まゆっち:「クラスのYちゃん、ほんまかわいいわぁ~。おめめもくるんくるんやし、
髪の毛もくるんくるんやし、そのうえ心もかわいいし、お洋服もいっつもかわいいし、
みんなからY様~Y姫~って呼ばれたはんねんで~。」
てんてん:「ふ~ん、、、あんたも1回ぐらいみんなからまゆ姫~って呼ばれてみぃ。
「まゆげ」とか「まよねーず」(←まゆとからめられてる)とか「コショウ」(←ふくしょうとからめられてる)
呼ばれてんと。」
まゆっち:「無理無理」
てんてん:「なんでよ?」
まゆっち:「まゆかは瞳がないからなぁ。」
てんてん:「瞳あるやん!」
まゆっち:「そらあるけど小さすぎんねん。もうちょっと瞳が大きかったらなぁ~」
てんてん:『きたきたきた・・・。』
そう、、、いつかこういう日がくるだろうなぁ~とは覚悟していた。
我がお腹を痛めて産んだ子が『自分のここがもうちょっとこうだったらいいのになぁ~』と
いう日がきてしまったのだ。(大袈裟でごめん)
てんてんも若かりし10代の頃は母にこのようなことはしょっちゅう言ってきた。
「私はパパとおかあちゃんの悪いところだけ全部もらって生まれてきた子や!」
な~んて可愛げのないひどいこともいっぱい言ってきた。
自分が親になるとやっぱり「親の気持ち」というのがよくわかる。
十月十日、、、自分のお腹の中で大事に大事に育てて・・・
生まれてきてからも・・・ぅぅぅ・・まぁぁ・・大事に大事に・・・とは言い切れないけれど子育ては
大変なこともいっぱいだけどやっぱり我が子は可愛い。
瞳が小さかろうが、勉強が少々できなくても、言うこと全然聞かなくても、いっつもへらへら
していてもやっぱり無条件で「かわいい」のだ。
ただそこに存在してくれるだけで、、、ありがたい。
だからそんなわが子が自分の容姿を「もっとこうだったらなぁ~」と言うとほんのちょっぴり
せつなくなる。
そして空を仰ぎ、「お母ちゃんごめん!」と自分自身昔これでもか!とついてきた悪態を反省する。
少々大袈裟に書きすぎたけど何が書きたかったっていうと
人は時に自分の素晴らしさを見失ってしまことがあるということ。
かつてはてんてんもそういう時期を通ってきたことも事実だ。
今のてんてんは「自分が人より劣っているように思えてならない。」「自分なんて。」という気持
ちはただの妄想・・気のせいにすぎなかったということを理解できるようになった。
それがいつだったかは忘れてしまったのだけど、ある時「ポン!」と腑に落ちたときがあった。
今朝たまたまテレビをつけたら、只今60歳で現役バレーリーナであり、尚且つ日本のトップ
バレリーナでもある「森下洋子さん」が出演していらした。
お話を聴いていていつまでも輝き続けていらっしゃる方はやっぱり共通点があるなぁ~」と思った。
森下さんは幼い頃、決してのみこみの早いほうではなかったらしい。
自分より先に次々に新しい技をこなしていくお友達を目の前にして
「うわぁ~すごいなぁ~~!!」とは思ってもたったの一度も「自分はだめだ~」とか
「自分は人より劣っている」と思ったことはなかったそうなのだ。
「私はただただバレーが大好きでやり続けてきたのです。」
とキラキラの瞳でお話される森下さんはまるで少女のようだった。
このお話を聴いていて、そういえばてんてんのアロマの先生も同じようなお話をしてくださたった
ことを思い出した。
先生が新婚当時旦那さんと古くてとても小さなアパートに住まわれていたそうだ。
そんな時お友達の豪華なお洒落なお家に招待されたとき「うわぁ~素敵ぃ~」とは思ったけど
「羨ましいなぁ~」とか「自分もいつかは・・」なんて思ったことがなかったそうだ。
「どんなに古くて小さいアパートでも大好きな旦那さんと一緒に暮らせることが私はとても幸せだったの~~」
とやはり森下さんと同じよう~にきらきらとした瞳で少女のようにお話してくださったことを思い
だした。
輝いている人・・・輝きつづける人・・・周りを明るくする人・・・与える人・・・
そういう人達は「人」ではなくすべてベクトルは「自分」に向いてるんだなぁ~。
「人と比べる」ということが辞書にはないのかもしれない。
自分なんて、、とか自分は人より劣っているように思う、、とかちょっと自信を失っている方は
どうぞ自分に言ってあげてください。
気のせい・・気のせい・・。
ほんとなんだから!それはあなたの妄想です。