あずまクラブ(越前の守)です。正しい心の探究をします。

”人間は夢とロマンを持つから動物とは決定的に違う”から始めます。正しい心の探究です。

公開霊言抜粋レポート「ムハンマドよ、パリは燃えているか。―表現の自由VS.イスラム的信仰―」

2015-01-17 00:33:35 | 日記

危機に立つ日本 さんより転載です。


公開霊言抜粋レポート



言論の自由は無制限に許されるか?

「言論の自由」を超える「信仰の価値」

「ムハンマドよ、パリは燃えているか。―表現の自由VS.イスラム的信仰―」

2015年1月15日収録

「霊言現象」とは、あの世の霊存在の言葉を語り下ろす現象のこと。これは高度な悟りを開いた者に特有のものであり、「霊媒現象」(トランス状態になって意識を失い、霊が一方的にしゃべる現象)とは異なる。また、外国人の霊の霊言には、霊言現象を行う者の言語中枢から、必要な言葉を選び出し、日本語で語ることも可能である。 詳しくは⇒⇒⇒大川隆法のスーパー霊能力 「霊言」とは何か





 2015年の幕開け早々、痛ましいテロ事件が起きた。ムハンマドを冒瀆する風刺画を掲載したフランス週刊紙「シャルリー・エブド」のパリ本社にイスラム過激派「アルカイダ」の関係者が押し入り、編集者や警備の警察官など12人が殺害された。逃亡した犯人が人質をとって立てこもり、さらに4人の命が奪われた。亡くなった方々の冥福を祈りたい。

 この事件を受け、フランスでは大規模なデモが行われ、欧米諸国を中心に40カ国以上の首脳も参加。「反テロ」と「表現の自由」を訴えた。

 これについて、イスラム教徒にも「言い分」や「疑問」があるのではないか。テロ行為は肯定できないが、ムハンマドを冒瀆する行為が「表現の自由」なのかと。イスラム教徒ならずとも、この事件についてムハンマド本人の考えを知りたいところだ。

 幸福の科学グループ・大川隆法総裁は、今回の事件についての考えを尋ねるため、ムハンマドの霊を呼んだ。世界初にして、他では決してできないインタビューが実現した。





「シャルリー・エブド」紙とは?

 今回襲撃された「シャルリー・エブド」紙は、フランスの左派系週刊新聞。タブーを知らず、今回の事件前から、広告や名画などのパロディ、宗教指導者の風刺画などを多く掲載して物議をかもしてきた。



「バカに愛されるのもラクじゃない」というせりふをつけたムハンマドの風刺画を掲載した際には、イスラム団体から訴訟を起こされている。

 その後も、ムハンマドを同性愛者のように描いたり、ヌード姿で取り上げたりして、イスラム教徒の心情を逆なでしてきた。事務所に火炎瓶が投げ込まれたり、ハッキングの被害を受けたりしたこともある。フランス当局からも警告を受けながら、「表現の自由」を盾に、その編集スタンスは変わらなかった。



 風刺の対象はキリスト教にもおよび、聖母マリアが、ブタに似た顔をしたイエス・キリストを出産する様子を描いた風刺画を掲載するなど、無神論的傾向も強いようだ。



 こうした背景があって、今回のイスラム過激派による襲撃事件が起きたといえる。





冒瀆は「言論の自由」ではない

 このテロを受け、フランスではテロに屈せず、「表現の自由」「言論の自由」を守ることを訴えるデモが起こっており、この動きは収まらない。

「シャルリー・エブド」紙は、抗議の意味を込めてか、「私はシャルリー」と書いたプラカードを持ち、涙を流すムハンマドの風刺画を掲載した。

 事件で注目が集まった最新号は飛ぶように売れ、買い求める人々の行列もできた。同紙の発行部数は通常5、6万部だが、500万部までの増刷が決まったという。



 こうした風刺画について、ムハンマド本人はどう思っているのか?

