聴いて損しないこと請け合います。
弾き語りを渋る彼女をヨイショヨイショしてその気にさせたら逆に乗って来て、あれもやる、これもできると言い出したとか。これを聴くと自分の部屋が地下にあったDUGになったような気がします。なんでも彼女はラーメンがいたく気に入り、陰ではラーメン・マクレーといわれたとか。
これまたMalの重苦しいピアノがDUGの細長い空間を埋め尽くします。
Barry Harris ってこんなにいいピアニストだったんだと聴きなおしました。
初めて紀伊國屋裏の地下DUGに行ったとき、店の人が注文を指でサッとカウンターの中の人に伝える、都会は恰好いいんだなあと思いました。後年、新宿DIG DUG物語を読んだら、なあんだ、目に人差し指をあてたらアイスコーヒー、胸をもむしぐさをしたらミルクだって。
カウンターに備え付けてあるガス湯沸し器、そんなもの田舎では見たこともない。湯沸し器の上についている遮熱版(今の湯沸し器にはついていません。)に布巾がかけてあるのを見て、ああ、あれはそうやって使うものか、都会は違うなあ、と思ったのでした。
(新宿DIG DUG物語より)
1987年のDUG。正面に見える階段を下りて入ります。写真階段に向かって左にも席がありました。撮影した人のいる場所は一段下がったスペースでした。ここにピアノを運び込んでライブをやったそうです。壁には時計が一杯飾ってありました。それで、DUGで誰とデートしたんだったかなあ。
翌1988年に移転したそうです。が、今の場所とは異なります。東京へ行ったついでに寄ろうと思うのですが店頭のメニューを見るとコーヒーが一杯680円、躊躇してしまいそのまま立ち去ります。新しいDUGには一度しか行っていません。
(新宿DIG DUG物語より)
1980年のDIG店内。みんな目を閉じ、一心不乱に聴き入っています。やはりColtraneでしょうか。Coltrane が亡くなった時は店がColtraneの好物だったバナナをお客さんに配り、お客さんは涙を流しながらバナナをほおばったという話ものこっています。純真だったんですねえ。
DIGのマッチ箱はエラ・フィッツジェラルド・シングス・ザ・ジョージ・アンド・アイラ・ガーシュウイン・ソングブックのアルバムデザイン、ビュッフェのこの画を使ったものでした。ビュッフェの別の画は国立西洋美術館の常設展示で見ることが出来ます。
(国立西洋美術館)