酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

総裁選ではなく総選挙だ

2008-09-15 05:43:56 | Weblog
 14日夕、新潟市で開かれた「自民党総裁選候補街頭演説会」を聞いてきた。聴衆は1500人ほど。場所が狭いせいもあって、それなりの盛り上がり感を見せていた。イベントとしては成功の部類だろう。


 でも、中身となると目を覆うようなお粗末さ。いまの国会議員のレベルの低さを示して余りあった。

 前座では新潟県選出の国会議員6人と次期総選挙候補予定者1人、計7人が登壇し、「この苦境を克服できるのは自民党だけ」と声を張り上げた。これがもう駄目。小選挙区を勝ち抜いた議員は2人だけ、あとは比例で救われたり、惜敗率でも届かなかった連中である。こういう人たちが「自民党、自民党」とがなりたてるほど、「やっぱり自民党では駄目だ」ということになるのではないか。地元の議員なら、中小企業や農業の苦境にどう対処するかなど、具体論を示さなければならない。


 さて、真打というか、大喜利である。

 五人で役割分担し、こもごも「あの党」よりどれだけましかを訴えあう。そんな趣だった。五人が最高権力者の座を懸けて争っている雰囲気や意気込みは皆無、こんな素人芝居を見せられては白けるだけだ。


 石原伸晃は行革担当相や国土交通相当時の行跡は半分棚に上げて「必要な道路は造るんです」などとぶっていた。街宣車が停まっていた場所が、地元3大ゼネコンの玄関先というのが皮肉だ。

 小池百合子は「霞が関をぶっ壊す」と誰かの真似。霞が関におんぶに抱っこだったのはどこの誰。天下りは絶対に認めないとも言う。官僚の究極の天下りである、国会議員への転身はどうなのか。彼らは実力で這い上がってくるわけではない。官僚組織と業界の集票マシンを後ろ盾に、左団扇の選挙を決め込む。所属政党はもちろん自民党だ。こうした点への言及を欠いては、何の説得力もない。


 麻生太郎は疲れていたのだろうか。ギャグも駄洒落もないまともな演説に終始したのは意外だった。新潟を意識して拉致問題から始め、開かれた自民党を強調して終わった。「私が首相になれば、ここに並んだ4人は閣僚や党役員で遇します」。そんなニュアンスがにじみ出る演説だった。


 石破、与謝野は省略。ただ、与謝野氏が車のガードパイプを握り締めて辛そうに立っていたのが印象に残る。体調は大丈夫なのだろうか。


 五人の競り合いで国民にアピールし、その勢いで解散・総選挙になだれ込む。これが自民党の戦略だが、こんな馴れ合いをあと1週間も続けるのは苦しいだろう。ぱらぱらと拍手は起きていても、聴衆の失望感は隠せない。八百長が見え見えだったからだ。


 演説会のすぐ隣で「新潟総おどり」なるイベントが繰り広げられ、総裁選とマイクのボリュームを競っていた。元気度とパワーはイベントの圧勝でした。
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