 登場したムハンマドの霊に尋ねてみると「何で、涙を流さなきゃいかんわけ? わしが泣かないかん理由はないな」と抗議。「表現の自由」ばかりを声高に主張する西洋諸国のスタンスに激しい憤りを示した。



 確かに表現の自由や言論の自由は無制限に許されるものではなく、責任が伴う。

 今回のテロで犠牲になった編集長兼風刺画家のステファン・シャルボニエ氏は、「自分の書いていることがそこまで人を苦しめているわけではない」「面白いものを提供したい、人生を気軽に楽しみたい」と雑誌のインタビューで語っていた。

 また、犠牲者の一人で、風刺漫画家だったカボニエール氏は、ムハンマドの風刺画について、「ムハンマドは私にとって聖なる存在ではない」と述べていた。



 これらのコメントからは、宗教への正しい見識や敬意、信仰者への理解が感じられない。

 信仰者にとって、その信仰の対象を傷つけられるということは、自らの身が切られるような悲しみや苦しみを伴う。面白ければ、信仰者の誇りや尊厳を傷つけてもかまわないというスタンスは言論を扱う者の姿勢として疑問符が付く。



 ムハンマドの霊は、「聖なる人を侮辱する漫画を描く者が、何が、表現の自由ですか」「自由の流れは、神の自由と悪魔の自由と両方あるけど、悪魔の自由を守ってどうする」と怒りをぶちまけた。

 信教と言論の自由の対立についても、「信教の自由が上に決まっているでしょう?」「信教の自由は神様に対する義務なんだ。言論のほうは、人間対人間の問題ですよ。神様に対して言論の自由なんかありませんよ」と信仰の優位を強調した。





侵略行為を繰り返してきた欧米諸国への怒り

 さらにムハンマドの霊は、「空爆や近代兵器を使って、イスラム教徒をいっぱい殺しているから」「イスラムは、欧米の先進兵器でボコボコにされてきた」と、今回のテロの被害のみを主張する欧米諸国に不満をあらわにした。



 昨年に始まった過激派組織「イスラム国」への空爆作戦には、フランス軍も参加している。

 歴史的にも、欧米諸国は中東の資源を奪い合い、自分たちに都合のよい形で国境を引いて、混乱を生じさせてきた。

 第一次大戦中、フランス、イギリス、ロシアの間で結ばれた「オスマン帝国領をどう分割するか」という秘密協定、「サイクス・ピコ協定」は、その代表的な協定だ。



 イスラエルとパレスチナの紛争も、イギリスの相矛盾する不誠実な外交姿勢が発端となっている。アラブ人にはパレスチナでの居住を認めつつ、ユダヤ人には「パレスチナにユダヤ人国家をつくる」と宣言し、結局この問題の解決を投げ出した。

 アメリカも、石油資源を押さえる目的のために、イランとイラクを相互に支援。両国の争いの種をつくった。



 欧米による“侵略"で、今までどれほど多くの人が亡くなり、富が奪われたのか。今回の犠牲者の比ではないはずだ、というのがムハンマドの意見だ。



 ムハンマドの霊は、イラクのフセイン大統領の処刑についても納得がいかないという。そもそも、イラク戦争の理由となった「大量破壊兵器」など出てこなかったにもかかわらず、民主主義的に選ばれた大統領を処刑しておいて、アメリカは何の責任も取っていない。「犯罪人はブッシュ大統領だ」「濡れ衣で、選挙で選ばれた大統領が処刑されたことに対して、イスラム系の人たちは怒るべきだ」と主張した。



 ムハンマドは、「テロなんか応援していない」と言いながらも、ISISをはじめとするイスラム過激派グループが欧米諸国に“反撃"していることについて、一定の理解を示した。

 もちろんテロ行為は許しがたいことだ。だが、「欧米的価値観こそ正義」というスタンスのもと、欧米諸国の介入が正当化されてきたことについては、検証の余地があるかもしれない。





欧米諸国こそ人権を抑圧してきた

 とはいえ、イスラム系諸国の人権抑圧的な面には問題が多い。戒律が厳しく、戒律を破った時の刑罰も、罪の重大さに比してややバランスを欠いている。特に女性は教育をまともに受けられず、自由な外出がままならないケースもある。

 こうした姿勢が、欧米諸国の理解を得られない面もあるのではないか。



 だが、それを指摘されたムハンマドの霊は「(欧米諸国は)黒人と称するアフリカ人を捕まえて縛り上げて、人身売買して売りさばいたんですよ」「今頃になって、人権を盾にしている。よく言えたもんだ。反省してから言いなさい」と声を荒げた。



