鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

弘法水

2023年07月06日 | 鳥海山

 伊藤珍太郎「庄内の味」で鳥海山の特異な水として挙げられているのが山頂の天水、蕨岡登山口七合目の河原宿の雪融け水、そして蕨岡登山口の弘法水。次のように書かれています。志田さんとあるのは当時の大物忌神社の神職志田真鍬氏。


志田さんのいうように、鳥海山の特異な水として、まず山項の天水をあげねばならぬであろう。二、二三〇メートルの高所で大きな桶に雨水を貯めたもので、この水でつくった味噌汁のうまさは、下界ではとんなにしても及ばぬ味であると志田さんがいう。高きを登りつくした疲れや乾きが、まずいものなしの受入れ体調にしているのではないかと疑う人もあろうが、高層天水にふくむ有機物質の科学的分析がだだの水ならぬ由来を究明しそうな気がする。次には、飲み水というわけでないが、蕨岡登山口七合目の河原宿の雪融け水が東北第一の高山らしく、手足をひたせはビリビリしびれをおほえる冷めたさ、大正のはじめの頃までは、登山の行者はすべてここで水垢離をとって、肉体にお山詣での神厳さを自覚させたものであった。
蕨岡登山口二、三合目のあたりには、弘法の水がある。弘法大師登山の折、金刷杖で山肌をたたいたところ清水が湧き、手にすくえば甘露の味わいであったと伝える。むかしからこの弘法の水は登山者のオアシスであったが、近頃は登山路のつけ替えで山かげにかくれて知る人のみ知るものとなりつつある。


 この本は昭和49年の発行ですが蕨岡口登山道の付け替えがあったことを教えてくれているのは他では見ないことです。蕨岡登山口なんて現在言う人もいませんね。湯ノ台口、湯ノ台コースと呼ばれるようになってしまっています。


 陸地測量部 鳥海山大正二年測圖昭和九年修正より

 上の地図、蕨岡道は旧登拝道が載っています。横堂から下る赤滝の大澤神社も正しく掲載されています。

 何時も紹介している太田宣賢「鳥海山登山案内記」にもこうあります。


蕨岡口には山中沿道えんだう至處冷泉淸流いたるところれいせんせいりうに富む祓川はらひかは牛御堂うしおどう駒王子こまわうじ弘法水水呑みづのみ箸王子はしわうじ白絲瀧しろいとがたき川原宿かわはらしゆく大雪路おほゆきぢ小雪路こゆきぢ等にしてみな淸冽かつするに足る


 現在では場所が特定できないものもありますが弘法水もそのうち場所不明となるかもしれません。箸王子(現横堂)に水場が?と思うかもしれませんが旧来は横堂から右に登り、赤滝の源流が当初の水場、その後鳳来山の少し下が水場となったということです。川原宿の雪融け水に飛び込む話はこの「鳥海山登山案内記」、斎藤清吉「山男のひとりごと」にも登場します。

 僅かに残っていた弘法水の写真。手振れがひどいので小さな写真にしておきます。蕨岡口旧登拝道駒止から入って少々進んだ所。言われないとわからないかもしれません。弘法水については大江進さんの木工房オーツーに詳しく載っています。鳥海山の湧水の事ならこの人の右に出るものはいません。

 そういえば山頂の社務所の前の天水桶にビールを浮かべておいたら盗まれたことがありました。山頂では食自中に登山靴を盗まれた人もいましたし、御浜の天水桶に手突っ込んでトイレから出た後の手を洗うものもいましたし、山中でマウントとる親父はいっぱいいるしで登山者は悪人がかなりの割合でいるようです。良い人ばかりが山に来るわけではないですね。


横堂の笹小屋見ゆと呼ぶ声を谷風よりも涼やかに聴く

2023年07月02日 | 鳥海山

横堂の笹小屋見ゆと呼ぶ声を谷風よりも涼やかに聴く(藤井康夫 鳥海山行より)

 佐藤公太郎「含羞私語」(昭和62年発行 胡笳亭私家版 非売品)を読んでいたら酒田の歌人藤井康夫の事が書いてあり、そこで紹介されていた歌です。

 何度も同じことを書いているかもしれませんがそこはご容赦を。

 中村不折「箸王子」即ち横堂を描いたものです。中村不折は大正八年に登っているとのことです。「史跡鳥海山」ではこの絵葉書が矢島で発行されたと特定していますが蕨岡口登拝道の画集であり、蕨岡で発行されたものを矢島でも発売したとみるのが当然でしょう。「史跡鳥海山」には?と思うところが多々あります。

