天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

愛の発露

2020-12-19 10:12:00 | 家庭生活
令和2年12月19日あさのことば
[心の切り替えとは]

心の切り替えとは、『とらわれている気持ちから脱却し客観的にものを見ようとする』態度にあります。
そのためには『いかに知ること多しといえども 自己を知るより大なるはなし』を修行とします。

自分の非には気づかず、反省もせずに、相手にばかり求め変えようとするのが、よく見るパターンです。
その心が働いている間は、家庭にいざこざは絶えません。

それと反対に家族が相手の非には目もくれず、長所や美点を認め褒めていくようなら、お互いの心はとけあい睦まじい家庭となるでしょう。

つまり、[身を捨ててこそ浮かぶ背もあれ]のように解決しない問題はこだわりをこちらから捨てると、
時をおかず片付く場合が多いものです。
『切り替えはやりますで、合掌は愛の発露』で喜びも生まれます。やります!

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陽の気

2020-12-19 09:35:00 | 運命の原理
令和2年12月18日 あさのことば
<ライン日記、人生の処方箋>
[門前に百度立つより 一度中に入れ]

このコロナ禍の時代、おもてなしのお手本のような、国民的導徳心より、差別感を報道などで感じている人もいるでしょう。

日ごろ人の心のあり方などや、仕事の実績や上下関係にしか興味のない人、子育てや家事に協力的でない夫との関係、日ごろ隠れて面に出なかったことが問題になっています。

それを人間性の危機といい、それが家庭に持ち込まれています。
すべてが行き詰ったようにおもわれますが、でも日々この世界は何とか回っています。

過去にも江戸時代は、天然痘、コロリ、戦前は、チフス、戦中戦後は結核、そしてインフルエンザ等、疫病と共に歩んだ歴史があります。コロナもやがて歴史のひとつの疫病に記録されるでしょう。現代の医療はそれを乗り越えて、大きな進歩が見られるからです。

私たちはコロナ時代の社会の要求に、素直に取り組み、精神も生活もそれに合わせなければ、苦しみもつよくなります。
変わらなければ生きられないのです。今までも、苦難に鍛えられてきました。

とにかくこの時代、門前より中をのぞいて、ちゅうちょは許されない状況にあります。
性格の善用と生活の変化にとり組むことです。その前に向く陽気こそ、免疫力が高まるといわれています。やります。


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向上心

2020-12-19 09:31:00 | 信仰
令和2年12月17日 あさのことば
<ライン日記、人生の処方箋>
[幸せでありたいものです]


これは人間のひとしくねがう本能的欲求です。それは人の一生を通じて、ある時は幸せであったり、不幸せであったり、実に定まりなき運命の中に生涯をおわることと、ひとたび不幸せになった場合、これを幸せにすることが容易でないことです。

その壁は、自分が心から尊敬できる人をもつことが、人生をのりきる第一条件でしょう。
そこから生まれるエネルギーが幸せへの道の転換を示してくれます。

そして教えられたことの実践の歩を進めることです。学ぶだけでは、幸せは実感できないものです。
ちょうど、新聞を配達する人、牛乳を配達する人、きっと元気で丈夫です。それは前にすすむからです。

そこには『性格、精神作用、生活状態の良し悪し』が、日々の運命を作り出しています。『心は運命の製造者なり』で幸せを乞い願うだけでなく、私たちは何のために『明るく、柔らかく、優しく人にならなければならないのか』まさにその目指す向上心こそ、何事にも揺らぐことのない真のしあわせもこの中よりうまれます。
やります!





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無邪気

2020-12-19 09:29:00 | 運命の原理
令和2年12月16日 あさのことば
<ライン日記、人生の処方箋>
[無邪気は祈りに勝る 祈りなり]


コロナだって、人は繋がれると、友人は夕食と食前酒を上手にあしらった写真を、ラインに乗せてくれます。
ほのぼのとした幸せ感が伝わってきます。

コロナはヘタをすると孤独に陥りやすい、その中で楽しさ幸せは自分で探して、自分で作るものということが見えてきます。皆さんは、仕事に家庭に趣味のお付き合いにと、やはり人間関係に尽きることを実感してるでしょう。

コロナ禍の今年振り返る時、気の合わない人、嫌いな人がいれば、ウイルス対策以上に辛いものを引きずった年になるでしょう。年末年始は年賀を通じて、日ごろの人間関係の決算でもあります。

そんな生活の中心が合掌にあれば、玉ねぎの皮を剥くように物事にこだわらず、過去に囚われない日々を送ることができればいいですね。

コロナ禍の中でも心は邪気に乱されず、無邪気に子供のような、天真爛漫な時間を送れればありがたいものです。

『邪気は人間の作ったもの。無邪気は天地からの贈り物』です。その箱の中身は『幸せを作り出す玉手箱』です。やります!
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親行

2020-12-19 09:25:00 | 人生
令和2年12月15日あさのことば
<ライン日記、人生の処方箋>
[世の中に 我が子を思わぬ親はなし]

昔から親子の関係を、表現したことばにはハットさせられるものがあります。
今朝のことばには、あとが[親の心を知れよ人の子]とあります。

夫婦の縁はきれることがあっても、親子の縁は永遠に切れるものではありません。
夫婦もそれぞれ親を持ち、親子の縁(円の中)に存在しています。どこまでも親子は続いていくのです。

しかも選ぶことのできない宿命が絡んでいます。それを御神尊様は仮の親といい、真の親は『天は父、地は母なり』天地自然に親心を感じ取ることの大切をいわれています。

子供は幼児の時代は、いつも親を見つめ親を探しています。成長に従い自然に、親から離れて自立していきます。親のいうことばにも反応しなくなり、ついには親を説教するほど偉くなります。

耳が聞こえなくなったといって、叱られることも増えてきます。
親の顔に増えたシワもしみじとみたこともないでしょう。

それなのに親は生涯、子供たちの顔を見つめ、コロナの時代なら仕事に、病気を抱えていれば体や心の具合に気をくばるものです。

まさに親こそ生き神様、父母の深き慈愛そのもの年をとって見て、合掌の手のひらにそれを感じても、もはや親は無し。日々子供たちのことばに、かつての若き日の自分自身を発見、懺悔の祈りの毎日です。やります!
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