 2011年8月に収録したムハンマドの霊言(『中東で何が起こっているのか』所収)では、「立宗から千数百年たっているのに、そのころの考え方や行動のままでは、イスラムは取り残されてしまう」と語り、イスラム社会の改革の必要性を語っていたが、「人権」を都合よく振りかざす欧米諸国には怒りがおさまらないようだ。



 実際、フランスの人権思想には問題がある。王権神授説を激しく批判し、王族をギロチンにかけた「フランス革命」の流れを引いているためか、宗教なき人権思想が根付いている。

 例えば、「ブルカ禁止法」の問題がある。フランスでは、イスラム教徒の女性が顔のすべてを覆う「ブルカ」を公共の場で着用することを禁じるいわゆる「ブルカ禁止法」が2011年4月から施行された。この法律は、女性の人権問題と信教の自由をめぐり、大きな議論を巻き起こしている。



 サルコジ前大統領は、「ブルカは女性の自由と尊厳の問題だ。ブルカは隷属の表徴であり、フランス共和国の領土内では歓迎されない」などと演説。イスラム教徒からすれば、「余計なお世話」であり、「信教の自由」の侵害に見えるだろう。治安上の理由もあるだろうし、イスラム教徒にも柔軟性が求められる面もあるが、信仰者として守ってきた行為を一方的に「人権の侵害」などと断罪されるのは、イスラム教徒には納得がいかないだろう。





お互いの理解を深める「智慧」を求めよ

 ムハンマドの主張は、イスラム教徒の本音が表れている。特に今回は、イスラムが冒瀆されたとあって、現在のキリスト教会への批判も強めるなど、やや過激な発言も見られた。



 とはいえ、お互いに怒りや憎しみをぶつけ合っていては平行線だ。欧米とイスラム社会の融和の道はないのか。

 大川隆法総裁は、1月11日に行われた法話「『智慧の法』講義」で、この事件に触れ、結局は「智慧の問題」であり「理解の問題」だと述べた。

 幸福の科学は、世界宗教となった教えはある程度受け容れながら、異なるところは合理的に理解していこうとする寛容さを持っており、その対立を乗り越える教えも説かれている。そうした幸福の科学の教えをイスラム教徒が学んでいれば、このような暴力的手段に訴えることはしなかっただろうし、「自由」や「人権」を訴える人たちも「自由と宗教の対立」とは捉えなかっただろう。



 もともと「表現の自由」や「言論の自由」は「信教の自由」から生まれてきたものだ。内心の自由が最も重要で、それを表明しても不利益を受けないよう「表現の自由」「言論の自由」が生まれた。こうした経緯を考えた時、宗教への尊重や畏敬の念を置き去りにはできない。

 また、神や宗教を打ち捨てた「自由」は歯止めがきかず、「人間の欲望」や自分勝手な姿勢を正当化することにつながる。本物の宗教は、真の自由をもたらすものだ。



 もちろんイスラムの側にもイノベーションが必要だ。食事や礼拝についての細かな戒律や、「利子を取ってはいけない」といった教えが、自由な経済活動の阻害要因となり、欧米諸国の発展から取り残されている。繰り返されるテロ行為も、無理解と憎しみを引き起こす。

 イスラム教国にもう一段の発展をもたらすためにも、欧米の優れた面に学ぼうとする姿勢を持ち、暴力的な手段以外での問題解決を図る努力を怠ってはならない。



 結局、お互いの宗教や文化を理解しようとする「愛」と「知」の心、自らの過ちを認めて改める「反省」の心を持つべきではないか。それが双方の「発展」につながる。



 今、キリスト教が「天の父」と呼び、ムハンマドが「アラー」と呼んだ存在が、世界宗教を融合する教えを説いている。この奇跡を多くの人が受け入れることが、無理解とテロの連鎖を止める道となるだろう。





