鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

お気に入りの馬車に乗って

2020年01月22日 | 兎糞録
1970年代、一人暮らしの阿佐ヶ谷でラジオから流れてきました。
 お気に入りの馬車に乗って 女王陛下のお買い物 伊勢丹 という歌詞で 
 伊勢丹開店の10時です。 と案内されます。
 伊藤アキラ作詞でなんとマンハッタントランスファーが日本語で歌ったというものなのでした。新宿三丁目、ビックロの看板の向かい側奥に〇に伊の赤い看板がちょいと見えます。ビックロも何年か前まではジュンク堂書店でした。disk union jazz館もビックロの近くにありました。
 この中の15曲目が伊勢丹CM曲です。聞き覚えのある方もいらっしゃるでしょう。
 
 また、深夜になると、
 グリーングリーン グリーン で始まる
 成田賢が歌うやすらぎの世界 MJBコーヒーのCMです。
 もう一つのMJBコーヒーのCMは
 光井章夫  陽気に行こうや
 晴れても降っても目じゃ無いさ こいつは最高MJBコーヒー
 試聴のLISTEN1の方です。
 
 新宿三丁目、たしか劇団青年座の人やっていたスナック。西田敏行がかつて在籍していたというので青年座で間違いないと思いますが。
 そこにはレナウンの社員の人たちが良く集まりました。酒が進むに連れ、彼らは歌いだす。
 ドライブウエイに春が来りゃ
 イェイ イェイ イェイ イェイ イェイ
 レーナウン レーナウン イエイイエイ
 レナウンも今ではChina企業の子会社。
 
 マスターのお得意は
 一人芝居は もう嫌だねー
 布施明の「哀愁のナザレ〜一人芝居」です。
 You Tube にありますがリンクできないようにしてありましたので聴きたい方は検索してください。
 
 歌詞を書いておきます。
 
 時には一人でも いいさなんて
 つぶやくその後は あまりにはだざむい
 ポスターのピエロが やけに今日は
 ラッタタッタタッタなんて おどけて見ている
 
 ひとり芝居は もういやだね
 幕をおろして くれないかね
 
 部屋の灯り消して 目を閉じているだけで
 きっと夢の世界へ 走って行ける
 
 忘れるはずなのに なんで君の
 想い出たどったり してみているのだろう
 
 
 せまいはずの部屋が 何で今は
 一人のせいだろか 俺には広すぎる
 ヴェロニクは唄うよ "恋はすてき"と
 だけど今の俺の 心は揺れない
 
 ひとり芝居は もういやだね
 幕をおろして くれないかね
 
 部屋の灯り消して 目を閉じているだけで
 きっと夢の世界へ 走って行ける
 
 男らしくもない こんな夜を
 淡い灯りだけが しらけて見ている

稲倉岳には何かがいる

2020年01月21日 | 鳥海山
 御浜から見るとすぐに行ってこれそうなのですが、これがどっこい。藪漕ぎあり、蟻の門渡しなどの危険箇所あり、近年このルートを歩いた人は聞いたことがありません。
 亡くなった父はかつて鳥海山の測量で山中をあちこち歩き、このルートから稲倉岳頂上まで何度か行ったという事でした。頂上は広いところだ、といっていました。三角点があるくらいですから、かつては無雪期にも登られていたのですね。今はわずかに積雪期、奈曽渓谷経由で登る人がいるくらいです。
 いずれも御浜から望遠で見おろしたところです。途中までは踏み跡らしきものが見え、行けそうなのですが。
 それにしても蟻の門渡しとはいい名前ですが、ジャンダルム と名付けられた岩稜もあります。岩稜にジャンダルムなんてカタカナ名前の外来語をつけたのは明治のころの西洋かぶれの登山に目覚めた学生でしょうか。日本アルプスという命名も良いとは言えません。南アルプス市と名付ける自治体、住民も自分の住む所の伝統も文化も持たない日本に住む人ではないのでしょう。キレットだって外来語だろうって?あれは日本語です。

 稲倉岳をもう少し全体でみるとこんなもっこりとした山です。
 この稲倉岳、羚羊、熊がいるとはいいますが、そのほかに何か恐ろしいものがいるともいわれています。噂では聞いたことがあるのですが、文字になったものとしては度々紹介している、畠中善弥さんの「影鳥海」の中にその一節があります。鳥海山の怪という一章の中にそれががありますので少々長いですが、現在では入手不能という事もありますのでその全文を紹介させていただきます。

