大相撲の露鵬と白露山の尿から大麻の成分が検出されたとして大騒ぎになっている。簡易検査だけでなく、精密検査でも陽性と出た。吸っていた疑いは限りなく深まったといっていいだろう。
現在の法体系の中では、大麻吸引はそれだけでは罪に問えない。所持等の証拠が見つからなければ、二人に対する刑事処分はあり得ない。吸引だけでなく所持も重なって逮捕された若の鵬も、今日8日には不起訴が決まるという。
刑事罰を問われない非行にどこまで責任を負わせるか。なかなか難しい問題だ。まして、当事者は日本の事情に疎い外国人力士である。土俵から放逐するのはいき過ぎだろう。1場所の出場停止と謹慎ぐらいでいいのではないか。
ただし、親方はそうはいかない。指導監督不行き届きは明白だ。きっちり責任を果たしてほしい。
と、ここまでは一般論だ。
メディアでは北の湖理事長の資質と責任を問う声が日増しに高まっている。B検体の検査を待たずに辞任に追い込まれるのではないか。8日中の解任が有力との報道もある。
身から出た錆といえなくもないが、相撲協会や北の湖に高い見識を求めること自体に無理がある。中学を卒業してから相撲一筋の人たちだ。「関取」「親方」「師匠」とおだてられ、金はタニマチから「ごっつぁん」の体質が出来上がっている。倫理や論理も一般社会とは違うのだ。
ありもしない「大相撲の精神」や「国技の伝統」を振りかざして、語彙不足の理事長を追い回すなど、あまり感心した図ではない。
相撲は伝統文化なのか、はたまた格闘技なのか。それらを統合した何かなのか。まず、大相撲とは何かを明確にしてから論じたい。
相撲が比類のない格闘技、スポーツであることは明白だ。だが、世間の考えは神聖さが前に出ているようだ。もともと相撲は神事だった。取り組みによって吉凶を占ったのである。だから、立会いの掛け声は「八卦よーい」、つまり卦を立てる準備ができました、となるのだ。
いっそ重要無形文化財と位置づけ、横綱や立行司は人間国宝にする。当然強さだけで横綱を張ることはできない。弱いのはもちろん駄目だ。したがって、数年間は空位ということもあり得る。これでどうでしょう。
現在の法体系の中では、大麻吸引はそれだけでは罪に問えない。所持等の証拠が見つからなければ、二人に対する刑事処分はあり得ない。吸引だけでなく所持も重なって逮捕された若の鵬も、今日8日には不起訴が決まるという。
刑事罰を問われない非行にどこまで責任を負わせるか。なかなか難しい問題だ。まして、当事者は日本の事情に疎い外国人力士である。土俵から放逐するのはいき過ぎだろう。1場所の出場停止と謹慎ぐらいでいいのではないか。
ただし、親方はそうはいかない。指導監督不行き届きは明白だ。きっちり責任を果たしてほしい。
と、ここまでは一般論だ。
メディアでは北の湖理事長の資質と責任を問う声が日増しに高まっている。B検体の検査を待たずに辞任に追い込まれるのではないか。8日中の解任が有力との報道もある。
身から出た錆といえなくもないが、相撲協会や北の湖に高い見識を求めること自体に無理がある。中学を卒業してから相撲一筋の人たちだ。「関取」「親方」「師匠」とおだてられ、金はタニマチから「ごっつぁん」の体質が出来上がっている。倫理や論理も一般社会とは違うのだ。
ありもしない「大相撲の精神」や「国技の伝統」を振りかざして、語彙不足の理事長を追い回すなど、あまり感心した図ではない。
相撲は伝統文化なのか、はたまた格闘技なのか。それらを統合した何かなのか。まず、大相撲とは何かを明確にしてから論じたい。
相撲が比類のない格闘技、スポーツであることは明白だ。だが、世間の考えは神聖さが前に出ているようだ。もともと相撲は神事だった。取り組みによって吉凶を占ったのである。だから、立会いの掛け声は「八卦よーい」、つまり卦を立てる準備ができました、となるのだ。
いっそ重要無形文化財と位置づけ、横綱や立行司は人間国宝にする。当然強さだけで横綱を張ることはできない。弱いのはもちろん駄目だ。したがって、数年間は空位ということもあり得る。これでどうでしょう。