【関連書籍】

幸福の科学出版 『中東で何が起こっているのか 公開霊言 ムハンマド/アリー/サラディン』 大川隆法著

http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=913



幸福の科学出版 『世界紛争の真実 ミカエル vs. ムハンマド』 大川隆法著

http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=95



幸福の科学出版 『国際政治を見る眼』 大川隆法著

http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1307





【関連記事】

2015年1月号記事 未来への羅針盤「真のイスラムの教えとは」

http://the-liberty.com/article.php?item_id=8790



2014年12月号記事 イスラム国 サダム・フセインの呪い スッキリわかる中東問題【前編】 Part1

http://the-liberty.com/article.php?item_id=8605



2014年12月号記事 イスラム国 サダム・フセインの呪い スッキリわかる中東問題【前編】 Part2

http://the-liberty.com/article.php?item_id=8604



2015年1月9日付ニュースクリップ 宗教への冒涜は「言論の自由」か? イスラム勢力による仏「シャルリー紙」襲撃事件

http://the-liberty.com/article.php?item_id=9028


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フランス銃撃事件 キリスト教圏から「私はシャルリーではない」の声

2015-01-17 00:19:02 | 日記

ザ・リバティーweb  より

ムハンマドの風刺画を掲載したフランスの週刊紙「シャルリー・エブド」の銃撃事件の背景には、「宗教 対 表現の自由」「イスラム教 対 ユダヤ教・キリスト教」などの対立軸があるといわれている。

 

だが、「表現の自由」を強調する側に回ると思われたキリスト教圏のマスコミでさえ、シャルリー側と距離を置く媒体も多い。

 

事件を受け、フランス全土で「私はシャルリー」と書かれたプラカードを掲げたデモが行われ、各国首脳を含め約370万人が参加した。

 

しかし、米ニューヨーク・タイムズ紙(NYT)は9日付の紙面で、「私はシャルリーではない」と題するコラムを掲載。事件で命を落としたシャルリーの関係者について、言論の自由の殉教者であるかのように扱う国際社会の雰囲気に疑問を呈した。

 

また、言論の自由は尊重されるべきだが、アメリカでは、そもそもシャルリー紙のような過激な風刺を掲載する新聞は、「子供」の議論としてまともに取り合われないとした。

 

他にも、アメリカのAP通信は、「故意に挑発する画像は掲載しない」方針で、ニュースの画像としてムハンマドを題材にしたシャルリー紙の風刺画は配信しない。「一貫して人種差別的な表現や、宗教的、性的な中傷表現は避けている」(15日付読売新聞)という。

 

他にも、フランスの保守系の「フィガロ」紙が、事件発生直後はそれまでのシャルリーの風刺画を転載したものの、特別号の画像の転載を見送るなどしている。

 

事件発生当初は、被害者への同情が集まり、メディアも「反イスラム」の機運を盛り上げたが、次第にバランスを取り始めていることが分かる。

 

ただ今後、国際社会が考えるべきは、「シャルリー」の風刺画を扱うか否かなどの瑣末な問題ではなく、「神とはいかなるものか」「イスラム教とユダヤ・キリスト教はなぜ対立するのか」などの根源的な問題であろう。

 

だが同時に、その問いに対する「答え」は、すでに説かれていることにも気づいてほしい。(居)

 

【関連記事】

2015年1月9日付本欄 宗教への冒涜は「言論の自由」か? イスラム勢力による仏「シャルリー紙」襲撃事件

http://the-liberty.com/article.php?item_id=9028

 

2015年1月号記事 真のイスラムの教えとは ―大川隆法 未来への羅針盤 ワールド・ティーチャー・メッセージ

http://the-liberty.com/article.php?item_id=8790

 

2015年2月号記事 ユダヤの神の正体とは ―大川隆法 未来への羅針盤 ワールド・ティーチャー・メッセージ

http://the-liberty.com/article.php?item_id=8948

 

2014年12月号記事 イスラム国 サダム・フセインの呪い スッキリわかる中東問題【前編】 Part1

http://the-liberty.com/article.php?item_id=8605

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バロンドール受賞のロナウドは、天才よりも"練習の虫"

2015-01-17 00:15:24 | 日記

ザ・リバティーweb  より

レアル・マドリードのホームスタジアムであるサンティアゴ・ベルナベウ。

 

世界屈指のプロサッカークラブであるレアル・マドリード(スペイン)所属で、ポルトガル代表クリスティアーノ・ロナウド選手は14日、ポルトガルサッカー連盟設立100年を祝う式典で、ポルトガル歴代最高選手に選ばれた。

 