岩窟の怪
 
 「ガイドのSさん(注:本では名前が書いてありますがここではSさんとしておきます。)は鳥海の秘境として名ある稲倉岳東からの深谷へ入った。御浜(七合目)からは足元近く見える所であるが思いの外時間がかかる。深谷への下りは生やさしいものではなかった。蟻の門渡しの嶮を鉄鎖に縋り、丈余のイタドリを縫うと間もなく水浸しの岩石が続いて、苔むす岩の下りになっており、やがて東面に御滝が見えてくる。神代を思わせるような古峰が連なって中間から落下する御滝は恐ろしいまでに、静寂な谷間の掟を破って、異様な響きを与え、時折稲倉岳に出現する羚羊の跳躍によって起こされる岩崩とともに、木霊は木霊を呼ぶ。御滝は奈曽川の源流をなし、その下方には白糸の滝が展開する。
 Sさんは御滝の前に立ち見惚れていたがやがて意を決したものの如く、滝寄りの断崖を徐々に登って行った。それは前々からこの断崖を一度物にしてみたい望みを持っており、又若いものにあり勝ちな冒険心も手伝って結構に至った。もちろん岩登りの素養はないが永年のガイドで鍛え上げた根性がそうさせたものらしい。強引といえば強引な仕業である。登りは所々草付きもあって灘場の援けになったが、思いの外至難な登攀にSさんは少なからず自信を失っていた。後悔に似た感情が往来した。滝の飛沫は思い出したように時々襲来してSさんを苦しめた。下を見おろすと今でも滑り落ちそうな錯覚にとらわれもした。それでもSさんは徐々に必死になって登った。最後のあがきで悪場を乗り越えて滝野落ち口側に登りつき安全な所へ腰を下ろした時は全く命拾いしたような安心感をしみじみ味わった。一息ついて帰りがけ岩を登って間もなくの所に洞窟を見付けた。何の気なしに入り口に近づき暗い中を覗きこんだSさんは.愕然として顔色を変えたまましばし棒立ちになったのである。確かに洞窟内に生物が潜んでいる気配がする。然しその生態は掴めない。正に鬼気迫る恐ろしい圧迫感を全身にうけたのであった。一瞬五体が凍り付くような寒気に襲われ、それが恐怖感となって、全身のふるえは止まらなかった。早くここから逃れようと焦っても足は少しもいう事をきかず全く遅々たるものだった。岩を登り、隈笹をかきわけ根の限りを尽くしてようやく御浜宿舎に辿りつくまでは相当時間がかかった。確かに洞窟内に怪物がいると、ガイド達に後日話したが、触らぬ神に祟りなしとて誰もそこへ行ってみようと言う人はいなかった。洞窟の生物は果たして何?今なお御滝の洞窟付近は神秘の中にある。
 この山の伝説にピントを合わせると殆ど大蛇になってしまうのが通例である。」

 こういったところを降り、登ったのでしょうか。
 これは昭和五十一年に発行された本ですが、その後この場所へ行ってみたという人の話は聞いたことがありません。


 おまけに山頂の遠望ですが、緑に覆われた山を突き破って新山が現れたのがよくわかります。

鳥海山の植物 その66 猫柳(ネコヤナギ)

2020年01月21日 | 鳥海山
猫柳 ネコヤナギ ヤナギ科 ヤナギ属

 いつだかの年の二月、湯ノ台口から登り、鳳来山を過ぎ、東物見まで行く途中でしょうか。こんなところにも猫柳が春の支度をしていました。
 穏やかそうですが、この後結構風に吹かれしっかり防寒はしていたのですが、さすがこの季節、かなり寒かったのをおぼえています。途中で雪の風防をつくりワンカップの日本酒を熱燗にして飲んだのですが飲むそばから酔いが覚めていきました。

 輪樏(わかんじき、ワカン)を履いて登ったのですが、スキーにシールを貼って登っていく人にはかないません。途中南校ヒュッテは一階部分が雪の中、二階の窓から入るのですが、吸殻が床いっぱいに捨ててありました。喫煙にそれほどうるさくなかった頃は山頂の広場もまんべんなく吸殻が捨てられており、山頂の小屋番さんがせっせと吸殻を拾っていたものでした。春なんかはスキーに来た連中が弁当の殻やら飲み物の空き缶をそのまま捨てて行ったり、山に対する敬意も畏れの無い人が結構やってくるものです。スノーモビルも地元の人たちは乗り入れ禁止区域には入らないのによそから来た連中はそんなことはお構いなしに鳥海山のなかを荒らしまわっているそうです。秋田、山形両県で罰則付きの条例をつくるか、国定公園内は許可された動力付きのもの以外立ち入り禁止にすべきでしょう。神様仏様を信じようが信じまいが、鳥海山はそこに住む人々にとっては神聖な、叉恵みを与えてくれる大事な山なのです。

