鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

友人の油彩画展

2023年03月08日 | 兎糞録

 個展を行うと話は聞いていたのですが今日、案内が届きました。

 五十嵐さんの作品はブログで、また主体展での作品はこちらで見ることが出来ます。頁訪問の上応援お願いします。誰かに師事したわけでもない、全くの独学です。

 老いてますます盛ん、見習わなくては。

 


蛇石流

2023年03月06日 | 鳥海山

 蛇石流、変な名前ですね。読み方はジャセキリュウではなくジャイシナガレです。俗にジャイシと呼ばれています。二の滝の源頭です。この先月山沢を合わせ数々の滝をすぎて二の滝、一の滝、西ノコマイとなり三の俣で中ノコマイ、南ノコマイを併せて月光川になります。


 昭文社 山と高原地図 鳥海山・月山 2023 より

 蛇石流、なぜこんな名前なんでしょうね。

 ジャという言葉に関してヒントがありました。新蛇抜山(しんじゃぬけやま)というのが長野県にあるのですがこのジャヌケというのはこれも崩壊地形を表すのだそうです。そうするとこの蛇石流も文字に囚われずジャイシと呼ばれる岩が流れていると解釈しても良いのではないでしょうか。
 吹浦口拝所には蛇石と呼ばれるものがあります。また外輪上の虫穴も鳥海山境界争いの時に矢島側で虫穴を蛇石と呼んでいたことも記録にあります。「史跡鳥海山」では蛇石について岩に鱗状の、と蛇に関連づけようとしていますが字面に囚われて蛇と関連づける必要はないでしょう。
 ジャヌケ、ジャイシ、音だけで感じて見ることが肝要かと思います。文字は後から音に合うものを利用するというのが山の地形、地名の成り立ちです。(前回違う画像掲載してしまったので訂正。わかり易い写真が無かったです。地質図、地形図を参照してください。)
 地質図で見てみましょう。
 熔岩がかなり複雑に入り組んでいます。これを立体地図で見ると、

 © Digital Earth Technology Corp.
 この熔岩と熔岩の間の崩壊した地形、その崩壊した地形をあらわす言葉がジャ、そこの崩れた岩群をジャイシと呼んだのかもしれません。ジャという言葉はどうやって書き残そうか、蛇という字はジャと読むこともあるからこう書いておけ、ということで蛇石。
 
 ここまで来ると鍋森を挟んだ反対側、笙ヶ岳と鍋森の間から始まる檜ノ沢(ヒノソ)も気になりますね。檜はあのヒノキを表すわけではありません。では一体。
 
 ※ 千蛇谷は近年の呼び変えですので崩壊地形のジャには該当しません。千蛇谷は歴史に現れる最初は千歳ヶ谷です。これは仏教の千歳から来ている可能性があります。千歳ヶ谷はその後仙者ヶ谷と呼び変えられついで恐らく明治、大正頃から千蛇谷となり現在に至っています。三代実録の「擁塞不流有両大蛇 長各十許丈相連流出小蛇隋随者不知其数」により大蛇が走った後に見立てたと考える方もいるかもしれませんがこの谷のあらわれる古絵図、文献を見る限り明治以前に千蛇谷と書かれたことはないようです。
 
 もう一つおまけで、崖、崩壊地形を表す言葉はかなり多いようで、ママ、モモもそこに該当するそうです。文字は百、間々をあてます。百地三太夫は崖地の三太夫、そうすると百宅は。ザレもそうですね。ザレがサルに転化して文字に猿、倉は嵓とも書きますが崖。
 文字や伝説、言い伝えに囚われずに山の名前、地名は見た目から来ていると考えた方が良いようです。

三月三日

2023年03月03日 | 兎糞録

 三月三日、暇なのでヒマ人形、いや雛人形を見に行こうと久しぶりに「あいおい工藤美術館」へ。

 個人でやっている美術館です。建物は曾て質屋さんだったもの。この近所には何件かの質屋さんがありました。

 雛人形よりも鵜渡川原人形に目が行きます。

 こういった建具にも。

 お内裏様よりもこちらに目が行きます。

 同じく。

 竹田人形。

 ばんどり、コメを担ぐためのものです。 「ばんどり」は「むささび」(別名ばんどり)の飛ぶ姿と似ているとこるからきています。

 ガラスの綺麗な器具がありましたので電気を点けていただきました。

 Émile Galléの作品のようです。

 番にゃんがいたのに気がつきませんでした。最初の写真をよく見たら写っていました。

 


鳥海山火山防災マップ

2023年03月02日 | 鳥海山

 改訂日が不明ですが以前のものは「南のコマイ」となっていました。おそらく直近の改訂でしょう。地形図に「南ノコマイ」とあるところに「西のコマイ」と記入されました。

 遊佐町が国土地理院の問合せには「西河前」であるとと申請し、昭文社が山と高原地図2023年版改訂にあたって問い合わせた時は「西ノコマイ」と読むと回答したことは国土地理院、昭文社からじかに聞いています。

 遊佐町には「西河前」と書く根拠を何回かにわたって問合せしたのですけれど無回答。国土地理院の地形図は当方の申し入れにより「にしのこまい」と仮名が振られるようになりました。

 遊佐町も結局「西ノコマイ」という昔からの呼称を採用したということでしょうか。国土地理院様、素人の問合せにこたえていただきありがとうございました。