もこにゃんとばあば

もこにゃん もうすぐ八才(2015年生れ)
登場数は少ないですがヨロシク!にゃん

ライバルが手を結ぶ日

2022-01-21 04:51:43 | 川柳

ライバルとならず嫌いな人となり

(これで人生の落伍者決定です。

               

慶応2年1月21日、土佐藩士・坂本龍馬らの仲介で、当時犬猿の仲とされていた薩摩藩と長州藩が京都で会見し、薩長同盟が結ばれたことに由来して制定された記念日。

新暦1866年3月7日 当時は、
薩摩藩 立場:幕府の開国路線支持 方針:緩やかな幕政改革方針
長州藩 立場:攘夷論の筆頭    方針急進的な反幕府・倒幕体制

だったことなど、両者は容易に相容れない立場関係にあったとされておりました。

そこに加えて、元治元年7月19日(新暦:1864年8月20日)に起こった禁門の変(蛤御門の変)では、倒幕行動を起こした長州藩と、幕府支援の薩摩藩とで武力衝突があり、武力で勝る薩摩藩に長州藩は大惨敗を喫しておりました。

が、薩摩藩内部での方向性が変わり始めたのを機に、倒幕の目的のため、敵対関係にあった 薩摩藩:西郷隆盛:小松帯刀 長州藩:桂小五郎(木戸孝允)両方が、坂本龍馬仲介のもとお互い認めるべきとこは認め合い、過去ではなく未来へ向けた話し合いの末に両藩が手を結んだことで、以後の明治維新へと繋がっていくこととなりました。

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現在の日本の政治もそうあって欲しいです。

「未来へ向けた話し合い」大事ですね。

もう高齢者の部類の私にはライバルはいません  というか作れない作らないのかもしれませんが・・。

ライバルについて見つけた記事を紹介します。お役に立てると良いのですが。

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ライバルの存在によって成長する人の共通点とは?

「自分ひとりでは、くじけていたかもしれないけれど、ライバルの存在があったから成長できた!」

というようなことを言っている人を見たことはありませんか?

実は「ライバルの存在があったからここまで来れた」と語る人にはある共通点があるようです。

共通点①:ライバルの存在をモチベーションにできる

ライバルがいること成長する人の共通点、一つ目は「ライバルの存在をモチベーションにできる」という点です。

一人だと張り合いがないことでも、ライバルがいれば「あいつに負けたくない」「あいつも頑張っている」
など、自分をふるいたせるキッカケになるのでしょう。ライバルの存在が「頑張り続けるエンジン」となるのですね。

共通点②:独自性を養成している

次の共通点は「独自性がある」ということです。

ライバルがいて、一番強く思うのが「勝ちたい」という気持ちです。

「勝つためには・・・」と様々な思考を繰り広げることでしょう。ライバルと同じことをやっていたのでは、圧倒的な勝利を手にすることはできないはずです。

Apple創業者のスティーブジョブスの名言に「美女にライバルがバラを一〇本贈ったら、君は一五本贈るかい?そう思った時点で君の負けだ」という言葉があるように、ライバルに勝つに為には「バラをバラで返す」のではなく「自分なりの独自性」が必要になります。

ライバルに勝ちたいという思いが、自分自身の独自性を促進して、成長につながるのですね。【出典】スティーブ・ジョブスより

共通点③:ライバルの存在が油断を断つ

3つ目の共通点は、自分自身に芽生える「油断を断つことができる」ということです。

常にライバルの動向を気にし、負けじと準備し続ける。そういった姿勢を保つことで、油断から身を守っているのです。

一人だと、自分自身しか比べる対象がないですが、ライバルの存在があることで常に「成長しなくてはならない」という意識になるのでしょうね。

理想のライバルは「自分に似ている人」が良い

ライバルと切磋琢磨することで成長できる人は、どのような人をライバルと考えているのでしょうか?

実は、理想的なライバルに挙げられるのは「自分に似ている人」である場合が多いのです。それには深い理由があるようなので、紹介していきます。

似ている人がライバルだと言い訳できない!!

あまりにも自分と異なる人をライバルに想定すると、負けた時の言い訳につながってしまうことがあります。

「あの人の方が有利な環境だから負けても仕方ない」と、言い訳していてはライバルの意味がありませんよね?

