もこにゃんとばあば

もこにゃん もうすぐ八才(2015年生れ)
登場数は少ないですがヨロシク!にゃん

ビキニ・デー

2021-03-01 04:11:08 | 俳句

原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ・・・金子兜太

 

1954年(昭和29)3月1日、南太平洋ビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行い、同環礁東方160キロメートルの海上で操業中の日本のマグロ漁船第五福竜丸が「死の灰」を浴びた事件。

同船は3月14日静岡県焼津(やいづ)に帰港したが、乗組員23名が「急性放射能症」と診断され、東大病院と国立第一病院に入院、治療を受けた(9月23日には無線長久保山愛吉(くぼやまあいきち)が死亡)。

同船が積んできたマグロからは強い放射能が検出され、5月には日本各地に放射能雨が降り始めた。

この事件は国民に強い衝撃を与え、核兵器禁止の世論が急速に盛り上がり、翌1955年8月、広島での第1回原水爆禁止世界大会開催へとつながっていく。

第五福竜丸は1967年廃船処分となって東京の夢の島に捨てられていたが、粘り強い運動の結果、1976年6月同地に都立の展示館が完成、保存されている。

米国は同年5月までに計6回の実験を行い、他の多くの漁船も被曝。

しかし、日米両政府の政治決着によって、責任問題や第五福竜丸以外の被害実態はあいまいなままにされた。

      

この事件は私が小さい子供だったにもかかわらず、きちんと覚えていました。

亡くなった久保山愛吉さんの名前もです。

それほど日本国民にとって大きな事件でした。

それが政治決着によってあいまいにされていたと思うと悔しくて悲しいですね。

日本は核に何度も痛めつけられているのに、まだ原子力に頼ろうとしているのが情けないです。