天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

人生

2020-12-16 17:46:00 | 人生
令和2年12月11日あさのことば
<ライン日記、人生の処方箋>
[人生は謎である]

毎夜寝つくとき、私は考えれば考えるほど楽しくなることだけを、考えて休むように心がけてはいます。
毎夜そのように心がければ、命は伸びていくでしょうね。
でも昨夜はうつうつとして、なかなか寝むことができません。

何のためにこのように習慣づけようとするのか。人生の謎がいくらか理解できて、しかもそれが運命の核心にあることを学んだからです。幸せな人生の根本は運命観にあります。
あなたの生き方の謎は解けることになります。

[人生は謎に始まり 謎に生き 謎に終わる]のです。そして幽界に入ったとき、初めて運命の正解に出会うでしょう。しかし、その時はもはや手遅れです。

今こそ、『運命の道理を学び実践をする』だけで、人生は大きく転換することになります。『謎を解き明かす心境に立ってこそ、人生は本格的に始まる』といってもいいでしょう。

一点に絞れば、それは何のための人生なのか。つまり、『何のために人生が始まり、何のために生き、そして如何に死すべきか』これの解決こそ根本課題です。もうお分かりでしょう。やります!また明日へ。

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打開のすべ

2020-12-16 10:24:00 | 運命の原理
令和2年12月10日あさのことば
<ライン日記、人生の処方箋
[偏質は我を思わず 人を思わず]

そのむかし、『犬に論語』ということわざがあります。
どんなに立派な教えも学ぶ気持ちがなければ、分かってもらえないことを指しています。

一つは、我の強い人。いくら忠告しても聞く耳を持たない人。
馬の耳に念仏。うさぎに経文。牛に経文。ここまでは、性格上のことです。物には豚に真珠。価値の分からないこと。中国には、馬耳東風(ばじとうふう)があります。

偏質とは、性格上のことをいわれてます。
なぜ偏質なのか。人と切れやすいから。懊悩に時をついやすから。ただ周りが見えず、自己満足に終始するところに偏質があります。

特に運命的に問題なのは、人を人とも思わないことにあります。
人を無視することが、ひいては自分自身も無視されます。
次々と家族や人が離れ、『喜びも笑顔も失い』気づいたら不幸せの真っ只中となります。
打開のすべは、自ら人のために動けば万事、道は開くのです。やります!

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性格の善用

2020-12-16 10:21:00 | 信仰と生活
令和2年12月9日あさのことば
<ライン日記 人生の処方箋>
[素質を改めずんば 病は去らず 幸福は来らず]

(改めずんば)は原文のままのことばです。ご了解下さい。
人間というものの宿命は生まれた瞬間から、十分死ぬ年令になっていることです。

改めて生きているようにして、生かされていること、特に高齢の私は毎日考えています。
先日は誕生日をささやかにお祝いしてもらいました。中1の孫がジイジが死んだら『僕はどうしていいかわからない』は心に残りました。サラッといったことばです。

でも孫だけの問題ではなく、背後にはライン上の多くの人の呼吸を感じ、お互いに助け合って生かされていることも見えてきます。ありがたいことです。

さて素質ですが、生まれつき持っていて、性格や能力のもとになるものです。
もちろん家庭環境に影響されることもあります。良いそれは素質に気づき伸ばしていくきっかけに父母がいます。
そして自分の性格の善用に努めさえすれば、しあわせも、病気も必ず全治するものです。

そこででてくるのは、性格の善用に向かい弱気になるのが、切り替えの難しさです。
特に病気がちな人は、病根の根が深く、囚われもあって修理修正がすすみません。

とにかく、ハイと素直さでクセの修正にとりくみ、喜び、笑顔の生活に入ることです。
サビは鉄から生まれただけ、性格の善用でさび落としです。道は目の前ですよ。やります!