 同じ中村不折の描く笹小屋ですが河原宿にも笹小屋がありましたのでどちらの笹小屋かは不明です。笹小屋と言えば横堂の方が知られていたようですので横堂かもしれません。

 左手前に見えるのが笹小屋。私製絵葉書が認可されたのは明治33年ということですからそれ以降のもの。また通信欄が下1/3の所に罫線が引いてあるので明治40年4月〜大正7年(1918)3月の間に作成された葉書であることがわかります。

 横堂で休憩する道者。写真でわかるように横に長いので横堂と呼ばれました。それが地名として今も残っています。

 

 なぜか横堂には思い入れがあります。今の方は横堂と言っても鳳来山の少し先にある単なる地名、月光坂の登り始めくらいにしか思い浮かばないでしょう。こにに建物があったことを知る人、そして実際に見たことがある人は今となってはほとんどいないのではないでしょうか。

 横堂の笹小屋は昭和27年の写真を見ると既に板張りの小屋に建て替えられています。これは山本坊の鳥海さんが御父君と一緒に建てたものだそうです。この歌が詠まれたのはそれ以前ということになります。


 写真の裏に「横堂にて(四合目)28.7」のメモがあります。

 日本民俗学の筒井氏の論文によればかつては強力が御浜、山頂とそしてこの横堂に荷揚げをしていたとあります。登拝も昭和三十年ごろから行われることも少なくなり、現在の登山の姿に変わってきたようですが明治以降からこの昭和三十年ころまでにに書かれた鳥海登山の記録は数少ないです。残っているものは今まで見たものはすべて蕨岡口から登ったものです。この横堂は綱講で綱を奉納する鳥海山奥の院赤瀧大神を祀る大澤神社への起点でもあるので必ず登場します。

 大正七年発行の橋本賢助「鳥海登山案内」の口絵写真の内の一枚。先の写真が用いられており左には説明が書かれています。

 そのうち「横堂物語」としてまとめてみましょう。横堂、人の息遣いと歴史の感じられる舞台です。

 今は石の祠が残るばかり。「これが大沢神社か」などと描いている人もありましたので国土地理院に申し入れ「大沢神社」の建物マークと名前は地図上から削除していただきました。現在の地形図1/25000鳥海山には大沢神社の名前も建物の印もないのはそういう次第です。


机の下に引き出しを

2023年07月01日 | 兎糞録

 鳥海山関連の下書きはまだ100本以上あるのですがその前に、ちょうど良い作業机を見つけて置いてみました。パーソナルチェアとかいうものにすわりながらの作業ですので高さが丁度よろし。しかもアウトレットで格別に安かった。

 キーボードとスキャナーを置きます。ちょいちょい使う小物を入れる引き出しが欲しいなあ、ということで一つ注文したのですが出かけたついでに百均でいいものを見つけたので試してみました。

 粘着ゲル両面テープというもの。その名もYAMORI  GRIP。もう一つCROCODILE GRIPというのもありましたが、後から調べたらCROCODILE GRIPの方が粘着力が強くて良いらしいです。(Amazonではとんでもない価格で販売されていますが百均ならば、ほれ100円)

 これを同じく百均のケースの天板に貼って取り付ければ、

 しっかり貼り付いています。取付位置を直すために剥がして貼り直しも問題なし。これはAmazonで後付け引き出しを注文するまでも無かったかと。机の上のUSB充電ポートもUSBハブも固定できました。明日また百均行ってCROCODILE GRIP買ってきましょう。

 と喜んだのもつかの間。四時間後には落っこちてしまいましたとさ。

 7/1 追記:アクリル粘着テープを使てみたらバッチリくっつきました。但し、テープの値段が安くはない。百均でもアクリル粘着テープはあるようですがあえてScotchの超強力両面テープを購入しました。

 7/10 追記2:もう一個、今度は百均のアクリルテープで貼り付けてみましたが一週間で剥がれ落ちました。Scotchのアクリルテープは剥がれていません。