30・1・12、〔悩むは罪なり]
そもそも、悩むということは、悩ます原因があるからというのが、一般的な考え方。
しかし、自分の心中の受け止め方に、問題はないのでしょうか?
何か問題が生まれるとすぐに、取り込んで、
悩みに育て、『ああでもない、こうでもない』と、悶々とするくせはないのか?
あるとすれば、その顔は、その姿を家族がみれば、仕事場でみせれば、
人に心配を与え、気を使わせてしまいます。
天地に悩みはありません。
時と共に、自然に任せて流れていきます。
御神尊様は、悩みは、「自然のながれに逆らうこと」といわれます。
これを、[人間生活では、罪]といわれます。
そして、[家族や、人様に見せるのは、さらに罪は深い]といわれるのです。
必ず、日常生活が暗くなるからです。
幸せの道を開くには、『悩みグセは罪の自覚で、悩まざる道をいくこと』
それは、[反省は罪の半ばを消し、懺悔は罪のすべてを消す]といわれます。
これ、『根本的、切り替え改革』です。