鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

大正七年八月九日の鳥海登山

2025年02月10日 | 鳥海山

 この一枚のはがきから様々のことが導き出されてきます。

 白衣(びゃくえ)の道者(どうしゃ)が二十数名。ここまでカメラの暗箱を担ぎ上げるのも大変だったでしょう。

 ここまで連れてきたのはおそらく蕨岡の先達。途中途中の拝所で祝詞をあげるたびに何銭かのお金が先達料とは別に入ります。

 ここへ来る前には横堂で山役料を払い鑑札を購入しました。山役料を支払わないとその先登拝はできません。

 松本良一「鳥海山信仰史」によれば、大正末の先達料は道者一人につき三十銭。それを受け取ることができるのは宿坊の長男のみ。三才から修行された「先達」のみが受け取る資格がありました。頂上までの三十三拝所、「おがみ」をあげて各拝所一銭宛三十三銭がまた収入となります。

 百銭が一円。三十人も案内すればおよそ十円の収入になります。大正初めと末では物価指数も違いますので簡単に現在の貨幣価値には換算できませんが結構いい収入だったのではないでしょうか。これが蕨岡口が本来逆峯でありながら順峯を譲らなかった理由でしょう。先代龍頭寺住職が「霞を食らう」の霞がこの収入であること、順峯は逆峯に比べてはるかに儲かったのだと話してくれました。


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