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今日も又ぽかぽかと暖かい一日でした。
今日の気温は昨日よりも更に高くて最高気温が18.7℃もありました。
南側のお部屋でその恩恵は受けましたが、残念ながら外に出てお散歩を楽しんだり紅葉を眺めたりする気力も体力もありませんでした。
しんどくなる時は思えば以前からでしたが、朝一はいつも元気なのですが、あれこれと一通りのことをし終わり、朝食の準備も終わって(あるいは食べ終わって)「やれやれ」と思う頃にしんどくなります。
この3日間がそうでした。
今日はとりわけしんどくて、朝食を何とか食べたあとはおこたに入ってゆっくりすることにしました。
久々の
果物
昨日は🍌バナナだけ食べました。
一昨日は忙しくしていて時間がなかった
12月のカレンダー
今日はどうしてこんなにしんどいのだろうと思うくらいしんどくて、お薬を飲んで横になりました。
少しの間でも寝たら大抵は治りますが、今日はダメでした。
病院に行こうと思いましたが、昨日のクリニックは午後からやっていなくて、どこか行けるクリニックはないものかとネットで検索。
ママ友にも聞いてみましたが、なかなかこんなにクリニックや病院があっても、いざという時に行けるところがない。
結局、一番いいのは母が最後の期間に訪問診療に切り替えるまでお世話になっていたクリニックだろうと思えました。
ここなら今までの介護のこともご存じなので、言わなくても話も早い。
結果、ここにして本当に良かったと思いました。
たまたま午後からの診療は母の担当医の女医さんでした。
予約でいっぱいでしたので「終わりの頃の18時頃に電話を入れます」と受付の方が言われました。
ママ友が「何でもいいから食べたら元気が出るよ」と言ってくれましたが、今朝がご飯を炊いておらず
非常食のカップ焼きそばが1個あり、それを食べることにしました。
それらのせいか少し復調。
初めは車にも乗れないと思っていました。
クリニックからお電話があったのは意外にも早くて15時過ぎでした。
午後からの診察時間が15時半からです。
行くと外来の看護師さんが「お母さんのこと、知らなかったんです」と言われてお話しながら予診や血圧測定やらをして下さいました。
この時点でも心が軽くなって、新しいところに行く緊張感ではなく、いつもの慣れたところに来たという安心感も感じました。
続いて、診察室の前で待っているとドクターが出ていらっしゃり、「研修医の先生(女医さん)がいらしているので先に別室でお話して、その後再び私も含めてお話を伺ってもいいですか」と言われました。
その前後の患者さんを見ていても同室でなさっていたので、これはドクターの母を亡くしたばかりの私への配慮だったのだと今こうして書きながらつくづく感じています。
別室を設けて下さってドクターが色々聞いて下さいました。
段々とわかったことはこの方は高校からアメリカに行かれ、大学はハンガリー
そして、日本に戻り試験を受けて、岡大の研修医として2ヵ月間このクリニックで研修をなさっていることがわかりました。
専門は小児外科にしたいということと、夢は国境なき医師団で働くこと。
次は広島で研修をなさるそうですが、3月から初のラオスに行かれるそうです。
何と国境なき医師団は私もずっと心惹かれていて、関わりのあるところです。
そこで、私も昔、定年になってその時一人だったら海外シニア協力隊に入りたいと思っていたことを話しました。
「もうちょっと年齢的に無理だと思いますが」と言いますと「そんなことはないと思いますよ。出来ることがあると思います」
以前、調べたことがあるのですが、私の資格で行こうとしたら、3か国当時ありました。
アフリカが2ヵ国とドミニカ共和国。
わぁ~、どちらも暑い国だと思いました。
言語はフランス語か英語でした。
でも、先日初めてドミニカ共和国の方とお話する機会があったのですが、スペイン語ですね。
フランス語はアフリカでしたので、ドミニカ共和国は英語OKだったのかも。
ドクターは丁寧にいろいろな不調や介護の話を聞いて下さいました。
ドクターのおばあ様もパーキンソン病だそうです。
そして、主にお母さんの妹が看ておられるそうですが、お母さまも介護に行かれていて、ドクターも毎週末大阪まで行かれていると伺って、本当にすごいと感動しました。
ですから、最期まで家で看るということは志があってもなかなか出来ることではなく、ましてやひとりでなんて・・・と本当によくなさいましたねと何度も何度も言われました。
ここでは涙は出ませんでしたが、どこだったかでやはり泣けてきました。
そこへ、あんまり遅いせいか担当のドクターが入っていらして3人でお話しました。
まだこのドクターには母のお別れしてからの様子は私の口からはお話出来ていませんでしたので(訪問看護や訪問リハの方からは聞かれたと思いますが)お話させて頂きました。