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なる程の理

2020-12-16 10:17:00 | 信仰
令和2年12月8日あさのことば
<ライン日記、人生の処方箋>
[不自由にして 無自在の苦に泣く]

天地の道は、天理として永遠に変わらないものです。
西から太陽はのぼることはありません。
人の道というものは、天理に近づこうとして、努力する道を宗教は教えています。

でも、努力を怠ればたちまちにしてこれまでの修行は無に帰してしまうものです。
事情を作る、もしくは遭遇するのは、相手のせいばかりではないようです。

天地はあなたの考え方の偏向をただそうとしての、気づかせと考えれば理解できるでしょう

家族には、特に配慮が入りますね。
一方的見方で決めつけず、全体を見る目で近くを見る、これも練習と稽古です。
一日だけなら何でもできます。続けて習慣化すること、そこから運は開くことができます。

事情はかたよった見方によるものです。自らの手で心と体を縛ったようなもの。それだけでなく、穴の底に堕ちた気がして、苦脳の重さで足は東西南北どちらを選ぶこともできません。これを『不自由と無自在』といいます。

そこからの解放は、何も難しくはありません。なるようにしかならないのですから、すべては天地に合掌し、朝を喜び夕べに感謝しさえすれば、『なるほどの理は八方』『八方塞がりのすべての壁は破れ去る』ものです。やります!

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ありのまま

2020-12-16 10:14:00 | 信仰と生活
令和2年12月7日あさのことば
<ライン日記、人生の処方箋>
[愚痴や要求を受け止め、喜びも悲しみも分かち合う]

大きなよろこびを手に入れようとすれば、その前にたいがい大きな苦しみがあるものです。
でも、その答えはどこにあるかといえば、私たち自身の中を探せば、こたえは必ず見つけることができます。

話題にのぼりやすいのが、嫁姑のことです。これに対応する主人の言動もかなめになります。
現代では、それぞれが仕事の関係でその地に根を下ろすことが多く、同居するケースは珍しいようです。

姑さんのグチや無理な要求には、以前は無口で対応していた人がいます。それでも時々は切れていたようです。

そのうちに嫁さんが膀胱炎をおこしました。合掌の中に静かに心中をふりかえるとき、姑さんと衝突したあとも、そのことを溜め込み、取り越し苦労をしては、愚痴るひぐらしが続いていることにきずきました。

幸いに主人が心配して、その底にある辛い悲しい思いを吐き出させてくれたのが、転機になりました。
主人の言動は、喜び悲しみを分け合うとともに、温かい愛情が心を明るくします。

夫婦の明るさは、姑へもつたわります。姑のことばも気持ちよく受け入れ、姑さんのことばもやさしく辛抱強く、心を込めて相手になれるようなりました。膀胱炎どこいった?いつのまにか体から出ていきました。住みにくくなったの?
やります。!

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歩き方

2020-12-16 10:08:00 | 運命の認識
令和2年12月6日
<ライン日記・人生の処方箋>
[上をのみ見て歩くは 愚かなり 下を見て歩くも愚かなり]


けさのことばは、末尾が長いです。上ばかり、下ばかり、右ばかり左ばかり。かたよるのは何かに気を取られ、心を奪われているからです。

その結果、気力は萎え生活のありようが顔色にでます。
年令は肩にでています。その日、その日の声色がすべてをあらわします。

江戸のむかし、ある僧侶が剣の達人の質問に答えて、極意を次のように伝えました。『いくな、とまるな。たたずむな』強くなりたい、悟りたい。こんなに頑張っているのに、とらわれを戒めています。

御神尊様は、20年かけてすべての人が、人生の達人になる道をひらかれました。自分の置かれている立場を、常に反省と改善において、合掌と祈りに結ぶ人は、周囲が見えている人です。

たとえ倒れても、つまずいても、迷わず原因を掴んで素早く立ち上がる人でもあります。
つまり、物事を決めてかからない人でもあります。

末尾は、[上を見ながら、下を見る][下を見ながら上を見る]
[右を見ながら左を見る][左を見ながら右を見る]で、囚われを戒めて、心の解放を願っています。これぞ幸せの道。
やります。!  [79才誕生記念日
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心も衣替え

2020-12-12 10:48:00 | 新陳代謝
令和2年12月5日
[寒暑 その度を過ぎれば その身を守れ]

実は家の中、世の中には、あなたを待っている人がいます。
それも、笑顔にあふれた日々に期待を込めて。

さて、これからは寒さに向かいます。もう雪の降っているところもあります。3月をむかえるまでは、しばらくは忍んで耐えなければなりません。その対策として、私たちは寒ければ厚着、暖かいと薄着して快適さをもとめます。

