家族とは何だろふかと問ふ我に立ちはだかるは母の人生
(ものすごく個性の強い母親と子供である私と弟)
今日はすぐ下の弟の誕生日です。弟に初めて手紙を書きます。
誕生日おめでとう。72歳になりましたね。
私ももうすぐ74歳になります。来年は後期高齢者。
自分の人生を振り返る時やはり両親があっての人生だったと思うのですが、父の人生は心配をいつもしてくれていて愛情を感じていました。
父に怒られたことはたくさんありましたが、それは自分も悪かったことで理不尽さを感じたことはなかったです。
貴方の家に飾られた父の遺影を見て、私も同じ気持ちだなと感じられました。
父の遺影とはまだ私も別れられず、いまだに飾っていて時々父に話しかけていたりします。
女というものはそもそも口うるさい存在ですが、母には愛を感じることは小さいころからありませんでした。
母は母なりの愛情があるのでしょうがそれが感じられないということは、どういうことなのでしょうか?私も同じ女だからでしょうか?
母にはいつも計算があって、自分の得とするところの人生を歩んでいたように思われます。
母の夫の兄弟への接し方、母の自分の兄弟への接し方。
私は一度聞いたことがあります。
どうして父さんの悪口を父さんの兄弟にするのかと問うと、母は自分の兄弟には恥ずかしくてそんなことは言えないと言っていました。
母は父が大好きで結婚に至ったことを、父の姉妹達から聞いたことがあります。
あの時代の恋愛結婚だったように思います。
結婚に至ってのちは一気に冷めたのか、私は小さいころから父さんの悪口を聞かされて育ちました。
だから父は怖い存在でしたが、大人になるにつれ怖い存在から変化していきました。
それにつれて父の悪口をずっと言う母を疎ましく思っていました。
最近、健造さんが腰の骨を疲労骨折して自宅療養していることを知った母は毎日のように健造さんに電話をしているようです。
健造さんも死ぬかと思うくらい辛かったそうなので母の電話はとても嬉しかったようです。
直治さんが癌で余命いくばくもないという頃に、裕治が腎臓に癌が見つかって摘出手術を受けましたが、その時の母の態度が今でも忘れられません。
自分の生んだ子より弟のほうを心配しているのですから。
母にとって自分の兄弟の方が無条件に大事なのかと思う、健造さんと直治さんの一コマでした。
克弘の件でも私に原因があると言われて物凄いショックを受けて何年も過ごしました。
同じことを貴方も言われていたなんて、それを聞いたとき母の人格が疑われました。
貴方は長男で母と何十年も暮らしていたからよくわかると思います。
だから今更、家に戻りたいと言われてもそんな気になれないことは重々わかります。
克弘とたまに電話で話をしますが、彼も母の性格は見抜いているようです。
暮に健造さん宅で話をしていて私も母と同じように、母の悪口を言っている自分がいました。
親子で悪口を言い合って(母と同じことをしている自分がいて)、自分が情けなくなりました。
母も超高齢となり自分の生き方をもう変えられないでいるのを見ている私たち。
せめて、母と同じことをしない生き方をしたいものと思います。
母を赦すことが出来なくても、自分をほめられる自分でありますようにと思っています。
そして72歳の貴方が、新たな一歩を踏み出すことが出来ますように姉より。