この「詩」もとても好きなもののひとつです。
どんな人も人にはわからない「重荷」を背負って生きているものです。
また、年齢を重ねることはいいこともありますが、若い頃のようには出来ないことも多くなります。
思うように行かず、思うように出来ず、人生や自分に失望しそうな時、でも、最後にどんな時にも祈ることは出来ます。
家族の為、友人の為、今日出会った人の為、すべての人々の為、生きとし生けるすべての命の為に祈ることが出来ること、それは私にとって大きな救いです。
このイエズス会のヘルマン・ホルヴェルス神父様(上智大学2代目学長)、「1923年(大正12年)秋、岡山に赴任中、玉島カトリック教会の裏山にあった石の
仏像を目にし、非常に強い影響を受ける[4]。(以降の日本での宣教活動の基本となる「内的体験」に出会う)」だそうです。(ウィキペディアより)
岡山に赴任していらしたようですし、この内的体験も岡山でだったことにとても親しみを感じます。