コロナ禍の遠方の母骨折す見舞もできずスマホで激励
1914(大正3)年3月26日、島村抱月と松井須磨子が起こした芸術座が、トルストイの『復活』の初演を行った。この中で歌われた「カチューシャの歌」が大流行した。
カチュウシャの歌
カチューシャかわいや わかれのつらさ
せめて淡雪 とけぬ間と
神に願いを(ララ)かけましょうか
カチューシャかわいや わかれのつらさ
今宵ひと夜に 降る雪の
あすは野山の(ララ)路かくせ
カチューシャかわいや わかれのつらさ
つらいわかれの 涙のひまに
風は野を吹く(ララ)日はくれる
カチューシャかわいや わかれのつらさ
せめて又逢う それまでは
同じ姿で(ララ)いてたもれ
カチューシャかわいや わかれのつらさ
ひろい野原を とぼとぼと
独り出て行く(ララ)あすの旅
今から100年近く前の歌ですね。
でも、なぜだか私は知っていますよ。
日本人はこういう哀愁のある歌が好きなようですね。
私なんかは今でも良く使っている「カチュウシャ」(ヘアバンドの一種)これは日本独特の呼び方なようですね。
美智子上皇后様も若い頃使っていらっしゃいましたね。
話しは変わりますが、昨日95才の札幌の母が骨折で入院したと知らせがありました。
どんなことをして転んだのやら、右ひじの骨折で一月ほどの入院になるようです。
札幌のコロナはまた増えだしたようで、病院へは勿論行けませんし、札幌へ行くこともままなりません。
電話では心配かけてごめんと言ってました。リハビリ頑張って欲しいです、95才
カチュウシャの歌・・母が歌っていたのかもしれません。