タイトルは「鳥海山をめぐる人々」であって、決して「鳥海山に巣くう人々」ではありません。実際いるんですよ、巣くう人々が。登山ガイドのAさんも写真家のBさんもアンチ山小屋です。しかし山小屋だけとは限りません。麓でも、東海林さだおの漫画タンマ君のごとく「なめんなよ」とばかりにほかの登山者と俺たちは違うんだカンナ、と威張り散らしているものもいます。SNSなんか見てもみんな無理して背伸びしているように見えます。この辺で大物忌神が噴火して一度山を閉ざしてくれるといいですね。
鳥海山象潟登山口には鉾立山荘と東雲荘の二つの小屋がありますが、東雲荘は登山道入り口から少し歩いたところにあるし、またTDKの保養施設なのであまり知られていません。去年鉾立へ行ったときに現在小屋に入る方に嘗ての管理人さんのことを聞いてみたのですが、東雲荘は別として、鉾立山荘のかつての管理人さんを知る人は誰もいませんでした。もっとも御浜の旧管理人加藤さんのことも今では知る人もいないようです。大物忌神社ではそんな人もいたか、という程度で。
今の場所の鉾立山荘の前身は小滝口の標高800mにあった町営木立ヶ原小舎「せきれい山荘」でした。前にも山田さんのことを書いたことがあるのですが、フルネームは?はて?と思っていたら山の住所録が出てきてその中に多くの人名刺が入っていて山田さんの名刺もありました。斎藤重一さんの「鳥海山」にも鉾立山荘の管理人だった山田さんが登場します。
フルネームは山田良一さんでした。鉾立の名物おじさんでしたが誰も記録には残してくれていないようです。
賽の河原辺りで会うと、「こえ~(疲れた)、ゆんべは飲みすぎだ~」、どうも山田さんというといつも酔っぱらっている人、お酒、というイメージです。夜、鉾立の駐車場をバイクの集団がエンジンをふかして走り回っていると一升瓶片手に小屋を出ていき、大きな声で
「うるせぞ~!!!、ぶっ●してやる!!」
だいぶ前に紹介した鳥海山大好きな女の方の手紙の一節ですが、
「ほっと安堵の胸をなでおろした時、濃い霧に見え隠れする淡く黄色い灯の中から、何やら不可解な歌声とも奇声ともつかない賑やかな気配が漏れてきました。
おそるおそる小屋の戸を開けると、奥の方では大宴会の真最中。
山田さんのとぎれとぎれの歌と当夜居合わせたお客達の迷惑そうな(?)拍手喝采でありました。」
建て直す前の鉾立山荘と山田さんの酔った姿が目に浮かびます。
山田さんと時代はかぶりますが、そのころ建て直した鉾立山荘の管理人としてきたのが佐藤與一さん。
佐藤さんの名刺も出てきました。佐藤さんの名刺からもお酒の香りが漂ってきます。佐藤さんの体験した鉾立山荘の幽霊の話は今でも忘れられません。
四六時中山の中にいたら夜はお酒しか楽しみがありません。今シーズン中鉾立にいる人でこのお二人を知る人もいないようです。二人ともいい人でしたよ。人と人とのかかわりあってこその鳥海山。こういった記録ももう少し書き残しておきたいと思います。
そうそう、河原宿でも山頂でも名刺をいただいたことがありますので保存してあります。
この時の河原宿小屋の管理人さんは足が少し悪く、片足を引きずって歩く方でしたが大雪路、小雪路、薊坂を登るスピードの速いこと。長靴はいてひょこひょこと登っていきます。河原宿管理人なんて今後二度と現れない名刺でしょうからとっておきましょう。