ロナウド選手は12日、スイスのチューリッヒで、世界年間最優秀選手に贈られるFIFAバロンドールも受賞している。受賞スピーチでは、チームメイト、監督など、サポートしてくれた人たちに感謝の意を表し、「サッカー史に最高の選手として名を刻まれたい」と、今後の意気込みを語った。

 

ロナウド選手はトリッキーでスピード感あふれるドリブル、強靭な肉体から放たれるパンチの効いたシュートなどが持ち味だ。スペインリーグで2度の得点王に輝くなど、16日時点で首位を走るチームの原動力となっている。そうした実績からポルトガル国内のみならず、すでに世界最高のサッカー選手と評する声は多い。

 

 

練習場に最初に現れ、最後に帰る

しかし、その成功の理由は才能だけではない。影には血の滲むような努力がある。

 

ロナウド選手は「練習の虫」と呼ばれるほど、トレーニングに没頭することで有名だ。サッカー選手として一流と呼ばれるようになってからも、練習場には最初に現れ、最後に帰るという。

 

その練習ぶりについて、ロナウド選手が16歳の時から代理人を務めるホルヘ・メンデス氏は、次のように評している。

 

「あれほどのプロフェッショナルは滅多にいない。あれ以上に自己を律している男はどこにもいない。ほかにも努力をしている選手はいるが、あそこまでサッカーにすべてを捧げている男はいない。あの情熱、献身、自己犠牲の精神は特筆されるべきものだ」(2014年6月24日付プレジデントオンライン)

 

ロナウド選手は食生活の管理も徹底している。お酒や糖分、脂質を避けるのはもちろんのこと、スタミナを上げるために炭水化物をよく摂取し、強靭な肉体を維持するために2~4時間置きに1日6回の細かな食事を取ることを習慣づけているという。

 

 

高校時代、野球部の補欠だった上原選手

一流のプロスポーツ選手のストイックさや努力には目を見張るものがある。メジャーリーグのボストン・レッドソックスに所属する、上原浩治選手もその一人だ。

 

上原選手は高校時代、野球部の補欠で全く無名の存在だった。甲子園にも出場できず、大学受験にも失敗し、浪人した。そうした逆境の中、勉学の傍ら、予備校に通いつつジムでトレーニングを行っていたという。

 

そうした努力が実り、大学時代に才能が開花した。今ではチームの「抑えの切り札」として、2013年のワールドシリーズ制覇に貢献し、胴上げ投手になるなど、高校時代には考えられないほどの華々しい活躍を見せている。

 

その成功を支えているのは、日の当たらない時代の努力の積み重ねだ。座右の銘である「雑草魂」は、環境や才能のなさを言い訳にせず、夢に向かって一歩一歩前進しようとする上原選手の決意が感じられる言葉だ。

 

高い目標を持ち、一途な思いで自分の夢に向き合っているプロスポーツ選手の生き方から学ぶべき点は多い。一心不乱に道を極めることが成功を収める上で、一つの方程式となるだろう。(冨)

 

【関連書籍】

幸福の科学出版 『サッカー日本代表エース 本田圭佑 守護霊インタビュー』 大川隆法著

http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1182

 

【関連記事】

2014年12月22日付本欄 今年大活躍のテニスの錦織圭選手を支えたもの 逆境を乗り越えるカギとは何か

http://the-liberty.com/article.php?item_id=8966

 

2014年11月15日付本欄 ホンジュラス戦で存在感を示した本田圭佑選手 守護霊が語る成功のキーワードとは?

http://the-liberty.com/article.php?item_id=8732

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「智慧の法」は宗教の、新たな概念を生むだろう。

2015-01-17 00:04:24 | 日記

理想国家日本の条件 さんより転載です。

2015-01-13 

http://ameblo.jp/oramorre/entry-11976628568.html

ご法話「智慧の法講義」の、アモ~レ的な感想。 大川隆法ネット後援会(幸福実現友の会)さんより

↑の記事の続編です。

全国のアミ~ゴ の皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/

前作記事で、1月11日に行われた、「智慧の法講義」レポートをお届けいたしましたが、約1時間のご講義と、質疑応答の内容が、ものの5分で読み飛ばせるブログ記事でお伝えできるものではございませんので(笑)、なにとぞ、もよりの支部や精舎での、録画での拝聴をお勧めいたします。


          

