以前、「荒れるがまま」というタイトルで書いた記事の建物に関連したお話です。
十年以上前の映画ですが、本木雅弘 主演の「おくりびと」で使用された小幡という料亭の洋風別館の建物です。この建物の話ではなく、この写真の左端、石垣の上に松の木が一本、その左隣にかつてレンガ造りの建物がありました。
上の写真の通り、映画「おくりびと」の中の風景でみられるように今は全くの空き地です。足場パイプでバリケードがつくられていますが、その下は数メートル地面が低くなっています。
実は、ここに、小幡洋風別館以上に古いと思われるレンガ造りの建物があったのです。
市の資料館で写真を頂いてきましたが、資料展を開催した時も、だれもこの建物について由来も履歴も知る者はいなかったという事でした。この写真が撮影された時点では飲み屋が何軒か入る雑居ビルとなっていました。壁面に「サントリー」という看板が掲げられているのがわかります。きっと、オーナーは飲み屋の入ったビルとしてサントリーにアピールして看板を設置させたか、サントリーが宣伝のために看板を設置したかなのでしょう。駅前にあった飲み屋さんが移転したのでおいでくださいという案内を頂き、一度だけそこに飲みに行った記憶があります。
写真の後方に見えるのは分譲マンションですが、このマンションが出来たのは1997年7月 、映画おくりびとの公開は2008年、撮影は2007年あたりでしょうか、とすると、2000年前後に解体されたという事になるかもしれません。
入り口が半分坂道で隠れています。左の消防団の倉庫の所から回り込んで入っていったものと思われます。地面はずっと下にあるという事は、この入り口は実際は二階だったか、下が半地下だったのでしょう。
小幡そのものは、お金持ちの方が名乗りを上げ、修復されるようですが、この建物は誰からも記憶されることなく消え去ってしまいました。
小幡洋館は大正11年築でその時の写真にはすでに写っていたそうですからかなり古い建物という事になります。雑居ビルになる前は、印刷所であったらしいですが、これだけ古ければ、構造上の危険、維持管理費の問題等の理由を掲げられ、まして所有者が保存の意志をを持たなければ消え去る運命にあったのは仕方のないことかも知れませんし、ただ個人の記憶の中の懐かしさだけで終わってしまうのかもしれません。
しかし、それでもなお、建物が消滅しようとも、こういった記録を後世に残しておくのも今を生きる人の務めではないでしょうか。
未来は過去の歴史の上にしかないのですから、過去の記録を紐解き、対話していかなければ将来はあり得ませんのでこういった記録を例として考えてみるのもいいのではないかと思います。
資料館でみた写真のおまけです。工場地帯に鉤形状の運河があります。現在は奥の曲がったところは埋め立てられ、緑地になっています。その運河の入り口に橋が架かっています。この橋も私が小学校に入るころには壊れていて通行禁止となっていました。
鳥海山を背景にした橋の写真です。これらがいつ撮影されたものかわかりませんが、なぜこの橋に興味を惹かれたかと言えば、又記憶にあるのかと言えば、小さいころ父親に連れられて小さい船で魚釣りに沖に出たとき、父親から、「あの橋は俺が設計して架けたのだ」と聞かされたことが、あれから数十年たった今でも忘れられないからなのです。
こちらの方は大した記録ではありませんが、自分の心覚えとして記しておきます。そういえばその頃、最上川の河口を行き来しているのは本当の「帆掛け船」でした。また、海と川を行き来するのは焼き玉エンジンで走るポンポン舟と言われるものでした。単なる懐かし話ですが、こういったことも無駄に年を重ねてきたとはいえ、またいい思い出です。