年齢や社会的ステータス、境遇など、どこかしら似ていると思える人をライバルにすると良いでしょう。

そうすることで、自分の中から「言い訳」「逃げ道」そういったものが消え去りある種の「追い込まれた状況」を作り出すことができるのです

自分と似ている人、似た境遇を体験してきた人、負けても言い訳のできない相手こそが、理想的なライバルと言えるのです。


食当たりその後

2022-01-20 04:48:34 | 川柳

食当たり大寒の朝復活す

(真冬の食当たりは初めてです。

16日のお昼に食べたスーパーのお寿司で食当たりをして、ほとんど3日間寝ていました。

固形物はまだ食べられていませんが、昨日一昨日と点滴をしましたので何とか復活しました。

こんな真冬に食当たりをするなんて思いもかけませんでした。

以前腸に問題があり食べられなくなったことがありました。

その時は3週間の絶食でしたがその期間九州に行ったりしてました。

絶食と云ってもお汁だけの流動物です。

固形物は一切食べられなくなっていましたが体調も変わりなく元気に過ごせていました。

動物は病気になったり怪我をしたりすると食べないで直すと言われていますがまさにその通りです。

その時九州の友人が神様に強制的に浄化させられていると言っていましたが、今回もプチですがそうなのかもしれません。

私は毎日ご先祖様などの浄化の祈りをさせて貰っていますが、どのようにかかわっているのかはわかりませんが・・。

冬にも多い食中毒気を付けましょう。お医者様も無理に食べなくても良いとおっしゃっていました。


食中毒

2022-01-17 04:47:25 | 俳句

ご利益を願い出るなり初大師

(人間は弱いものです、何かというと神仏にすがります。)

          

昨日のお昼に食べたものが良くなかったようで、今朝もまだ調子が悪いです。

大師陀羅尼錠をおかゆを食べたら飲むことにしましょう。

こんなことは滅多にないのですが、今日は筋トレ無理かも・・・おとなしく寝ていることにしましょう。


禁酒の日

2022-01-16 05:31:13 | 俳句

寒の水仕込みて酒の旨さかな

(友と飲む酒は美味しいんでしょうね~私は飲めませんがお屠蘇は戴きました。)

           

1920(大正9)年1月16日に、アメリカで禁酒法が実施されたことにちなんで、日本でも制定された記念日。

当時、清教徒ピューリタンの影響が強かったアメリカではアルコールに対する強い批判があり、20世紀初頭に一部の州から禁酒が広がったことで、後にアメリカ全土で禁酒法が実施されました。

が、密造酒の蔓延 密造酒を飲むことによる健康問題 アル・カポネを始めとする密売にかかわるギャングの出現などなど、禁酒をすることで多くの逆効果を招いてしまう…。

こととなり、1933(昭和8)年には禁酒法自体が廃止されております。

アメリカで1933年に禁酒法が廃案となった際に、取締対象を失った当時の取締局長が掲げたのが「アメリカから全ての薬物をなくす」という使命でした。

ここから、1937年のマリファナ課税法に、そして大麻禁止へと繋がっていくのです。

この裏には、人種差別という根深い問題も隠されていて、現在でも大麻所持による逮捕率は黒人が白人の3.7倍も高いとのこと。

禁酒法の廃案や人種差別などがきっかけとなり、大麻禁止となったアメリカでも、大麻の危険性について「本当に大麻にそんな危険性があるのか?」と疑問視する声があったにも関わらず、それらは全て無視されてきたのです。

日本で大麻規制法が施行された経緯もそうですが、アメリカでの大麻禁止への根拠もどうにもしっかりとした根拠が感じられない気がしてしまいます。

アメリカがイギリスから独立する頃、入植者にヘンプの栽培が奨励されたり、義務化されたこともありました。当時はヘンプが経済の支えの1つとなっていたのです。

アメリカでは、古くからその薬効が認められており、一時期は大麻からティンクチャー(チンキ)というものが作られ、万能薬として薬局で販売され、あらゆる症状に使用されていたという歴史もあります。

そうした背景がありながらも、禁酒法が廃案になったことで事態は変わっていったのです。大麻にまつわる歴史は本当に複雑で興味深いです。

大麻禁止となった頃の日本では、国も国民も大麻が危険なものといった認識を全く持っていなかったのです。

大麻は、人類が初めて栽培した植物としても知られており、日本でも縄文時代や弥生時代から栽培され、縄や布にして多く活用されていたことがわかっています。

その後も大麻は布 縄 紙など、衣類を中心として様々な形で広く利用されていました。

1940年には、麻の需要拡大で国が大麻栽培を奨励、当時の農林省によって日本原麻株式会社まで設立されています。

ところが1945年、第二次世界大戦終戦後、日本は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の支配下となり、その際にGHQより「日本に於ける麻薬製品および記録の管理に関する件」として覚書が発行されました。

