世界観が世界を創っていることを表わしたものなんだろう。