天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

1/18 ここのところ

2019-01-18 10:28:06 | 信仰


31・1・18、〔信仰は、神のいかなるかを知ることではない。]

神を学びたかったら、何処かの大学の、神学科に行けばいいでしょう。

苦しみを背中いっぱいに背負っているものからすれば、そんな悠長な話ではありません。

今、話を聞いて、今助かりたいのです。
しかし、これには落とし穴があります。
今まで即決に助かった方々が、『人生が救われる道』を理解できずに、
道から離れてしまわれました。

1、信仰は、神のいかなるかを知ることでもない。
(祈りと教会参拝などを通して、道を(教え)我が身につけることである)
2、幸福への道を知ることではない。(幸福になることである)
3、健康への近道を学ぶことではない。(健康になることである)
4、これから、善人になろうとするものではない。(善人になることである)
5、助かろうとすること、ではない。(今ここに、助かることである)
[神はここの所に、来たりて救いたもう]

<ここのところ>です。

『いかなるかでもなく、知ることでもなく、学ぶことでもない、なろうとするのでもない』

ただ、[ここのところ]に揺れる心を定めて決めることです。

決めたら、歩けば良いのです。
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1/17 上中下位

2019-01-18 09:00:18 | 信仰と生活


31・1・17、信仰と運命
[信仰は、神を上位に、人を中位に、我を下位に、
もって神と人と我を、尊と敬に置かんとすることなり]

ちょっと、長いですね。でも、明快に私たちの立ち位置を、示されています。

神を敬うのは当たり前として、人を(夫や妻、親、子供たち)を自分よりも上に、
そして、初めて自分が下位に出てくるのです。
普通何か嫌な事があると、「こんなの自尊心が傷つくから嫌だ」といって、
苦悩している方がほとんどです。

それは、人生がもったいない、時間がもったいない、とは、思いませんか?
徹底した感謝の表現で、感性を磨きましょう。
そうすれば、買ったばかりのメガネのように、苦悩の原因が手に取るように分かる筈です。

『おれが、』『私が』が、地番上の立ち位置にあります。
神を立てるように、周りの人を立てれば良いのです。

スッキリと、尊(とうとく) 敬(うやまう)する。
そこに、信仰の良さががありますね。実にシンプルです。
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