鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

いつの間にかなくなった風景

2022年10月26日 | 鳥海山

 新米を食べながらそれまで何とも思わなかったことが。つい先日まで黄金色の稲田が広がっていたのですがこんな風景はいつ頃まであったのでしょうか。鳥海山を背景に広がる杭掛けの風景があればよかったのですが無かったのでフリー素材からです。

 地方によっては、この形も異なります。羽越線で酒田から新潟方面へ走ると車窓から見る杭掛けの風景は庄内と越後では異なるものでした。

 ホームセンターでも昔は稲杭を売っていたのですがそれも今では見かけることがありません。農家で使っていたあの杭もどこへ行ったんでしょうね。知らない間に風物詩が消えていました。

 

 ※この地方で杭掛けがなくなったのは刈り取った作物の穂先だけを脱穀装置に供給して脱穀を行なう自走式コンバイン、自脱式コンバインというそうですが、その登場により籾の乾燥を灯油で行うようになってからだそうですが、それが昭和四十年代後半からとは思いませんでした。もっと遅くまで杭掛けしていたとばかり思っていました。

 ついでにもう一つ、昔姉が帰省するときの話。特急いなほの車中で緑の庄内平野を見た子供が大きな声で「お母さん見てー!大っきな芝生が広がってるよー!」


蕨岡のお話

2022年10月25日 | 鳥海山

 酒田に伝わる昔話。鳥海山修験の総本山蕨岡、そこの上寺のお話です。酒田の人にとって上寺の人はちょっとかっわた、と思われていたようです。蕨岡三十三の僧坊の長男は中でも別格だったことがある本には書いてあります。下の話は佐藤公太郎「庄内・酒田の世間話」の中の「庄内の艶笑話」の一部です。


 蕨岡松尾坊(旧僧坊)跡地


 これは、実話だがどうがのぅ、上寺うわでらでぅどごは、ちょっと変わたどごですもののう。あっこ山伏のいる所だもんだがら、言葉、習慣などが、ちょっと違うなのぅ。 何でも祝言なのあっでぅど、皆若勢方わがぜがだ、アレ聞ぎ行たもんですと、その寝床さ。納戸なんどでぅな、よぐよぐすぐそごでんです。家の造りがらいって、ほんげおぐまたどごさあるもんでねぇんだ。こっから すぐ聞げんなです。 


 何を言っているのか、今の庄内の人でも完全には理解不能かもしれません。その上方言は表記不可能なのですから。若い女の子でも最近は「それでさー」なんて言いますしね。それでも時に「あっ、やめてー、ぼこれるー(壊れる)」とも言ったりします。

 上の話はその後ちょっと頭の足りないお兄ちゃんが新婚初夜の夫婦の寝間の睦言の聴こえるところへ忍び込み、夫婦の会話を意味を取り違えてしまうところへとつながります。

 方言も失うことの出来ない大切なものであると同時に、蕨岡という土地が鳥海山の修験としての独特の性格を持つところという認識が酒田の人にはあったということがわかるのではないでしょうか。


昔あった道、今は無いもの

2022年10月25日 | 鳥海山

 わずか十数年前、誰でもあるける道、そして吹浦口、鉾立口から山頂への最短ルートとでした。

 行者岳からほんの10分で頂上へ行くことが出来ました。

 家族連れで賑うこともありました。

 残念ながら崖崩れで今は通ることはできません。いつ崩れてもおかしくない山、鳥海山。

 

 在りし日の河原宿小屋内部。奥に御幣が見えますが祀られているのは箸王子神社。横堂の小屋が廃止となった後河原宿へ遷されました。河原宿小屋の廃止に伴い吹浦大物忌神社へ遷されたということです。蕨岡大物忌神社へ遷すのが正統でしょうけれど。

 写真をひっくり返していると鳥海山中の今は無いものが結構画像に残っています。河原宿小屋の中もそのうちまとめてみましょう。

 


