鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

紅葉

2022年10月22日 | 鳥海山

10月も末ということで、古い写真ばかりですが

 大清水には十年くらい続けて10月になると行っていました。写真のボケているのはご勘弁。ただやたらシャッターを押していただけですので。
この赤、同じころに行っても滅多にこういう色にはなりません。

 これもボケていますがボケ老人一歩手前ですのでご容赦を。

 赤い所をもう一枚。

 今は通行不能な奥山林道より、大八重出会いを過ぎたあたりでしょうか。

 これも奥山林道、大清水に近い小松滝

 大清水には新旧避難小屋。右手の小屋はもうありません。よく見ると右手の小屋の左脇、二階へ昇る階段が見えます。この階段も腐って危険なためこの写真の翌年には取り払われて梯子に替えられました。

 梯子に替えられた後の大清水小屋。オオシミズではなくてオシズですので。

 鳥海山の紅葉は矢島、百宅と海風の影響を受けないところの方がきれいなようです。


お薬手帳

2022年10月21日 | 兎糞録

 脳梗塞なって以来二か月に一度通院しているのですが超流行るお医者さんなので待ち時間が半端じゃない。ごくまれに待合室にほぼ人がいないこともあるんですが二時間待ちはざら。歩いて行ける近所にもお医者さんはあるのですが一般の内科なので。通うところは循環器・呼吸器も専門なので不整脈になった時もすぐに処置してもらえました。この患者は相当ポンコツのようです。それでも年に一二回は山が忘れられずにヨタヨタと出かける始末。

 歯の治療も行くのですがいつもお薬手帳を忘れてしまいます。(目も老眼、ハズキルーペなしでは本が読めない、歯も悪い、目・歯ときたら男は次に悪くなるのは決まっています。)決まっていく薬局でもお薬手帳を忘れてしまうのに、たまに行く歯医者さんで服用している薬を訊かれても応えはあいまいになってしまいます。ましてジェネリックとなれば覚えきれません。

 ジェネリック薬品は安いんですね。農薬を販売する人とその話になった時、「除草剤はやはりラウンドアップが一番効くんですよ。薬のジェネリックと同様、成分がラウンドアップと同じ除草剤もあるんですけどなぜかそちらは効果がいまいちなんですよ。」

 ジェネリック薬品っていまいちなのかな、などと思ってしまいました。でも一万円以上かかっていた薬が三千円以下で収まるんですからね。

 と、話はいつもの如く脱線の連続。

 なにをいおうかとしたかといえば、このお薬手帳、スマホのアプリにもあるのですね。アプリに登録して薬局でもらった保険調剤明細書の下に記載されたQRコードをスマホで読み取るとその中身がすべて登録されます。これは便利です。薬局を登録しておけば予約もできるようです。マイニャンバーカードも保険証と紐づけなるようですがスマホで全部できれば便利ですね。マイナンバーカードに反対しているのはこちらを参考に。

 今回使用したアプリはこちら。

  他にも何種類かあるようです。薬局ではLINEの「つながる薬局」をビデオで紹介していましたがなんとその行った薬局がそのアプリでは検索不能。いきつけの薬局が登録できなければ使えませんからね。


何だろう?

2022年10月21日 | 兎糞録

 昨日は近所まで出かけたら見慣れないものが。

 味噌と醤油の自動販売機だそうです。横から見たところですが正面に回ってみれば、

 一番上は味噌ですがその下は、

 シャインマスカットに甘酒、(甘酒のPOPの左に醤油)、その下はジュースです。

 生鮮品入れてあるので管理大変でしょうねえ。ドラッグストアの片隅に置いてありますがそれほど人の集まらないところ。設置した側は狸の皮算用で売れると思っているんでしょうねえ。まさか赤字覚悟では置かないでしょうから。買いたいものがあった?私なら?はい、買いません。

 そういえば人口10万に満たないこの街中にドラッグストアは何件できたやら。数えたら両手で収まらないくらい。ドラッグストアのチラシを見ったって食品スーパーと変わらないし、ホームセンターのチラシを見ればドラッグストアと変わらないし。どの業界も隣の芝生は青く見えるようです。


昭和雑感 室内偏

2022年10月20日 | 兎糞録

 テレビといえば当時は4本足。画面の前に拡大鏡のような物を下げて少しでも大きく見ようとしたものか。チャンネルはガチャガチャと回すもの。いまだにチャンネルを回すという言葉は残っています。見終われば画面の前には緞帳の様な幕が下ろされます。これもいつ頃まで続いたのでしょうか。幕をかけた事までは誰の記憶にもあるようですがかけなくなった時期については誰も記憶していない様です。

 ご飯を炊くのは竈(へっつい)に羽釜ですね。洗濯は洗濯板。食事は卓袱台。星一徹が怒ってひっくり返すやつです。私が子供の頃味噌汁嫌いで知らぬふりして丸い卓袱台に味噌汁椀をひっくり返すので父親が卓袱台の縁を鉋で削り落そうとして木の節くれで手を切ったとは後年までよく聞かされたものです。