これが後に、日本の麻が麻薬として規制されるきっかけとなるのです。

日本ではそもそも麻を薬物とするような認識はなく、日本の麻が麻薬に該当するなど思いも寄らなかったという状況だったようです。

当時は国が奨励していたこともあり、多くの農家が麻専門で栽培を行っていたのですが、ある時農家の人々が大麻を栽培しているということでGHQによって検挙され、麻を全て絶滅させるようにと命令が下されたのです。

そこで国が農家の人々を守るために、専業農家の人々に「栽培の許可を与える」ということでGHQに交渉、なんとか事を収めようと制定されたのが「大麻取締規則」でした。

しかしその後さらにGHQから大麻取締強化の要請がなされ、「大麻取締法」という法律が制定されるに至ったのです。

その頃の日本にとってはまさに寝耳に水で、なぜこんなことになるのか?といった状況だったにも関わらず、GHQからの圧力で大麻取締法が制定され、そして現在までその法律がそのまま生きているのです。

大麻取締法は、日本での大麻使用による弊害があったから規制されたのではなく、大麻農家をなんとかして守るためにと設立された規則からの法制定でした。

ですが、時代は流れ、その変化と共に日本でも大麻が違法に使用される事例も発生するようになり、いつしか大麻は悪いもの、「ダメ。ゼッタイ。」といったキャンペーンが展開されるようになります。

そもそものスタートした時点とは徐々に目的が変わっていったのです。

戦後の歴史的な状況から苦肉の策として生み出され、やがて薬物が問題視されるようになると大麻取締法で取り締まりをするようになり、そしてその法律に縛られたまま日本では大麻草についての研究や検証もほぼ行われずに現在に至っています。

大麻草の成分や、どういった作用があるのか、悪い影響をもたらす成分はなにかなど、メカニズムなども一切わからないままに、大麻取締法がそこにあるから規制を続けているといったような状況なんです。

さらに矛盾を感じる点として、最初に日本に規制を強いたアメリカでは現在、医療大麻など研究が進み、合法化が進んでいるということです。

日本では、確たる根拠を得るための研究や検証もせず、医療大麻すら容認できないというのは不思議な話しではないでしょうか。

日本では天皇陛下が即位される大嘗祭麁服「あらたえ」は、天皇陛下が即位される大嘗祭で着用する、儀式のための衣です。

阿波忌部の末裔である三木家のみ、麁服「あらたえ」を作ることが許可されています。

麁服(あらたえ)とは、天皇陛下が即位後に初めて行う践祚大嘗祭の時にのみ調製し、 調進(供納)する「大麻の織物」のことを指しています。

阿波忌部直系氏人の御殿人(みあらかんど)は、古代では阿波忌部氏の中から任命されていました。

しかし、鎌倉時代から 御殿人の家筋は、三木家だけに限られました。

大麻は、神業に欠かすことのできない神聖な植物です。

古来、天太玉命(あめの ふとだまのみこと)天日鷲命(あめのひわしのみこと)から受け継がれている、日本にとって非常に大切なものです。

天日鷲命は、天磐船(あめのいわふね)に乗って種穂山に現れたと言い伝えられています。

天日鷲命は麻・穀(かぢ)・粟・五穀の種を持っていたそうです。

また、天日鷲命は、「麻を植え、神と国に仕えなさい」と言い、忌部氏によって重要な役割を担ってきました。

このように日本では古来より非常に重要な儀式の際にも大麻を使用していました。

現在の日本では、古くから大麻を使用していた事実が忘れさられようとしています。

薬物としての大麻教育ではなく、日本で古くから神聖な物として大麻が使用されていた事や、大麻が禁止となった歴史的事実を幅広く伝えるべきだと思います

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そもそも悪法だった禁酒法が廃案になったことで大麻取り締まりにつながったようですが、複雑な背景がありますね。

何も知らない人たちが大麻に手を染めて行くのを、国家は取り締まりだけでやり過ごすのは問題の放棄だと思います。

神様の依り代である大麻からつくられる 縄 布 紙を普及させて、プラスチック製品の削減につながるといいですね。 


小正月

2022-01-15 05:48:47 | 俳句

ホワイトアウト明け小豆粥喰うや

(2022年は正月明けから毎日のように真っ白な世界です。)

1月1日が大正月とされているのに対し、1月15日は小正月とされております。

かつて日本では、月の満ち欠けを1ヶ月の基準として暮らしており、人々は満月となる旧暦の1月15日に当たる日を”1年の始まり”である正月として祝っていました。

これは昔の日本人が、満月をめでたいものだと考えていたことに由来するそうです。

小正月に食べるといいとされる伝統的な食べ物を紹介します。

小豆粥(あずきがゆ)