Charles Tolliver初来日

2022年10月24日 | Jazz

 以前書きましたがCharles Tolliverの来日公演、後年、会場でのパンフレットだけ手に入れました。

 TRIOのアルバムジャケットに使われたのはこのパンフレットのデザインです。

 左国内盤CD,右英国盤CD。McCoy Tynerのコンサートは今は無き新宿厚生年金会館、そこの出口で配っていたのがCharles Tolliver初来日公演の案内。もしかしたらそれが右のアルバムジャケットのデザインだったかもしれません。厚生年金会館の外には左の図柄の看板が立っていました。郵便貯金ホール、今はメルパルク東京とか意味不明の名前で残存しているのでしょうか。A席2,000円、B席1,500円、当時はそんなお金もなかったんですね、McCoy Tynerのコンサート行ったら次のコンサートに行けなかったと。いまだにMcCoy Tynerのコンサート行かないでCharles Tolliverの公演行けばよかったと思い続けています。50年前の話なのですが。

 パンフレットの中身は9割が物品販売の宣伝。MODERN JAZZ NARU、驚いたことに今も現役なんですね。お茶ナル、代々ナルと呼んでいました。細長いマッチ箱でした。代々ナルは予備校生のたまり場で行く気にはなれないところでした。そういえば知り合いが目白にジャズ喫茶を開いたことがありましたが学習院の高校生ばかりたむろして煙草を吸っていて商売にならなかったようです。確かChapeauという名前だったような気が。Chapeauは帽子ですが他に、すごいね、まいった、脱帽だよ、という意味があるそうです。検索しても出てきませんし知る人もいないようです。一度メルカリでマッチ箱が出品されているのを見たことがあります。グレーのフェルト地の外箱でピエロか何か書いてあったと思います。覚えている方いらっしゃいますか。

 結構前にお茶の水に古書探しに行った時の写真です。日中は広い店内にBGM程度にジャズが流れるだけでした。

 Charles Tolliver Live in TOKYOより一曲。当夜の出来事については最初に発売されたLPの解説に興味深いことがいくつか書かれています。(現在の手元にあるCDの解説には書いてありません。)中でもコンサートが終了後、「幕がおりるや、トリヴ ァーはおし黙ったまま足早に舞台の袖へ引込み、あの温和し いカウェルが興奮した面持ちでピアノを離れると、〈今夜は 最低だ〉とひとこと呟いたのである。」ライブの緊張感がまざまざと伝わってきます。演奏の中身は最低どころか最高です。

 その中からクリント・ヒューストンのベースをフィーチュアした一曲STRETCH


紅葉 その2

2022年10月22日 | 鳥海山

 性懲りもなく古い写真を、既出の写真もありますがこれもご勘弁。

 誰もいない。鉾立ルートはこの季節この時間でも人はちらほらですがここ河原宿は晩秋人に出会うことは稀でした。

 千畳を行く赤・青・黄・緑。先行する引率者を見たら知り合いでした。去年池昭さんの展示会で会ったときはもう山は歩けない、といっていましたが。

 これは9月の夕方。別の時、遭難者を拾った時は快晴の夕方で新雪の鳥海山が真っ赤に染まっていましたが遭難者救助、カメラを持っていませんでした。今ならスマホでパシャッでしょうか。

 鳥海湖も青空を映してきれいです。周りは雲ですが真上がぽっかり青空。

 外輪を行けば七竈越しに山頂が見えます。この頃は行き交う人も少なくて良かったですねえ。

 手前にもピントが合っていればもう少しましな写真になったのですが。

 誰もいない寒々とした景色の方が好きです。

 鉾立口賽の河原、被写界深度を考慮したわけではありません。たまたま背景がボケているだけです。そういえば写真家の石橋睦美さんに何を一番にすればいいですか、と訊いたとき「被写界深度を覚えるといいですよ。」といわれたのですが。

 その一週間後の賽の河原で。この後はブルーラインも鳥海高原ラインも通行止めになります。