 その後の近代的鉄筋コンクリートの住宅暮らし、煮炊きは初めはベランダに置いた石油コンロ。ガスコンロはそれから少ししてからです。調理台の下に10kgのプロパンガスボンベを置きます。どこの家も煮炊きのピークは夕方ですから途中でガスが無くなる。そうするとその頃電話は各家庭にありませんから近所の公衆電話まで走って行きガス屋さんにガスを注文します。

 後年当時ガス販売店に勤めていた人から聞いたところ、その頃は日中は暇でゴロゴロしていて夕方になるとプロパンボンベを横倒しにして原付バイクの荷台に括り付けて走り回ったそうです。相当儲かったとのこと。ガスがメーター販売になったのは、このボンベ交換時残りのガスが入っているのに持っていかれた、不正行為だと主婦連に騒がれたのがきっかけだそうです。

 生活を変えた家電品といえば洗濯機、冷蔵庫、電気掃除機でしょうか。もちろん洗濯機は脱水機なんてありません。手回しで絞るものです。冷蔵庫は冷凍庫なんてありません。せいぜい製氷室くらい。掃除機は、今も大して進化していないのではないでしょうか。サイクロン掃除機というものがあっても紙パックの方が良い所があるということですし。

ちなみにこれらの家電品の普及率は「カリスマ中内㓛とダイエーの戦後(佐野 眞一)」内の資料によれば下の表の通りです。

家電品 1957年普及率 1960年普及率 1965年普及率 1970年普及率 1975年普及率
電気洗濯機 20.2% 45.5% 78.1% 92.1% 97.7%
電気冷蔵庫  2.8% 15.7% 68.7% 92.5% 97.3%
電気掃除機  0% 11.0% 48.5% 75.4% 93.7%

 何れも70年代後半にはほとんどの家庭に普及しています。ただ電気掃除機だけは1965年時点でも50%以下。まだまだ箒とはたきの家庭がほとんどだったのでしょう。箒と塵取りの無いところはないでしょうけれどはたきは今では少なくなったかもしれません。前述のテレビと洗濯機、冷蔵庫が我が家にやってきた日の事は今でも覚えているのですが掃除機だけは全く記憶にありません。

 家電品ではないですけれどもう一つはっきり覚えているのがイスとテーブル。昔のの観光地の食堂にあったような椅子もテーブルも脚が細いパイプでできたものです。それまでは畳の上で食事でしたから。近代的鉄筋コンクリートの住宅暮らしではキッチンらしきものがあり床はフローリングのようなもの。やはりここはイスとテーブルということである日家族で街中に一件だけあったデパートに出かけて注文してきました。届く当日は夕方テーブルが届くまで夕食は待ちます。待ちに待ったテーブルでの食事、そんな日の記憶がいまだに残っています。


昭和雑感

2022年10月19日 | 兎糞録

 年号が変わったところで何も変わるわけではないのですけれど日本人はいつの間にやら年号の支配下にあるようです。

 昭和生まれの自分にとっては昭和のそれも三十年代が忘れがたく記憶の奥底から離れることはありません。

 ダルマストーブの側に置いた本箱のような棚、何のためにあるかわかる方いらっしゃいますか。ストーブの側にある石炭入れ、石炭バケツといいまして形はちょっと違います。実際はこんな形、

 話を戻しましてストーブの側の棚、何に使ったかというと温飯器(オンパンキ)といいまして昼前になるとこれに弁当を入れてストーブの熱で温めます。WEB上で検索してみても出てきませんでした。たまに弁当に納豆を入れてくるものがいてそれが温められると教室中が臭くなります。思わずみんなが「誰だっ!弁当に納豆入れてきたやつは!」

 弁当箱はもちろんアルマイトのブック弁当。おかずの汁がご飯にまで染み込みます。

 弁当を食べる時は教科書で弁当の前に衝立を立て、弁当箱の蓋で弁当を隠しながら食べるものがほとんどでした。

 時代ですね~。

 

 そこからもっとさかのぼると

 オート三輪。かつては三輪免許というのがありました。子供の頃近所の鉄工場のおじさんが一杯機嫌で運転しているとお巡りさんが「父ちゃん、酒飲んでるの、気い付けで行げよ」、これでおしまい。鉄工場はテッコウバと読みます。その頃駅はもちろん停車場(テイシャバ)といいました。

 この鉄工場のおじさん、テレビをいち早く買い、子供の頃のわが兄弟は夕方になると毎日テレビを見にお邪魔する次第に。それを見かねた親が見かねて我が家にテレビを。当時は漁師さんのうちに間借りしていたもので、そうすると近所の漁師さんが毎晩テレビを見に。大相撲の柏戸の取り組みを見ると大興奮です。歌謡番組で美空ひばりが胸の大きく開いたドレスで登場すると、「見しゃ、あのオッパイ、あったげおっきぐ見せで!!」

 漁師さんのうちに間借りしていつも新鮮この上ない魚を食べていたせいかこの年になっても海鮮を売り物にする港の近所に行っても新鮮な物を提供しているとは到底思えません。こういうのが知恵の哀しみというんでしょうかネ。昭和雑感、続きます。