いくら後に大樹となる木であっても、種の内は、草花と見分けのつかない場合がほとんどです。
この「智慧の法講義」は、後々の日本や世界、そして人類の方向性をも変えてしまうほどの大法だと思います。

大川隆法総裁は、そういった大きな教えであっても、いつもごく普通のフレーズと、ごく普通の話し方でなさるのです。

何が日本や世界、そして人類の行く末までを変えてしまうか。
それは大川隆法総裁が、何気なく紹介した、この「智慧の法」という書籍そのものにあるのです。

智慧の法(幸福の科学出版)

大川隆法総裁は、「智慧の法」を紹介するときに、この書籍は、どう読んでも、「考える人を創る」というエッセンスがある。

如是我聞(にょぜがもん 私はこう聞いた)ですから、確定的にこう言った・・・とは言い切れないのですが、アモ~レはそう理解しました。(太文字が、大川隆法総裁のお言葉)

考える人を創る宗教・・・

これは、現代の宗教界、いや、現代人が思い描く、宗教へのイメージそのものへの挑戦の言葉であるし、そのエッセンスが、智慧の法という一冊の書籍に込められているのです。

宗教を学べば、視野が狭くなるというのはおかしい。
真実を学べば学ぶほど、寛容になり、様々な意見の違いを、理解できるようになるのが本当だ。
(如是我聞)

これはイスラム=平和という理念を掲げながら、その方法論を構築できないでいる、現代イスラム社会への今後の指針であるし、そのイスラム社会を、それ以外の社会が理解する必要性と、その方法論を示唆したものだと思うのです。

そして日本的な宗教観、「宗教を学べば、視野が狭くなり、社会から遊離する。」といった風潮への、アンチテーゼであると思うのですね。

宗教は、一般社会で落ちこぼれたものがするものである・・・
こういった、表には出ないが、現代日本人の多くの人々の深層心理に、今年の大川隆法総裁が、挑戦状を突きつけた一言だと思うのです。

つまり、宗教を裏扱いキワモノ扱いしている、現代日本の社会に、
「だったら、智慧の法を喝破してみろよ。」と言ったようなものです。

その、考える人を創る・・・という概念は、宗教を語るときに良く言われる、洗脳とはかけ離れた概念である・・・

いや、洗脳の反対にある概念だということです。
洗脳とは、考えさせなくすることだからです。

さあ、日本のどこに、大川隆法という御仁を、論破できる人がいるというのでしょうか?
現実問題として、さあどうでしょうか?

いないと思うのですね。
やはり、どう考えてもいない。

世の中には、アンチの方もいらしゃいますが、そのアンチの方も、正心館などでの法話の質疑応答の際に、直接質問してみれば良いと思います。
もし質問者になれれば大川総裁は、質問者のご質問に、真摯に耳を傾けるはずです。

この御仁は、そういうお方です。
アモ~レが証人です。

アモ~レはこの御仁の、恐ろしいまでの真摯な姿勢を見たのです。
それは、衝撃的でした。
http://ameblo.jp/oramorre/entry-11948830284.html
(アモ~レは見た。大川隆法総裁の、超ド寛容な心)

日本社会が、もし智慧の法を論破できなければ、宗教=カルトというレッテルは、剥がしていただかないといけないし、それに基づく看板は、当然下ろしていただかなければなりません。

智慧の法は、考える人を創る教え。

これはとりもなおさず、

幸福の科学は、考える人を創る宗教である。
自分で自由に考えることと、神仏への信仰心とは両立する。
本来、宗教とは、そういう道を説いたものだ。
その、智慧と信仰心との両立こそ、現代社会が抱える諸問題を解決する術だ。

という、現代社会への、処方箋そのものであるのです。

冒頭大川隆法総裁は、年初の初詣で、寒空で行列までして参拝する現代日本人を見て、こうご紹介になりました。

 


東京にある伊勢神宮の分社であっても、寒空にこれだけの人々が参拝しています。
日本人は、誠に複雑な民族ですね。
私は日本人に、まだ宗教心があるということを信じたい。

智慧の法は、考える人を創る教え。

これはまた、我々一人ひとりが、人生の目的と使命に照らして、自分には何ができるか・・・ということを、自らに問うということでもあると思います。

これは仏教的には、悟り・・・と同義語であると、アモ~レは思うのです。

それでは、またのお越しをー。(^O^)/

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