1971年の映画 初恋

2020年01月21日 | 兎糞録
客はもうとうに散ってしまった。時計が零時半を打った。」(神西清訳)で始まるツルゲーネフの「初恋」の映画化されたものです。邦画のチャラい方ではありません。
 映画「初恋」ズィナイーダを演ずるドミニク・サンダ、良かったですねえ。話の内容は興味ある方文庫本で読んでください。神西清訳が良いと思います。東京の学校の最初の英語の授業のテキストがこの「初恋」の英訳本だったというのも奇妙な縁です。これがきっかけで、その後ツルゲーネフを読み、二葉亭四迷の露語訳の格調高さに驚き、二葉亭四迷の全集を求め読むという事までなりました。二葉亭は「初恋」を翻訳していませんが「片恋」は翻訳しています。なんといっても「猟人日記」の中の「あひびき」の翻訳初稿は最高です。それからゴーゴリ、レールモントフ、チェーホフ、ドストエフスキー 一直線です。翻訳本ですがすべて全集まで買ってしまったほどですから。何千冊かの本は資源ごみとして処分してしまいましたがこれらは最後まで取っておきます。

 さてこの時、だれと一緒に観たのか、男一人でこういう映画観に行くはずもないのですが、隣にいたのが誰だったか全く記憶にありません。植草甚一おじさんではないけれどその時『映画だけしか頭になかった』 んですね。
 当時市内には映画館が五軒あったと思います、こんな小さな街に。洋画専門、大映、東宝、日活などそれぞれ専門に上映していました。そのほかにも市民会館でも映画が上映されることもありました。しかし今となってはこの街に映画館は一軒もありません。
 この映画はおそらく洋画専門の映画館で観たのでしょう。洋画専門の映画館入り口の回転ドアー、入るのが苦手でした。みんなスイスイ入っていくのに。

 また、そのころ映画館は禁煙になっていません。(列車もバスも、飛行機も禁煙にはなっていませんでした。)映画館というと紫の煙がゆらゆらと立ち上る向こうのスクリーンが今でも思い起こされます。
 そのころ映画は二本立て、三本立てが普通で、この映画と同時上映されたのは何だったか。カンタベリー物語とロング・グッドバイのどちらかだと思ったのですが、初恋と公開時期が合いません。そうするとカンタベリー物語とロング・グッドバイが同時公開だったか。東京で映画館に入った覚えもないし、帰省した時に観たのか、それらすべての映画館がなくなってしまった今では上映記録など調べようもありません。上映記録というと映画「砂の器」で丹波哲郎演ずる刑事が映画館主役渥美二郎に問い合わせる場面がすぐに浮かんできますが。

 そして70年代もっとも記憶に残っているのがロバート・アルトマンの「ロング・グッドバイ」です。(翻訳本は村上春樹はつまらないです。)
(海外版Blu-Rayのジャケですので国内版と異なります。)
 ラロ・シフリンのテーマ曲が全般にわたって流れます。冒頭の猫のシーンから一気に魅了されます。評価、評論することは嫌なのでその辺は評論家気取りの方にお任せします。映画も音楽も論ずるために観たり聴いたりするものではないと思っていますので。

 そういえば、映画「砂の器」も70年代、スター・ウォーズも70年代の作品でした。ジャズも映画も70年代というのは一つのピークだったようです。「砂の器」の吉村刑事役、社会的にはいい地位にいますが人間としては最低なことが全国民にさらされてしまったようです。
 余談ですが、今西巡査部長が施設にいる本浦千代吉に成人した息子の写真を見せ、千代吉が震える手で「そんな人、知らねえ!」と声をあげ大声で泣き叫ぶ場面は圧巻です。中居正弘広や玉木宏の「砂の器」じゃ駄目ですよ。観るならあくまでも野村芳太郎監督の「砂の器」です。Blu-Ray購入しなくてもAmazon Prime Videoで見ることが出来ます。

追記
 そうです、そうです。この映画の初めの方で今西巡査部長と吉村刑事が羽後亀田への出張の帰りに本荘から乗る列車が急行鳥海でした。後年、食堂車は無かったと思いますが。
 列車に詳しい方のブログを拝見した所、映画の車両は気動車ではなく、当時羽越線を走っていなかった電車車両のようです。したがって映画に用いられた映像の車両は急行鳥海とは違うようです。