小正月には、煮た小豆を混ぜて炊いたお粥を食べる風習があります。これは「小豆粥」や「十五日粥」といわれ、新年の季語にもなっています。

なんで小豆粥なの?と思う方も多いでしょう。

それは、“小豆のように赤い色の食べ物は邪気を祓う”と考えられていた中国の古い風習に由来しているのだそう。

「枕草子」や「土佐日記」にも小豆粥についての記述があるほど、伝統的な食べ物です。

これを食べて1年の無病息災を願いましょう。

1月15日の朝に食べるのがいいとされ、また、お餅やカボチャを入れてみるのもおすすめです♪

おぜんざい

小豆粥の代わりに「おぜんざい」を食べる地域もあります。小豆粥に鏡開きをした鏡餅を入れるという地域も。

お団子・お餅

これは小正月に行われる火祭り「左義長」「どんど焼き」中に、燃え上がる炎でお団子やお餅を焼いて食べるというもの。小正月にお団子を食べて無病息災を願うという風習もあります。

聖なる火で焼いたものを食べ、厄払いや無病息災を願います。

小正月の行事や飾り

大正月に比べ、行事内容が豊富♪その中でも、全国的に知られる行事を紹介します。

左義長・どんど焼き

呼び方は地域によってさまざまで、「左義長」「どんど焼き」の他にも「道祖神祭」や「鬼火たき」、「どんと焼き」、「どんどん焼き」など30種以上あるといわれています。全国各地で行われている火祭り。

門松やしめ縄などの正月飾りや前年のお札、お守り、破魔矢、熊手、縁起物に感謝を捧げて燃やし、家内安全や無病息災を祈願するのが一般的。

正月の書初めを燃やし、火が高く上がると字が上手になるなどの言い伝えも。

餅花(もちばな)

実った稲穂に見立て、小さく切った紅白のお餅を枝に刺し、それを何本もの束にして神棚や室内に飾るのが一般的です。1年の豊作を祈り、小正月に飾られる「餅花」。

お餅ではなく繭を使い「繭玉(まゆだま)」と呼ぶ地域も。

地方で行われている行事もたくさんあります。

田畑を荒らす鳥を追い払う「鳥追い」や、もぐらを追い払う「もぐら追い」、1年の豊作を祈願して踊る「えんぶり」など。

古くから伝わる行事は、生産物の豊作を祈願するものが多いですね。なまはげ

「なもみ(火にあたるとできる低温やけど)をはぐ」ということからこの名前が付き、”冬場に火のそばで温まってばかりいる怠け者を追い払う”という意味があります。東北地方で行われる正月行事「なまはげ」。

ミノをまとった村の若者達が鬼のお面を付け、大きな木製の包丁と手桶を持ち「悪い子はいねぇか~!泣く子はいねぇか~!」などと大声を上げながら地域の家々を回る様子は、大迫力! 幼い子どもは泣きわめくほどです。

なまはげと呼ばれる鬼は怠け者を懲らしめて厄払いをする他、祝福をもたらしてくれる来訪神として信じられているため、家の主人は正装をして迎え入れ、お酒やお餅でもてなします。

規模が大きいことで知られる秋田のなまはげは元々小正月に行われていましたが、現在では大晦日に行われています。

かまくら

雪の多い地方では雪で小屋を作ることから、「雪ン堂」と呼ばれることも。子ども達が藁でかまくらを作りその中で過ごす、東北地方の小正月行事「かまくら」。

かまくらの中には祭壇を設け水神様を祀っており、外からは水神様を拝みに地域の人達が訪れます。

子ども達からは、焼いたお餅や甘酒が振る舞われるのが恒例なのだとか。

地域によって小正月の日付けや時期は割とバラバラで、小正月は1月15日だけ1月15日の前後数日間を含めて小正月と呼ぶとしている地域がある他、大正月:1月1日〜1月7日 小正月:1月8日〜1月15日としている場合もあります。

また、正月にはおせち料理を作り、飾り物などの取り付け・片付け等で忙しく働いた主婦をねぎらう意味で、1月15日を女正月と呼ぶ地域もあります。

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今でもどんど焼きは網走でも15日と決まっていますが、今朝は吹雪がすごくて神社には行けないかもしれませんね。

子供の頃は小豆粥・まゆだま飾りなんかもありましたが行事として残っている家庭はもうないかもしれませんね。

北海道の雪はこの時期はさらさらとしているので「かまくら」にも適していませんね。

昔は女正月と言っていた覚えはあります。

日本の伝統も随分様変わりしました。