知恵ですね。自然に合わせて生活様式を変えて身を守ります。
果たして環境を整えるだけでいいのでしょうか。

心も同じ、寒暑に従い環境にしたがい、人間関係の良し悪しに合わせ、いつも穏やかな心境を保つ必要があります。その時々の状況に応じ、心の衣類も着替える柔軟性がなければなりません。

時によっては、アッサリ切り替えなければなりませんが、未練を断ち切る勇気、英断も要求されるのです。あなたが、どんなに『赦されないぞ』とりきんでも、事情に囚われれば一緒に倒れてしまいます。

『拳を握りしめると、他のものをつかむ』ことはできません。握りこぶしを開き、握っているものを捨てればどんな事にも、対応できます。

その時、命に必要なものを、手に入れることができます。いつでも心の自由を大切にすることです。やります。!
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汝と我

2020-12-12 10:46:00 | 運命の原理
令和2年12月4日
[汝を悩ます者は 汝なり]

坐禅、という漢字は座ではなく、坐と書きます。土の上にふたりの人がすわっていることを指しています。
そのふたりは、自分とその自分を見つめる自分です。

坐ではよく理解できませんが、御神尊様は、目の前にいるのは相手ではなく自分がいる、それがわかれば運命の糸もほぐれるものと、いわれます。

私たちの悩みの原因は『誰に、どこで、何をされたから』『それはハッキリとアレのせいと、憎み咎めに走ってしまう』ものです。

その思いで想像をたくみにふくらまし、きっとそうにちがいないと、決めた本人は悩みの淵をさまよいます。相手に事情の原因を丸投げして、苦しみだけはしっかり抱きしめています。

『天地の生き方』からすれば、まるで逆行しています。『何事も、あなたの見方、考え方から生まれたもの』つまり『あなた自身のもの』『ならば、これを解決する』ことも容易です。あなたから離れたものなら、解決できないでしょう。やります!


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感情

2020-12-12 10:43:00 | 運命と心
令和2年12月3日
[感情の処理を怠らざる日暮らし]

喜びや笑顔を失うことほど、辛いことはありません。
人間は心がけしだいで、人を喜ばせる側にまわることもできるようになります。
そして、人とともに家族と共に、楽しむ日々が作れるようにもなります。

でも、その日々が連続しているかというと、切れ切れでやっと繋がっているのが現実でしょう。
それは人間に感情というものがある限り、安定して平常心を保つことに苦心します。

毎日、目の前に起こる人間関係の喜怒哀楽に、簡単に巻き込まれてしまうからです。
『合掌と祈り』で精神力の養成が最優先です。しかし、そこまで修練されているでしょうか。

逆に考えれば、苦悩を抱えているからこそ、感情のコントロールの大切を実感でき『変わる力、やりますの精神力』がみにつくのかもしれません。

コントロールは世間のことば、私たちは『感情の処理を早くせよ』『気の切り替えを早くせよ』をめざしてこそ、家族全体で運命を開く喜びに行き着きます。自分で自分の感情にやけどしないように。やります!






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内なる自分

2020-12-12 10:39:00 | 運命と生活
令和2年12月2日
[苦悩の原因を外に求めず]


苦悩の原因は、事情をひきずることにあります。頭を下げればすむことも、プライドやストレスで落ち込んでいると、判断の迷いがでるからです。『私が悪いのではない、相手が悪い』になります。

『謝れば済むことです』『幸せ作りに成功している人は、謝れる人』です。
『謝(あやまる)は、言(ことば)で射る』と書きます。

『すみません。ごめんなさい』は相手の心にささることばです。あたまをさげる相手をさらに叩くのは、下げ方に手加減があるからです。

『謝るなら徹すること』何にでもいえますが、中途半端は結果が悪くなります。
『心を改めれば人生も変わります。そもそも道を知らない』のですから、迷子になるはずです。

知ったふりして迷うより、聞いて尋ねての素直さが入り口です。
その時こそ『あなたは原因を外に求めず、内なる自分の心と会話』が始まっています。
それは『心が変わり始めている証拠』です。やります!
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