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鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

酒田十景 第一夜

2023年02月12日 | 鳥海山

 鳥海山も描かれているのでカテゴリーは素知らぬ顔で鳥海山へ。

 畳紙(絵葉書の入った袋)の解説を引用すると、酒田十景は「さかたみやげ」として文久年間の頃、五十嵐仁左衛門が版元となって当時の町絵師五十嵐雲嶺謙雅に描かせたた、とあります。版木十枚は本間美術館に現在保存されています。文久年間のものが今なお保存されているというのは驚きです。

 いろいろなもので写真、複写物は見ては来ましたが現物は未見。たまたま斎藤政広さんの写真店の物販レジの所にこの絵葉書が置いてあったので迷うことなく購入してきました。第一夜はそのうちの五枚をどうぞ。

 本間家本邸です。右上には「出羽の国酒田に城あり、亀ヶ崎の城というこの地東山道第一の港にして大小廻船数百艘ところせまきまで出入りし、四方の融通をなし人家透なく栄をきそひ、実に豊夭の繁花天下便宜の他也・・・・・・」と書いてあるそうです。(日本史専攻しなかったので崩し字までは全部読めません。なのでそのまま引用。)

  海向寺(かいこうじ)の月 海向寺は二体の即身佛で知られています。知人にこのお寺の身内の縁者がいるのですが、多くの寺が持つような檀家を持たず、祈祷の寺として存続してきたということです。

 山王の櫻 山王の杜といって現在の日和山公園一帯です。

 山王社雨

  髙埜濱船 髙埜濱(こやのはま)、由緒ある地名ですが無思慮という考え方によって地名はどこにでもあるありふれたものとなり、現在は角柱一本にのみ旧町名が残っています。旧町名は知る人も極めて少なくなりました。

 


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