ドクターもきっとそれを待っていらしたと思います。
一通りお話して、母の最期もお話し「母はもう私は大丈夫と思ったのかなと思います」と言うと「娘さんは本当に変わられたよ。(強くなったとう意味)お母さんは安心されたんだよ。そして、パニックにならないようにそっと逝かれたのよ」
死ぬ時はやはり本人が選ぶとドクターも言われていました。
私もやはりそう思います。
そして、いつも「後悔は絶対ある。どんなにしても絶対にあるから」とよくおっしゃっていたので「後悔はやはりあります」と言い、ショートとレスパイトのことを話しました。
母は行きたくなかったことを。
この話になるといつも涙を止めることが出来なくなります。
「最後のレスパイトでもう母を動かすのは体力的に無理と思ったので、もう家でずっとどこにも行かせずに看ようと思いました」とお話をすると「ショートやレスパイトを使ったから最期まで家で看ることが出来たんだと思うよ。そうじゃないと娘さんがつぶれていたと思う」
ドクターの最初と最後の言葉は同じ言葉でした。
「最期までよくやり通したね。」
いえいえ、本当に皆さまのお助けがなければ無理でした。
その後、又、研修医のドクターとしばらくお話をしてから2人で診察室に戻りました。
ドクターは「疲れが溜まっているんだと思うよ。明日の血液検査結果を持って又来週にでも来て。その時足らないと思える項目があったら検査することにします。CTも被爆の問題もあるし、今のところ必要ないと思いますよ(別室では「これだけしゃべっていたら脳に問題ないと思うよ」と言われました~~~)」
身体がかちんこちんなのでやり過ぎない程度にほぐすこと。
その方法は研修医のドクターが教えて下さいました。
痰のお薬は漢方薬を出して下さいました。
帰りに訪問看護ステーションに寄ってご挨拶して帰りました。
そこへ院長(今は理事長)先生がいらして、
「今日はどうしたん 誰がこれから老後って
お互い老後でしょ。」
(理事長先生は団塊の世代)
「私はまだ若いです」
クリニックを出たのは18時前。
すっかり長居をしましたが、温かい優しさに触れて、また少し心の痛みが癒えた気がします。
やはりここのクリニックへ行って良かった。
その後、明日の為にケーキ屋さんへ寄って帰りました。
ゆっくり少しずつ元気になります。
★致知一日一言 【今日の言葉】2024.12.3
成長の糧
どんな失敗や挫折も、
必ず自分の成長の糧として返ってくる
━━━━━━━━━━━━━━
サヘル・ローズ(イラン出身の俳優)
○『致知』2025年1月号「万事修養」(最新号)より
━━━━━━━━━━━━━━
●サヘルさんの感動のインタビューの
詳細はこちらから
★[ECCJ] 今日(12月03日)の珠玉のリーディング
エドガー・ケイシー
心を騒がせてはならない。あなたは神を信じる者なれば、主イエスをも信じなさい。平安と、父なる神に戻る道をもたらすために来られた主を信じなさい。
Let not thy heart be troubled, then.
Ye believe in God; believe also in Him, - who came to bring peace, and the way to the Father.
(5749-12)
私も夫と母のことが重なったとき、普段血圧が低いぐらいなのに160以上になって倒れそうになりました。
少ししたら戻りましたが。
ピエリナさんは 長い期間 頑張ってこられたから~でも 素敵なお友だちにも恵まれておられますもの。
お母様も安心して笑顔ですよ♡
どうぞ 少しずつでも 召し上がってくださいね。体力つけて 楽しみましょう。
>お疲れが出たんだと思います。... への返信
こんばんは、Keikoさん(^^)/
そうですね。
疲れが出たようです、多分。
私も血圧が200を超えたことが何回かありましたが、今は戻りました。
やはりストレスフルだったようです。
母は笑顔でしょうか。
そうなら嬉しいです。
本当に体力気力を付けて、楽しまなくちゃですね。
Keikoさんのブログ、楽しく読ませて頂いています。
明日から急に寒くなるそうですから、お気を付けて下さいね。
コメントをありがとうございました。
私も思います。
誰もが簡単に出来ることでは、
ないと思います。
今、疲れが出たのかもしれませんね。
ゆっくりと休養して下さいね。
応援しています。祈っています。
>本当に最後まで良く頑張られたと、... への返信
こんばんは、翔真さん(^^)/
いえいえ、私もギリギリセーフという感じでした。
本当に何もかもうまくいかないと最期まではなかなか難しいですね。
今日もドクターとそのようなお話をしました。
ドクター曰く「家族が潰れたら、もうダメですからね」
今日のブログに書きましたが、「訪問診療」で検索してみて下さい。
必要な助けは必ず来ます。
でも、どのような選択も間違いなんてないです。
私もいつも祈りつつ応援しています。