ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

対応

2012-11-27 10:18:21 | 量子力学と心
ひとが何かのことを出来なかった時、

周りの人の対応はいろいろだ。

ある人は怒る。ある人は注意する。ある人は無視する。

ある人は慰める。ある人は共感する。

その失敗したと云われる出来事をどう観るかで対応が違ってくるし、

失敗をした人がその対応を受けた時の対応も様々。

怒られて萎縮し、下を向く人。

怒られたと思ったけど、それは当然のことと謝る人。

怒られたと解釈しない人。怒られたとわからなかった人。

怒られたとは思っても、その事柄の内容だけ聴く人。

怒られたと思って恥ずかしくなる人。

怒られて反発する人。

物理学的にいうと、古典論ではその出来事(失敗した事とか、ある種の顔つきでモノを言った事とか)に対しての、

対応は一つに決まっているということかな。

量子力学が出てきて、その対応は一つではないということになった・・・

対応という多くの可能性から、一つを選びとる決め手は、

その出来事をどういう見方で観ているかというのや、人の境地。

怒っていると観るか、そういう顔つきをしたと観るかでも違うし、

怒られたと受け取っても、その後の対応も人や場合によって異なる。

怒られて(怒られたと観たということ)恥ずかしく思う人もあれば、反発する人もある。

恥ずかしく思う人は、その事柄が出来るのは当然と観ているので、

それが出来なかった自分を恥ずかしく思うのだろう。

反発する人は、自分は怒られるような人間じゃないというプライドや、

あんな人に言われるなんてという自分の方が上だというプライドや、

それが出来なかったのはアレコレとひとのせいにしたくなる、

自分は正しかったと思いたいと云うプライドなのかと思う。

こういうのも見方や境地という在りようの一つかと思う。

対応は様々で、多くの可能性の中から無意識のうちに選びとられるのかと思う。

無意識的であっても、その時点で、ある一つが選びとられるのは必然といえる。


「目に見えないもの」のこういう文章・・

・・・相対論は古典論において自明と思われていた絶対時間や絶対空間を否定した。

互いに高速度で運動する二人の観測者の各自が空間と呼んでいたところのものは、

同一のものではなかった。

二人の時計の針の進み方は同じではなかった。」

コメント
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