31・1・18、〔信仰は、神のいかなるかを知ることではない。]
神を学びたかったら、何処かの大学の、神学科に行けばいいでしょう。
苦しみを背中いっぱいに背負っているものからすれば、そんな悠長な話ではありません。
今、話を聞いて、今助かりたいのです。
しかし、これには落とし穴があります。
今まで即決に助かった方々が、『人生が救われる道』を理解できずに、
道から離れてしまわれました。
1、信仰は、神のいかなるかを知ることでもない。
(祈りと教会参拝などを通して、道を(教え)我が身につけることである)
2、幸福への道を知ることではない。(幸福になることである)
3、健康への近道を学ぶことではない。(健康になることである)
4、これから、善人になろうとするものではない。(善人になることである)
5、助かろうとすること、ではない。(今ここに、助かることである)
[神はここの所に、来たりて救いたもう]
<ここのところ>です。
『いかなるかでもなく、知ることでもなく、学ぶことでもない、なろうとするのでもない』
ただ、[ここのところ]に揺れる心を定めて決めることです。
決めたら、歩けば良いのです。